玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

想像できないこと その4

2018-01-08 20:18:48 | 知識

昔は 小さい頃 他家に嫁いだり 奉公に出るのが普通 だったらしい きっと親もそうした 歴史を背負っているんだろう こういうことは 今はあり得ないから どういう仕組みなのか 想像できない

しまり屋が仕事で小学校へ行くと 廊下は走らないこと なんて看板が出てる 歩くのも億劫なしまり屋は こんな看板見て 歩くどころか走る人間がいることにびっくりする それも子供で 子供だからこそかと 

活動的な時期を 机に縛り付けて勉強は 考えてみれば かわいそうだね 働くことが 勉強というような社会だったのか 電気会社の 会長さんで 丁稚奉公をなされたかたは 成功したのは半分は運だとおっしゃっている でも100% 必然のような気がする 丁稚奉公に入った時に すでに何本もレールは敷かれていてご自身が選択された

社会に出た時 本人の前には レールが何本か 敷かれている 選択するのは 本人自身だ とここ数日 考えている その選択を 動機づけする また 決定するような 力はどこから出てくるんだろう それを運命と言ったらば 何も分からなくなる 運命を決めるものは何なのか



 











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想像できないこと その3

2018-01-08 17:16:42 | 知識

父から子へ伝えるもの 特に 父から 男子へ伝えるもの それは時代によって変わるだろう 母から女子へ伝えるものってなんだろう 時代に影響されない と思う

しまり屋は 教わったことは何もないなー などと言っているけど 記憶にないだけだよね 自分の技術に消化しただけ

男の子は 何を伝えられるかで だいぶ変わってくるんだろうね 短期的な生存技術か 長期的な 社会への対応か 各家でそれぞれ方針があって その代で またそれぞれ違っただろう 最も基底部分に 流れるものは何だろう 想像できない

昔はどんな風に 父から子へ 何を伝えたのか しまり屋の 乗ってるレールは 今や 完全に別物 これ昔だったら お家騒動だろう 周りの農家のようにやれよ 親戚一同から こういう声が聞こえてくるだろう けれど 一番健康なのは しまり屋みたいなので やらせているんだろうな

旧来の 決まりを キチキチに守っていると 危ない 何しろ 旧来のきまりというものも ここ数十年のものだ こっちはもっと長い時代区分で考えている 自慢じゃないけど











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想像できないこと その2

2018-01-08 12:09:30 | 知識

米一俵60 kg は 明治に決まったらしい 江戸時代は 容積 で決めていた しかも籾だったり玄米だったり さまさま な形で 年貢米が納められていた 暑い所は 玄米だとすぐ弱ってしまうので 籾だった 玄米ごはん族の籾も 今 17年目の籾がある 籾ならば長期保存が可能だ よく 江戸時代には 百姓一揆とか 飢饉とかが あったといわれているけれど それは玄米で保存しておいたところじゃないのかな ともかく籾保存ならば お金を保存しておくのと同じことだ ちょっと場所を取って値段がさがるけれど

籾ならば一俵は50 kg 以下になる これなら相当無理するけれど しまり屋でも持てるかもしれない 海外でも 暑い所は 籾で流通しているらしい そういうところは 無農薬なのかな 農薬使った籾は 保存がきくのかどうかわからない 薩摩藩などは 籾で保存 江戸は玄米みたいだ 江戸患い とか言って 白米で 食べていた 薩摩藩は 玄米で食べていたのかな 歴史的には 薩摩藩が勝った 白米には 良い歴史なんてない へんてこりんな 歴史ばっかり

でも 大都市になれば 白米が便利なんだね 便利な方を選ぶのは普通だよね 都会に行けば白米を食べれるとなれば みんなそちらへ行くよね 江戸時代は 勝手に移動できなかったみたいだけれど 都市の人口なんて 大したことないと思う 半分を年貢で収めた 籾は 蔵の中に 積み上がるばかりじゃないかな 残り半分は 農家が自分で食べる か 売る 売ればまたまた蔵の中に行く 年々たまるばかりだと思うんだけど 国としても余裕たっぷりと思うんだけど

明治になって なんで籾をやめて 玄米 の流通にしたんだろう 60キロを持つのは大変だよ

 









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想像もできないこと その1

2018-01-08 03:08:41 | 知識
米一俵は60 kg 今米一袋は 30 kg で 流通している 米二袋で 一俵となる

簡単に米一俵60 kg と言うけど これを実際運んでいたんだ ほんの数十年前まで運んでいたんだね しまり屋の体重 より重い 三十キロで 四苦八苦している人が 60 kg で流通している世界に行ったら 間違いなく 俵の重さで潰される

60キロを担ぐ時は 肩に乗せてもらった たいがい乗せる肩は左か右か決まっている そんな重いものを持って たったの幅30cmぐらいの渡り板を 渡って行ったらしい しまり屋がわたったら転落しちゃうね その前に持てないか 腰の骨は どんどん片側がすり減るだろうね

東北地方には 温泉地が 湯治場として 昔は流行っていたらしい 半年ぐらいも 宿泊して いたらしい こういう理由があったんだ 半年かけて直して 次の半年を働く そういう周期で痛みを治したのか? 温泉地では 効能とか 泉質を 様々なことを うたっている 現代 温泉に行くのは 休憩だけになっているような気がするけど 昔は 体に 効かなければ 意味がなかったのかもしれない

しまり屋は 米60 kg の世界を 想像できない 昔の人は 今の人より ずっと小さかった 大半の人が 体重以上のものを 持ち運んでいたことになる 農家の人口は圧倒的だから みんな持っていた ということになる 60 kg の米を 扱った人たち この辺では 父ぐらいか

夏の間は 農家はみんな 働いているから 冬に温泉に行ったんだろう 温泉地の冬は 寒い それも並みの寒さじゃない 車のフロントガラスも 凍りつく ヤカンで 水を垂らして 氷をとかそうとすると その水が凍ってしまう あれにはびっくりした 昔の人は 寒さにも強かったんだね 体は小さかったけれど 今想像もできないことをやっていたんだね
 



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