玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

人体最後の道具

2020-03-10 01:05:07 | 健康
 何かを運ぶときはタイヤが付いたものにのせる、とか道具を使ってなるべく楽にできるようにする。直接持っていくのはなるべく避ける。
 肺に集中した毒の排出でも同じだ。血管から外へ排出した毒をまた血管にもどすと体がまいってしまうので毒を分解して血管に取り込んで腎臓からとか、汗にして外へ出す。直接せきして放出するのは疲れる。大きな毒を小さな毒にウィルスが分解の仕事を担当する。
 そのために体はウィルスを作った。ウィルスは外から来るのではなく毒の分解のために体が作っていると考えるとすべて説明ができる。
 毒を酸素のあるところでウィルスに分解させて無害化して血管に再び取りれて腎臓へ持っていったり汗で出す。。

 強烈な毒には強烈なウイルスを作って対抗する。そうしなければ毒にウィルスが負けてしまうからだ。
 体がウィルスを作るのは簡単。ウィルスは生き物ではないただの物質だ。毒に生き物ではいろいろと都合が悪くなるのは想像できる。物質ならまたバラして再利用できる。

 発熱、発汗するのは毒を分解しやすくするため。汗で毒を出す。

 汗で排毒できれば血管に再び毒を取り込む必要はないのでウィルスは作る必要がない。暑くなってウィルスがいなくなる理由だ。体が必要としない。

 もし、発汗が妨げられると、せきが出て直接ウィルスもろとも空気中に放出。体が発汗になれているとせきは出ないのかもしれない。

 せきが出る=汗をあまりかいたことがない

という関係があるかどうか。

 今年の冬は、穀物菜食でも食い過ぎで毒がたまる、ということが良くわかった。
 もともと人体は飢えに堪えられるようになっているらしいので、少し食い過ぎるとすぐに不完全燃焼を起こす。

 しばらく少飲少食にして快調になったところでパーーーーーーッと宴会でもすると、その時はまだ出てくる毒がないので多いに飲み食いできるだろう。食い飽きたらまた少飲少食にして宴会の食い飽きでできた毒を排毒すればお付き合いは最高だ。 
 これは、食物がいつ手に入るかわからない時代と同じ。はるか遠い時代には人は病気知らずで健康だったのか、と思えてくる。
 穀物菜食などできなかった時代には長期の内蔵の休憩を強いられた。ところが便利になった現代人は内蔵、消化器系に関しては、年中無休になっているのでは。
 最初はとても信じられないが、肺は消化器系と同じところから発生している。消化器系の疲労は肺を弱めるのかどうか。その関係なら消化器系を直せば良いような。


コメント
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