玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

丸ごと

2020-03-19 03:58:01 | 健康
 昨年の台風で大減収になってしまい玄米粉を作る余裕がなくなった。玄米粉は小麦粉より微細な粉になって玄米パンを作ることができた。
 今までと同じように、玄米そのものを丸のまま圧力鍋で炊いている。パンを食べようと思わないので簡単だ。丸のままーーーそれが最も簡単で栄養も丸ごと。
 無いなら無いで欲しいとも思わない。消化器がそういうふうになっているので楽。本当にすごいことだ。

 江戸時代の江戸わずらいは、玄米を精米することでビタミンが失われ脚気になってしまうことだ。田舎に行くと治る病気で自分で作り出したもの。みんなでそれをやっていた。
 田舎はろくに精米しないのでビタミンもあまり失われなかった。ビタミンを取ることで脚気は治った。一種の贅沢病という認識だった。

 風邪やインフルエンザ、最近大流行のものも贅沢病だ。穀物菜食人間はかからない、という前提なので、高カロリー食を取った人は江戸時代の江戸庶民のような贅沢の仕方ではない。
 江戸時代は、贅沢はビタミンを失うものだったが、現代の贅沢は文字通りの栄養過多の贅沢だ。粉の文化。

 現代から過去を振り返ると、江戸時代はたいへん貧乏な生活だった、という認識だ。ところが、浮世絵を見るとそうでもないらしいと思えてくる。植物性の贅沢、と思えば、現代から見て不足ばかり目につく。
 普通は現代を過去の延長で考えるので、病気が贅沢の結果だ、とは誰も思わない。贅沢が病気の元だって、馬鹿を言うな、だ。

 植物性と動物性のものすごい違いが見えない。贅沢の結果、それだけのことだが。
 

コメント
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