今回、生命にかかわる重大な決断があっという間に実行された。その結果、全世界が認める最良の結果が出ている。
粒食の成果だ。
玄米は小麦に比べ完全だ。必須アミノ酸をすべて持っている。玄米だけでも充分、元気ですごせる。
自然食レストランでも玄米おにぎりに海苔をつけて少量の味噌でいただくメニューがある。家庭の味そのものだ。それでも、おにぎりは注文しないで副食が多い定食などにしている。
穀物菜食人間はせっかくだから副食をたくさんいただきたいと思っている。体もゆるまってちょうど良い。出かけるといつもと違うことを求める。何か違うことの期待感。
出かけるといっても父は病院で診察、検査してもらうのか楽しみだったが、パタッと行かなくなった。悲壮感たっぷりで通っていたのは、いったい何だったのか。はり薬も効き目がなかったが、お医者様を頼りにしていた。今年は暖冬のおかげかもしれないがピタリ行かなくなった。
最大の感染源には行かないほうが、と言っただけ。
父に限らず高齢者は病院を避けるようになった、と後でわかった。
見事な判断力だ。では、それまでの病院通いは何だったのか、ということはわきにおいても、この決断力はすごい。お医者様を信頼して通って、効果がなかったのにいっしょうけんめい通っていたのに、パタリと。
本能が避けろ、と言ったようだ。
本能は個人の感性の究極だ。粒々で食べる米が個々人の本能を育てる。バラバラで生きる知恵だ。
粒を原形がわかる状態で食べていると個人の本能に磨きがかかる。その本能には草食動物にはない、助け合いの心が追加されている。群れをつくらないでバラバラであるがゆえに。
小麦の粉食に比べ米のごはんはたとえ精米でも粒々が一つ一つわかり、一つ一つのエネルギーがまとまって体の栄養になる、と毎食に経験している。玄米ならバラバラだが足りないものはない。バラバラのほうが良いという考えもすぐに出てくる。まとまるのはうっとうしいの感じは粒食から出ている。
小麦の粉食は原形はわからないほど練り込まれて加工もぐっと複雑、まとまっていて一体化している。ところが、足りないものがありそれは別の食物に求めることになる。まとまって一体化しているのに、まだ、足りない。どうやっても、足りないものがある。これが不安の考えに直結する。足りないものを何かで充足したい、という切なる思い。
満足しているかそれとも不安にとりつかれるか、で分かれる。個々バラバラでも不安がなく満足。
反対に一体化しても満足など無く不安でいっぱい。
この正反対の感覚はすごい違いだ。
粒食では、玄米ならバラバラで行こう、みんなで満足、が既定路線になる。白米でもある程度は。だが、少し不安があるかも知れない。父は治らないとわかっていても不安があるので病院通いだった。
粒食で食べる米、できれば玄米を食べることで独立自尊の満足が得られ、不安がない。白米でも気持ちが落ち着くことは高齢者を見ればわかる。
危機を乗り切ったのは
個別分立で全体調和
簡単に言うと、
個別本能で集団回避
高齢者は粗食で育ったので成人してから白米でも体が丈夫で本能は曇らなかった、ということがわかった。
まとめると、
成長期の粗食で体が丈夫になることはわかっていたが本能も健全になっていることがはっきりした。
粒食の成果だ。
玄米は小麦に比べ完全だ。必須アミノ酸をすべて持っている。玄米だけでも充分、元気ですごせる。
自然食レストランでも玄米おにぎりに海苔をつけて少量の味噌でいただくメニューがある。家庭の味そのものだ。それでも、おにぎりは注文しないで副食が多い定食などにしている。
穀物菜食人間はせっかくだから副食をたくさんいただきたいと思っている。体もゆるまってちょうど良い。出かけるといつもと違うことを求める。何か違うことの期待感。
出かけるといっても父は病院で診察、検査してもらうのか楽しみだったが、パタッと行かなくなった。悲壮感たっぷりで通っていたのは、いったい何だったのか。はり薬も効き目がなかったが、お医者様を頼りにしていた。今年は暖冬のおかげかもしれないがピタリ行かなくなった。
最大の感染源には行かないほうが、と言っただけ。
父に限らず高齢者は病院を避けるようになった、と後でわかった。
見事な判断力だ。では、それまでの病院通いは何だったのか、ということはわきにおいても、この決断力はすごい。お医者様を信頼して通って、効果がなかったのにいっしょうけんめい通っていたのに、パタリと。
本能が避けろ、と言ったようだ。
本能は個人の感性の究極だ。粒々で食べる米が個々人の本能を育てる。バラバラで生きる知恵だ。
粒を原形がわかる状態で食べていると個人の本能に磨きがかかる。その本能には草食動物にはない、助け合いの心が追加されている。群れをつくらないでバラバラであるがゆえに。
小麦の粉食に比べ米のごはんはたとえ精米でも粒々が一つ一つわかり、一つ一つのエネルギーがまとまって体の栄養になる、と毎食に経験している。玄米ならバラバラだが足りないものはない。バラバラのほうが良いという考えもすぐに出てくる。まとまるのはうっとうしいの感じは粒食から出ている。
小麦の粉食は原形はわからないほど練り込まれて加工もぐっと複雑、まとまっていて一体化している。ところが、足りないものがありそれは別の食物に求めることになる。まとまって一体化しているのに、まだ、足りない。どうやっても、足りないものがある。これが不安の考えに直結する。足りないものを何かで充足したい、という切なる思い。
満足しているかそれとも不安にとりつかれるか、で分かれる。個々バラバラでも不安がなく満足。
反対に一体化しても満足など無く不安でいっぱい。
この正反対の感覚はすごい違いだ。
粒食では、玄米ならバラバラで行こう、みんなで満足、が既定路線になる。白米でもある程度は。だが、少し不安があるかも知れない。父は治らないとわかっていても不安があるので病院通いだった。
粒食で食べる米、できれば玄米を食べることで独立自尊の満足が得られ、不安がない。白米でも気持ちが落ち着くことは高齢者を見ればわかる。
危機を乗り切ったのは
個別分立で全体調和
簡単に言うと、
個別本能で集団回避
高齢者は粗食で育ったので成人してから白米でも体が丈夫で本能は曇らなかった、ということがわかった。
まとめると、
成長期の粗食で体が丈夫になることはわかっていたが本能も健全になっていることがはっきりした。