玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

内部で作ったもの

2020-03-08 02:32:06 | 健康
 騒ぎにまきこまれないで良かった、と思っている人が大多数だろう。ほんの一部の人がたいへんなことになっている。
 傍観者と当事者、どうせなら傍観者。当事者になれば疑問がわくだろう。どうして傍観者になれなかったのだろう、なぜ、当事者にならなければならなかったのか。

 若い人は感染しても発症しないらしいが、なぜ、体の中にウイルスがいつまでもいられるのだろう。異物が侵入すれば撃退する、ということになっているが撃退どころか共存共栄だ。
 強烈なウィルスと共に生きる、そういう選択は若いからできるのか。

 冬の間ずうっ喉が痛かった人間は微弱なウィルスか病原菌と綱引きをやっていたのかもしれない。負けそうで。
 喉が痛いと言っていて声もかすれがちなのだからウィルスか病原菌かに負けている。気管支で抑えている。もう少しで肺。かろうじて、の状態だ。

 若い人にはウィルスは悪さをしない、と考えるとつじつまあう。なぜ、ウィルスはおとなしくなってしまうのか、考えられることは、

若い人の出す抗ウィルスか何かの物質に負けて活動できなくなった。
若い人の出す排毒が強烈で、毒に負けて活動できなくなった。
若い人は新型ウィルスを取り込むことができて何かの物質をウィルスから受け取っている。
ウィルスは外から来るのではなくもともと人の体の中にいた。インフルエンザなどは外から異物が来るように見えるが本当は内側から出てくる。

 極わずかの量、量などとはとても言えない目に見えない微小なものが手に着いただけで感染する、ということになると、人体の中はウィルスだらけで同じウィルスどうしで引き合い悪さをする、外の数万倍それ以上のウィルスが人体の内部にいて手引をする、と考えるとピッタリ説明できる。
 中のウィルスは普通は人体にとって害にならない。ウィルスを取り込んでしまうからだ。
 ウィルスは人体が何かの目的があって作ったもの。作ったのだから分解などすぐにできる
 分解できなくなると重症化。なぜ、できなくなるのか。排毒が強いとウィルスはそちらに行って増える。

 若い人はとにかく良く動くので食物も違うだろう。次から次へ排毒して活発に、発散、発散、発散。
 毒が多くなるとウィルスを作って毒の分解をやらせる。毒はウィルスによって血管に再び取り込まれて最終的に外へ出る。消化器系からも出る。栄養を取り込む時と逆。

 このようにウィルスは毒を分解させるために人体が作ったもの、と考えると現象を良く説明できる。
 重症化するのは、再び血管内に取り込むことができない場合、取り込んだは良いがそこから先で炎症を起こした場合、があるだろう。

 それにしても、すごい説明。
コメント
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