本内容は、女性誌『アーユーハッピー?』に掲載された記事を丸写ししたものです。
上智大学名誉教授の渡部昇一さんとジャーナリストの田中順子さんの対談形式になってます。
ご参考までに・・・
「教科書が教えない歴史の真実」
日本の戦後教育を方向付けたアメリカの思惑
田中順子氏(以下、田中) 日本の教科書、特に歴史教科書は自虐史観に基づくものが多く、このような内容を子供達に学ばせていいのか疑問です。日本の教科書が偏向している理由について、渡部昇一先生はどのようにお考えでしょうか。
渡部昇一氏(以下、渡部) やはり、大東亜戦争に敗戦した後ですね、アメリカが、「戦前の日本は全て悪かった」と言うアメリカ側の戦時プロパガンダを日本に押し付けたことが始まりでしょうね。今はもうご存知の方は少ないでしょうが、終戦直後、アメリカは日本を25年間占領するつもりだったのです。その間に日本人から歴史を奪い、露骨な言い方をすれば、ネイティブアメリカンのようにしたかったのだと思いますよ。
田中 日本人の強さは国を愛し、誇りに思う精神性にありました。それを、「日本は悪であり反省しなければならない」と教育しなおすことで弱体化しようとしたのですね。
公職追放令後の穴を埋めた人々
渡部 もちろん、本来ならば、そんな方針は日本が独立回復した時点でなくなるはずでした。ところが、そうならなかった。
田中 それはなぜでしょうか。
渡部 戦後まもなく、公職追放令によって、少なく見積もっても約20万人、戦時中に要職についていた人たちが職を追われました。そして、その空いたポストに、戦前、コミンテルン(1919年にモスクワで結成された共産主義の国際組織)の一員であったか、あるいは左翼同情的であったために、主な大学から追われていた人たちがドッと入ってきたのです。
戦時中、特高(特別高等警察。戦時下の日本で反政府・反国家的活動を取り締まっていた秘密警察)に付きまとわれて不愉快な思いをした人たちですから、戦前の日本のいいところなど絶対に認めなくない。そうした人たちが突如として、東京大学や京都大学、一橋大学といった主要大学の総長になっていたわけです。
田中 日本の思想の中心となる、学問や言論のトップが、左翼思想家に独占されていたわけですね。
渡部 彼らが主要大学の主要ポストを占めたために、その大学の教授達はもちろん、日本中の学校で歴史や社会科に関係する学部が共産主義に“赤く”染まってしまいました。さらに、高等学校以下でも、学校の先生になる人は素直な人ばかりでしたから、日教組も左傾化して、後はもう、その惰性で来ているわけです。
東大法学部の影響
田中 戦後65年以上経ち、海外との交流もありますから、価値観が多様化しているはずです。それでも、この左翼教育の流れを止めることができないのでしょうか。
渡部 つまり、こういうことです。 東京大学の法学部と言うのは、明治政府が新しい国造りをするためにつくった大学の法学部であり、他の大学の法学部と同じではないのです。
田中 権威中の権威であったわけですね。
渡部 そうです。東大法学部と陸海空軍が中心となって新しい日本を造る、という位置づけであったのです。
その東大法学部の憲法学の教授の宮沢俊義先生が、“占領基本法”とも言うべき今の憲法を合法的であるといった。当初は、日本の憲法は明治憲法のままで言いと仰っていましたので、おそらく、誰かが囁いたんでしょうね。「あなた、そんなこと言っていると公職追放になりますよ」と。
教育・マスコミ界に流れる左翼思想
渡部 また、東大法学部の国際法の教授の横田喜三郎先生は、東京裁判(※1)の翻訳官も務めた方ですが、「東京裁判は国際法の精神に適っている」と言いました。そんな人は世界でただひとりといっていいでしょう。
田中 東京裁判は戦勝国が事後法(実行された時点では適法であった行為を後に犯罪であると定める法律)で敗戦国を裁く、一方的な「勝者の裁き」であるという批判がある中で、合法だといったのですか。
渡部 それから、東大の総長であった南原繁先生は、サンフランシスコ条約(※2)の調印に反対しました。つまり、日本の独立に反対したということです。何故か。スターリンがそう望んだからです。
田中 つまり、そうした日本を代表する“権威”の先生方の思想が、そのまま受け継がれているということですね。
渡部 そうです。東大に入学して、彼らや彼らの弟子の教えを繰り返し受けた秀才達が、その後、高級官僚や外交官になり、朝日新聞やNHKに入社し、いろいろな大学の教授になっているのです。
田中 権威であっても、必ずしも正義ではないことを知らなければいけませんね。
(※1)連合国が日本の指導者らを裁いた裁判。戦勝国側の行為は全て不当だったことや国際法に基づいていないことなどが批判されている。
(※2)連合国と日本の間で結ばれた平和条約。これをもってGHQの占領が終了し、日本は主権を回復した。
マッカーサーは、大東亜戦争は戦略戦争ではなかったと認めていた
田中 この日本に流れる左翼思想を止める方法はあるのでしょうか。
渡部 一番いいのは、マッカーサーの言葉を引用することです。。
「日本は悪い国である」と正式に決め付けたのは東京裁判のみであり、その東京裁判の責任者はマッカーサーです。連合国から全権を委任されて、マッカーサーが裁判条項を決めて行ったのが東京裁判です。
そのマッカーサーが、朝鮮戦争(※3)を経験したことで、大東亜戦争での日本の主張が正しかったことを理解したんですね。
田中 日本が開戦に踏み切ったのは、単に侵略が目的だったのではなく、ソ連の南下への警戒や南方の海上補給路の確保といった自衛の目的もあった、ということですね。
渡部 マッカーサーはアメリカに帰国した後、1951年5月3日に、上院軍事外交合同委員会で証言したのですが、その中でこう述べています。
“Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.”
「しかるがゆえに、彼ら(日本人)が戦争に入った目的は、主として安全保障のために余儀なくされたことであった」と。要は、「日本にとっては自衛戦だった」と証言したのです。
田中 戦勝国側の発言ですから、その意味は大きいですね。
(※3) 1950年に、成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民主主義人民協和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡って勃発した国際紛争。
マッカーサーの言葉を教科書に
渡部 私は、日本の全ての教科書に、このマッカーサーの証言を原文のまま載せるべきだと思うのです。
これは当時「ニューヨーク・タイムズ」にも全文掲載せれました。ところが、日本でこれを発表したマスコミはほとんどありません。わずかに、土佐新聞と佐賀新聞の読者の投書欄に出たのと、私が書いていた山形新聞のコラムだけです。
田中 侵略国家と決め付けられた日本の名誉を回復するために、本来なら大々的に報道されるべき内容ではないでしょうか。
渡部 ある出版社に、このマッカーサーの言葉を教科書に載せてはどうかと提案しましたが、文部科学省が許可しないのだそうです。文科省の官僚も東大で勉強して偉くなった人たちですから、大学で習った歴史観がなかなか抜けないわけです。
つづく
次回『日本を一つにまとめた神武天皇の詔』