夏休みですね~
お子さん達は、節電の猛暑休みだけどきっと満喫している事でしょう。熱中症にはくれぐれも水分塩分補給でお気をつけ下さい。
ところで小中学校では、教科書の制作会社によっては今だに歴史教育がかなり偏向しているのを、ご存知でしょうか?
もちろんテストでは教わった事を憶えるのが先・・・
でも、子供たちは教科書を真実と信じこんでしまいます。
いろいろあって大人の人たちが中国や韓国に遠慮してこんな教科書にしてしまったし、先生達も教科書どおりに教えるけど、本当はこうなのよと
ちょっと豆知識を入れてお子さんと話し合ってみてはいかがでしょう
まずは、私たち大人が国を誇りに思う見方を取り入れ子供達に教えてあげたいですよね。
【太平洋(大東亜)戦争】
1937年~45年日本が連合軍と戦った戦争。様々な解釈があるが、ここでは日中戦争を含む。
保守史観(国を誇りに思う史観)
「日本が戦争を始めた目的は、主として安全保障のためであった」
(1951年5/3、マッカーサー元帥、アメリカ上院軍事外交委員会での発言)
亡国史観
「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に落とし得れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました』
(1995年8/15、村山富市前首相の談話)
【慮溝橋事件】
1937年7月、北京西南の慮溝橋で、日本軍に向けた銃声を機に、日本軍と蒋介石の国民党が衝突した事件。日中戦争(シナ事変)が始まるきっかけとなった。
保守史観
日本軍に発砲したのは、国民党軍の中に紛れ込んだ中国共産党のスパイだった。ソ連のコミンテルンが中国共産党を利用して、日本と国民党軍を戦わせ、両者を弱めようとした。
亡国史観
東京裁判では、「日中戦争の一連の出来事は、すべて日本軍の陰謀によって引き起こされた」という判決が出ており、この事件も日本側から仕掛けた印象が広がっている
【南京大虐殺】
1937年12月、南京で日本軍が多数の中国人を無差別に殺害したとされる事件。東京裁判で突然出てきた話。中国側は『死者30万人』と主張している。
保守史観
日本軍が戦ったのは、平服に着替えて市民に紛れ込んだ中国のゲリラ兵。裁判の証拠は伝聞情報ばかりで、証言に立った当時の南京を監視していた国際委員会のメンバーは殺害の目撃件数を「一人です」と答えた。
亡国史観
もちろん組織的な大虐殺が行われました(中略)。今のところ私たちの研究会では『十数万から二十万人前後だろう』という風に考えられております。(ジャーナリスト・本田勝一『本田勝一の戦争論より)
【従軍慰安婦】
1983年、日本軍の元兵士が、軍の命令で朝鮮人女性を強制連行して売春させたと告白。現在それが作り話と認定されているが、マスコミが騒いだため、日本軍は組織的に女性を誘拐したような印象が広まった。
保守史観
各国の軍隊が、戦地での兵士の犯罪を減らすために売春を管理していた事は、当時の国際常識。なかでも日本軍は、誘拐などの悪質な手法で女性を集める業者を雇わないように厳しくチェックしていた。
亡国史観
「(従軍慰安婦問題について)当時の朝鮮半島はわが国の統治下にあり、その募集、移送、管理なども、甘言、強制による等、総じて本人達の意志に反して行われた」(1993年8/4、河野洋平官房長官の談話)
1941年12/8、日本がハワイの真珠湾を攻撃し、日米開戦となった。在米日本大使館の不手際で、宣戦布告の前に攻撃が始まり、アメリカは『奇襲攻撃をする卑怯な日本人』と世界に喧伝した。
保守史観
開戦前日の夜、ワシントンの日本大使館員が同僚の送別会で大使館を空にした。本国からの電報に気づくのが遅れ、アメリカへの国交断絶の通告が開始から55分後になった。東京裁判でも、日本に事前に通告する意志があったと認められている。
亡国史観
「日本政府は意図的に、継続的な平和への希望に向けた偽りの声明によって、アメリカを欺こうと努めてきた。この計画的な侵略行為を克服するのに、アメリカ国民は完全な勝利を勝ち取るつもりだ。(1941年12/9 F・Dルーズベルト大統領、議会への対日宣戦布告要請演説)
真珠湾攻撃は、むしろアメリカから日本が攻撃するように仕掛けていた・・・・とかテレビでも言っていたような・・・。とにかく亡国史観のような教育を何十年と学校でし続けるのは、おかしな話です。
【東京裁判】
1946年、日本の指導者の戦争犯罪を裁くために連合国側が開いた『極東国際軍事裁判』。A級戦犯25人のうち7人が死刑になった。インドのパル判事が、日本側25人全員の無罪を主張した事は有名。
保守史観
「復讐の欲望を満たすために、単に法律的な手続きを踏んだに過ぎないようなやり方は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い。こんな儀式化された復讐は、瞬時の満足感を得るだけのものであって、究極的には後悔を伴う事は必然である」(パル判事の判決文)
亡国史観
「わが国は、(中略)極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係において、この裁判について意義を述べる立場にないと考えています」(外務省HPより、同裁判に対する日本政府の見解)
【歴史教科書問題】
1982年6月、文部省(当時)が、教科書検定で中国の華北への「侵略」を「進出」に書き換えさせたと、新聞・テレビ各社が一斉に報じた。これは語法だったが、日本政府は中国や韓国の講義を受けて謝罪し、外国が教科書の内容に口を出せる『近隣諸国条項』を設けた。
保守史観
当時、文部省の記者クラブ加盟社は検定に合格した各教科書を分担してチェックしていた。誤報の原因は、その過程で実教出版の「世界史」を担当した日本テレビの記者が「文部省が書き換えさせた」と誤って、加盟社に報告した。
亡国史観
「韓国、中国より、こうした点に関するわが国教科書の記述について批判が寄せられている。わが国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に充分に耳を傾け政府の責任において是正する」(1982年8/26、宮沢喜一官房長官の談話)