【民主と北朝鮮】浜岡原発に垣間見える菅と北の「光と影」
菅直人首相が突如、退陣表明した一因として、この連載が徹底追及している在日韓国人からの違法献金問題や、北朝鮮絡みの献金疑惑の存在が指摘されている。
私(田村建雄)が、取材で入手した「市民の党」の前身「立志社」の機関紙「新生」をめくっていると、気になるタイトルの記事があった。「止めるしかない浜岡原発-老朽化と原発震災の危険」(2002年5月30日号)だ。
同年5月、中部電力浜岡原発で緊急炉心冷却システム系の配管から冷却水が漏れたことを受けた記事で、老朽化が進む浜岡1号機と2号機の稼働に警鐘を鳴らし(08年に1、2号機は廃炉)、同原発が東海大地震の予想震源区域の真上にあるとして、運転を停止すべきと訴えていたのだ。
同紙の主筆は、菅首相と30年来の友人という「市民の党」のS代表が務めており、同紙には菅首相や、よど号ハイジャック犯の故田宮高麿元リーダーも寄稿していた。
くしくも、菅首相は東日本大震災から約2カ月後の今年5月6日夜、緊急会見を開き、「国民の安全安心を考えた結果の判断」として浜岡原発への停止要請をしている。
そして、菅首相は今月6日、広島市で開かれた「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)のあいさつで、原爆犠牲者を悼み、「核兵器の廃絶」を訴えた後、「原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指していく」と、「反核」と「脱原発」を並べるように語っていたのだ。
機関紙を読みながら、私は1冊の本を思い出した。よど号犯の妻で、北朝鮮の平壌近郊にある日本革命村で、日本を「金日成主義化」するための革命教育を受けていた八尾恵氏の自著「謝罪します」(文芸春秋)だ。
同書によると、前出の田宮リーダー率いるよど号グループは1977年ごろから、ウィーンで反核運動のミニコミ誌を作る団体を隠れ簑にした活動を始めた。反核の市民運動を利用して自分たちのシンパやメンバーを作ろうとしたという。
グループが反核運動を始めたのは、金主席の「世界から核兵器を廃絶しなければならない」という論文に基づいたもの。その後、この活動は東大の学生らも巻き込み、日本で続けられた。
こうした反核活動を主導した裏で、北朝鮮はひそかに核兵器開発・核武装を進めていたのだ。
八尾氏は「北朝鮮はアメリカの核という圧倒的な軍事力におびえていたので、それに反対しようとしていました」「(核武装廃絶は)人道的な見地や地球を破壊から救おうという願いから出たものではなく、北朝鮮の政治的立場を有利にしようという目的しかもたない主張でした。『よど号』グループは、そういう北朝鮮の政治的な意図をも実現しようとしたのです」と明かしている。
(ジャーナリスト・田村建雄)
2011.08.17 ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110817/plt1108170905000-n1.htm