一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

囚人のジレンマ

2008-05-27 | コンプライアンス・コーポレートガバナンス

toshiさんの昨日のエントリ内部統制報告制度と財務諸表の適正性確認義務との関係で、面白い話がありました。

財団法人日本証券経済研究所のHPに、ある金融庁(総務企画局)企業開示課長のM氏の講演録の話

「ストレートに言いますと、『内部統制は一切やる気がないので整備しませんでした。したがって内部統制には重大な欠陥があります。なぜなら、当社は上場したばかりで、コストもかかるし、赤字になって、会社にとってはマイナスだ。自分の営業スタイルは、こうすることによって粉飾決算を防ぐことができます』、こういうことが宣言できれば、そのとおりありのままに書けば、内部統制報告としては合格でございます。」

「気をつけていただくのは、その場合、内部統制には欠陥があるので、財務諸表が正しいかどうかというのは別途考えなければいけないので、『財務諸表には粉飾がありません。正しいんです。』ということは、経営者はどこかで説明をしないと、みんなは納得しないでしょう。その意味で経営者は必ず内部統制を整備すると思います。ただし、そのことと金商法24条の4の4とは法律的には別のことです。」

というくだり、について、toshiさんも疑問を呈しておられます。

私も素朴な疑問として、財務諸表の正確さについてどこかで(合理的に)説明できるのであれば内部統制を整備できているといえるわけで、その経営者が「内部統制には重大な欠陥があります」と公表すること自体がおかしいんじゃないだろうかと思いました(それってマイナス方向の誤解を誘うという意味で虚偽記載ですよね。)。
また、そもそも意図的に内部統制を整備しないとか重大な欠陥があると認識したうえで放置するというのは経営者にとっては(先に自社株を空売りしているのでない限りは)経済合理性がないように思います。

M課長のような例があるとしたら、合併かなにかで監査法人が変わるなどして今までのやり方がダメと言われたなど、監査法人から非常に厳格な基準を要求されて、「そんなのやってられまへんわ」と逆切れしたときぐらいではないかと。


で、そもそも何でこういう妙な議論が出るのかなと考えてみました。
本来そもそも「内部統制の整備」と「財務諸表の正確性の合理的な説明」というのは取締役レベルでは同じことのはずだと思うのですが、そこに監査証明という他人の目がはいることで「監査証明が出ない=内部統制に重大な欠陥がある」と遡及的に評価がされるあたりがややこしくなってしまうもとなのではないかと思います。
事前に問題は教えてあるから百点満点をとらなければいけないという試験だけど、採点する試験官には裁量の余地が残っているぞ、と脅かされているようなものですね。

ここが構造的には一種の「囚人のジレンマ」状態になっています

・お互いに評価基準が厳しいとコストばかりかかってしまう
・不正が発覚しない限りはお互いに評価基準を厳しくしない「協調戦略」が有効
・ところが片方が厳しい評価をして片方が甘い評価をしたときに不正が発覚すると、甘い評価をした方がより大きな処分を受け、場合によっては廃業とか上場廃止になってしまう。
・なので、相手を信用した場合のリスクが大きく、自己の損失を最小化するためには相手を信用しない戦略が有効

従来の会計監査も同じ構造なのですが、何しろ初めてだということ、評価が主観的なものにならざるを得ない部分が多いこと、さらに金融庁や証券取引所の「厳罰化リスク」(この意味では対金融庁のゲームでもあります)があり、「やってみないとわからない」というあたりが、MAX-MIN戦略をとらざるを得なくしているのではないかと思います。

「囚人のジレンマ」構造のゲームでいろんな戦略同士をコンピュータで戦わせた結果、(ゲームを複数回繰り返す場合の)一番有効な戦略は「オウム返し戦略」だったそうです。
これは、最初は協調から入り、相手が裏切った場合次の回では裏切りをする、というものが一番高得点になったそうです。

それと同様に最近の金融庁もあの手この手で「協調」のメッセージを送ろうとしているのかもしれませんが、企業や監査法人が今回のメッセージがが「最初の一手」と思うか、「この前裏切られたからなぁ」と思うかが微妙なところではあります。


コメント (2)
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