クラシック音楽にたいして興味が無い人でもモーツァルトの名前ぐらいは聞いたことがある人が殆どだろう。音楽もパッと思い出せなくても、聴けば、「あ~、あの曲はモーツァルトだったんだ」とわかる曲を多く遺している。そんな彼の本名はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。この名前のミドルネームに当たる部分をタイトル化した映画が今回紹介するアマデウス。幼少の頃から既にピアノを弾き、6歳で既に作曲を始める等、神童の名を欲しいままにし、そして35歳で夭折するまで現代においてもクラシック愛好家から評価の高い曲を作り続けたモーツァルト。そんな彼の非常に興味深い伝記映画ではなく、ブロードウェイの舞台を映画化した作品。
本作の面白いところは数多く流れてくる美しいモーツァルトの曲の数々だけではなく、人間として欠陥だらけに描いているところ。そして、そんな天才に対する対決軸として凡人を配して比較しているところが更に興味を引き立てる。凡人であるが故の苦しみ、悲しみが描かれているだけでなく、天才であるが故の脆さが描かれているあたりが、本作の真骨頂。耳障りの良さだけを描いているのではなく、他にも色々なテーマを内包しているように名作としての条件を揃えている作品だ。
それでは天才と凡人の対決を描いたストーリーの紹介を。
ある冬の夜。老人が「モーツァルト、許してくれ!君を殺したのは私だ」と叫びながら、首を斬って自殺を図る。老人の名前はアントニオ・サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)。精神病棟に送り込まれたサリエリは若き神父に自らとモーツァルト(トム・ハルス)との出来事を回想し語りだす。
オーストリア皇帝ヨーゼフ2世(ジェフリー・ジョーンズ)に仕える宮廷作曲家であったサリエリは、かねてから神童と評判のモーツァルトの開催する音楽会を見に行き、彼がいか程の者か自分の目で確かめようとする。実際に確かめると、あまりにも想像とかけ離れていたことにショックを受ける。変な笑い声を挙げながら、女性を追いかけまわし、下品さを露骨に表していた。
しかし、サリエリは外見とは全く異なるモーツァルトの音楽的才能に驚愕する。そして、神に敬虔な生き方をしてきたサリエリだったが、自分の信じる神がモーツァルトのような下品で失礼極まりない人物に音楽的才能を与えてしまったことに苦しみ、嫉妬を抱き、モーツァルトに猛烈な復讐を浴びせていく・・・
サリエリが凡人の代表として本作で描かれているが、宮廷作曲家にまで登りつめているだけに決して不幸な人生を歩んできたようには思えないし、むしろ音楽の才能はあった方だろうなんて俺がサリエリに嫉妬してしまいそうになった。しかし、彼が俺以上に嫉妬深い人間として描かれている。神々しい音楽を次々に作り出し、しかも即興で作り出す恐るべき才能を何の努力も研鑽も積まずに持ってしまったモーツァルトに、音楽家として明らかに劣っていることを痛感してしまう苦しみ、そしてモーツァルトから小馬鹿にまでされてしまう始末。ここの描き方は、古い時代、古い有名人を描きながら嫉妬によって人生を狂わしていく現代にも通じるメッセージ性を強く感じさせる。特に本作は西洋人らしい宗教的観念をぶち込んでくる大袈裟な演出が効果的で、サリエリの苦しみが痛いほど伝わってくる(まあ、そうでもない人も居るっか)。サリエリを見ていると、凡人は凡人らしく生きることの大切さ。そして、自分の価値を他人と比較することの無意味さがわかる。
歴史が証明するが、意外に天才とは脆くもあり、早くに消え去っていくものである。これは世界史だけではなく、日本史においてもいえることである。凡人の方が結構しぶとく生き残っていくものである。俺も今まで天才に憧れていたのに、何だか天才かどうかなんてどうでも良くなった。そして、アマデウスというのがラテン語で「神に愛された」という意味があることを知って、ヘェ~なんて驚きと同時に勉強にもなった。
映画ならではのオペラシーンは楽しめるし、モーツアルトの美しい曲の数々に気分が害されることなく良い気分になったり、豪華セットが楽しめたり、観る人によっては更なるテーマ性を見つけ出したりできるような感想を持てる映画として今回はアマデウスをお勧めに挙げておこう
監督はミロス・フォアマン。本作は名作としての誉れが高いですが、カッコーの巣の上でも名作です。そして宮廷画家ゴヤは見たも西洋史の恐ろしさを知れる映画として見応えあります
本作の面白いところは数多く流れてくる美しいモーツァルトの曲の数々だけではなく、人間として欠陥だらけに描いているところ。そして、そんな天才に対する対決軸として凡人を配して比較しているところが更に興味を引き立てる。凡人であるが故の苦しみ、悲しみが描かれているだけでなく、天才であるが故の脆さが描かれているあたりが、本作の真骨頂。耳障りの良さだけを描いているのではなく、他にも色々なテーマを内包しているように名作としての条件を揃えている作品だ。
それでは天才と凡人の対決を描いたストーリーの紹介を。
ある冬の夜。老人が「モーツァルト、許してくれ!君を殺したのは私だ」と叫びながら、首を斬って自殺を図る。老人の名前はアントニオ・サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)。精神病棟に送り込まれたサリエリは若き神父に自らとモーツァルト(トム・ハルス)との出来事を回想し語りだす。
オーストリア皇帝ヨーゼフ2世(ジェフリー・ジョーンズ)に仕える宮廷作曲家であったサリエリは、かねてから神童と評判のモーツァルトの開催する音楽会を見に行き、彼がいか程の者か自分の目で確かめようとする。実際に確かめると、あまりにも想像とかけ離れていたことにショックを受ける。変な笑い声を挙げながら、女性を追いかけまわし、下品さを露骨に表していた。
しかし、サリエリは外見とは全く異なるモーツァルトの音楽的才能に驚愕する。そして、神に敬虔な生き方をしてきたサリエリだったが、自分の信じる神がモーツァルトのような下品で失礼極まりない人物に音楽的才能を与えてしまったことに苦しみ、嫉妬を抱き、モーツァルトに猛烈な復讐を浴びせていく・・・
サリエリが凡人の代表として本作で描かれているが、宮廷作曲家にまで登りつめているだけに決して不幸な人生を歩んできたようには思えないし、むしろ音楽の才能はあった方だろうなんて俺がサリエリに嫉妬してしまいそうになった。しかし、彼が俺以上に嫉妬深い人間として描かれている。神々しい音楽を次々に作り出し、しかも即興で作り出す恐るべき才能を何の努力も研鑽も積まずに持ってしまったモーツァルトに、音楽家として明らかに劣っていることを痛感してしまう苦しみ、そしてモーツァルトから小馬鹿にまでされてしまう始末。ここの描き方は、古い時代、古い有名人を描きながら嫉妬によって人生を狂わしていく現代にも通じるメッセージ性を強く感じさせる。特に本作は西洋人らしい宗教的観念をぶち込んでくる大袈裟な演出が効果的で、サリエリの苦しみが痛いほど伝わってくる(まあ、そうでもない人も居るっか)。サリエリを見ていると、凡人は凡人らしく生きることの大切さ。そして、自分の価値を他人と比較することの無意味さがわかる。
歴史が証明するが、意外に天才とは脆くもあり、早くに消え去っていくものである。これは世界史だけではなく、日本史においてもいえることである。凡人の方が結構しぶとく生き残っていくものである。俺も今まで天才に憧れていたのに、何だか天才かどうかなんてどうでも良くなった。そして、アマデウスというのがラテン語で「神に愛された」という意味があることを知って、ヘェ~なんて驚きと同時に勉強にもなった。
映画ならではのオペラシーンは楽しめるし、モーツアルトの美しい曲の数々に気分が害されることなく良い気分になったり、豪華セットが楽しめたり、観る人によっては更なるテーマ性を見つけ出したりできるような感想を持てる映画として今回はアマデウスをお勧めに挙げておこう
監督はミロス・フォアマン。本作は名作としての誉れが高いですが、カッコーの巣の上でも名作です。そして宮廷画家ゴヤは見たも西洋史の恐ろしさを知れる映画として見応えあります
凡人の悲しさが伝わってくる映画で、凡人以下の僕には感銘する映画でした。
この映画で クラシック音楽も 好きになったような記憶があります。映画は 好きで 音楽も 記憶の残るものが 少しあります。
あの頃 聞いていた音楽は ロック フォークかなぁ。(ストーンズ 松山千春 ほか)
テレビ時代で アイドル全盛期で アイドルの歌が いろんなところで 流れている時代でした。音楽というもの 先入観 人生の影響もありますね。人間関係においても いいものを知っていたほうが 徳ですね。あまり僕は 詳しくないけれど。
映画の内容は 記憶に うすいところもありますが、天才モーツアルト かわいそうでもあったし 調子にのりすぎみたいな~
サリエリは 自分との戦いで 素晴らしい作品を 生み出して欲しかったですね。正々堂々とがんばって 紳士でいてほしかったですね。