枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

うそつき・・・

2012年09月21日 | Weblog

 アシモフの『我はロボット』に、嘘つきロボットの作品がある。人間の造った物故、人間のことを優先し、且つ、自分を守らねばならず、加えてそのどちらかを選ばねばならない。人間は、平気で嘘をつくが、ロボットには嘘がつけないのだ。電子頭脳がショートする。

 人間は、電子頭脳はないから、ショートすることも、壊れることもなく嘘がつける。殺人をして、精神鑑定を受け、狂った真似もできる。良心の欠片もなく、あるのは不気味さ。法律に基づく弁護であっても、否応無しに悔しさがこみ上げる。

 神は、正しい者の味方である筈。それなのに、存在すら疑うような判決に、虚しさが残る。庶民は消費税を払わされ、強制的に決行されることには何もできない。然し、原発だけは再稼動させてはならない。広島や長崎の、福島の二の舞を繰り返すな。

 第五福竜丸の事故も、スリーマイル島の、チェルノブイリのことも含めて、地球を守らねばならない。私たちの棲まう、美しい青い星だからだ。戦争をしないと、産業が発展せず、国は貧しくなる一方なので、武器を売って儲け、殺し合いをさせている。

 旧暦で暮らしをしていると、些か遅れているような気が、するかも知れぬ。急いで、快適な暮らしに走って、いいことはない。新記録を出せば、より以上に上がある。努力はせねばならぬが、楽しむことから遠く離れる気がする。

 中秋の名月も十三夜も、各々1ヶ月、早過ぎる。風流を解せぬ、と感じてしまう。歴史は、旧暦の中で生きている。平家が源氏に敗れたのにも、その旧暦での読みが浅かったためだ。新暦では辻褄が合わず、納得できない箇所が多い。

 菅原道真。梅の香に、偲んでしまう。白梅に、藤壺と光源氏の想いの深さを思う。

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