数多の星が瞬く宇宙は、大気が澄んでいるので、肉眼で観える数が増える。都会を抜け出しての観望なら、寒さも忘れる星の数だろう。田舎では自然の中が当たり前で、観えないことの方が不思議である。いやいや、寒いからと外に出ない。
子どもの遊び事態も、著しい変化があり、外で遊ぶことがない。却って、子どもが居ると、びっくりする。子どもは風の子といった時代は、遠い昔のことで、テレビ中心であり、一人遊びが多い。でも、淋しくないのかなぁ・・・、不満がないのかしら。
雪の降った朝、どうしても滑りたいと駄々を捏ねたら、祖母が竹を伐って来て、焜炉に入れた炭火で焙り、緩やかに先を曲げて、足に合うようにスキーを作ってくれた。靴を履いたままで、古布を捩って止める。雪が溶けるまで何度も滑った。
その結果。手足は霜焼けになり、風呂に入って痛く、春先には痒くて泣いた。それでも懲りずに翌年も同じ事に。尤も、竹製では保たないので、その都度祖母を拝み倒す。自分で作れないのが癪であった。器用さにも、祖母には適わないもの。
スキーやスケートに関心があったのではなく、家の傍で遊べるから遣ってみたかったのだ。それに、そういった遊びを誰もしていなかった。優越感があったのも否めない。祖母は、厭きもせずに遊ぶ孫の姿を見て、何を思っていたのだろうか。
羽子板や毬突き、人形遊びをしていてくれた方が、どんなに可愛く見えただろう。おとなしい兄に比べて、とため息をついていたのかも。母の小言は、耳に蛸が数珠つなぎだった。それでいて勝ち負けには弱く、自分の世界で満足していた。
様々な書物を読むにつけ、その書かれていることの真実に触れ、自分を省みて悩み、悔やむことが多かった。迷う路もあれば、茨の道が殆んどで、行先の怪しさに、佇むことも少なくなかった。幸せを絵に描いたような生活ではなかった。
然し、自分自身での納得では、これでよかった。と想えるのだ。誰の援けも借りず、独りでできることを遣り、凌げる範囲を守ってきた。友達と言える者は少ないが、信頼の度合いは深いもの。騙すより騙される方でいい。天知る地知るである。
初夏の日差しの中に咲いた、可憐な白い花。たくさんの実が生ったよ。孫等が、美味しいと頬張っていた。