枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

落語カレンダー

2014年01月26日 | Weblog

 昨年、万年カレンダーという、落語のを求める。日替わりで、噺が変わるのだが、中々覚えられない。まあ、噺をしようと思うんですね。あれっ?次はなんて言うんだっけ。それを毎日繰り返しているのだ。人前で喋るなど、思いの外難しい。本業よりタレント家業が儲かる。

 古典落語を、時折聴きに行く。夕方からですが、昼間にしてもらいたいものだ。夜道は危ないんですな。眼がよく見えません。何より、眠くなるのが辛い。CDを買っているが、DVの方がいいようだ。料金的にはあんまり変わんないが、贔屓にしている噺家に、生で遭えない。

 年末も後数日でお正月だ。旧正月には、1時間ちょいかけて初詣に出かける。暦に縁る二十八宿では、井戸掘り、植え替え、建築、改築や、学問初め、治療初め等、様々な吉凶を記してあるが、西洋暦になっていることから、気にも留めない。科学的根拠がないそうだ。

 自然に基づいたことなので、天気や眼には視えない物への配慮に欠ける。心理的なもの、内面の動きに、敏感になること。人間の持つ五感に、第六感を加えること。風の匂いや、雲の動きや、或いは雨や雷、季節の天気にも、そういった想いを抱いてみれば面白いもの。

 自然と語らうことは、自然からの最大限の祝福であり、恩恵を受けること。古く昔から、人間は教えてもらってきた。ところが、機械に頼り始めて、人間の在り方を失念したのだ。煩わしいことや、めんどくさいことは省き、手軽で簡単な操作を求めた。原発で滅亡するのに。

 身体を病む原因には、自分以外の物に頼り過ぎるからだ。感覚も、体も麻痺する。人間の持つ自然治癒能力を、援けれない方向に、止められない道標に向う。誰かが、右と言ったらその方向に往き、二度と後戻りはできない、とわかっていても、破滅の路を進んで行く。

 師走も、数日を残すことになり、お正月が近い。旧暦では、これからが睦月です。新暦と旧暦とのずれがあり、閏月が入ったりしてくると、結構ややこしいが、時間に急かされず、ちょっと深呼吸ができたりもする。勤務中には西洋暦で、休日は旧暦でのんびり過ごす。

 夕顔。闇の中に浮かんで咲く。その香りには圧倒される。艶やかであり、白い気品も感じる夕顔。毎年、種を蒔き育てる。

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