旧暦での行事には、自然を中心とした生活があった。然し、それは素朴で援け合う暮らし名上に、自給自足だったり、物々交換であったりの、貧しい生活でもあった。冬の時分には、炭焼きをする人が居り、猟をする人等が山に居た。遊び半分ではない、暮らしの糧だ。
貧しい農家でも、古米や野菜、漬物等と交換して、炭を買っていた。親切な人であれば、山鳩や雉を持って来てくれた。祖母の綯う縄は、誰のよりも頑丈で、滅多なことでは切れなかったから、損得抜きであったのかもしれない。何をするにも、その人と成りが現われる。
介護の仕事って何だろう。お世話をするだけだろうか?年齢を重ねれば、できていたことができなくなる。できていてもゆっくりになる。見ている方はまどろっこしい。でも自分も往くのである。辿る方向に多少の差はあっても、行き着く先は同じだ。邪険にはできないでしょ。
可愛い高齢者って、必要でしょうか?何かと言うと、かわいい、という言葉で片付けるが、それは違う。自分の孫のような者に、二言目にはかわいい、と叫ばれる。それってすっごく厭だね。中には、言われてうれしい者も居るらしい。本当だろうか?哀しすぎるじゃない。
祖母は、数ヶ月寝込んだが、気力的には排泄に、這ってでも行った。亡くなる1週間前には、おまるにしていた。気丈さはたいしたもので、おむつは直前まで当てさせなかった。次第に食が細くなり、最後には何も食べなくて、水差しを口に含んでも、湿らすだけだった。
尤も、往診を頼むお金もなかったから、じっと横たわっていただけだ。夏の間、汗が出るのを、母が井戸水で拭いていた。自分の死を覚悟していたから、お棺を担ぐ時の草履も仕上げ、死装束も準備して、母を頼り切って亡くなった。人間の死を間地かに見て、胸が震えた。
わたしには、それだけの覚悟がない。事故が起きれば、突然に死ぬ。助かったとしても、様々な症状が残る。長く生きていると病の症状が増えるもの。それらと上手く付き合い、騙しあって生きて逝きたいものだ。生かされていることの意味を、初めから考えてみよう。
自然との暮らしで、旧暦を活用していると、気分が落ち着くことがある。西洋暦ではない、日本に独自に遭った生活が送れる暦には、二十四節気を始め、様々な風習がある。食の文化もある。体にとっての健康には、四季折々の旬の物がありがたい。もったいない。
昨年には咲かなかった、薄桃色の百日紅。夏の夕昏に、月が昇っている。満月が近いのか明るい。