枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

空気が緩む・・・

2014年01月15日 | Weblog

 小正月、小豆粥を戴く。お粥も様々であるが、おせち料理や雑煮に厭きた頃、小豆粥はさっぱりとして旨い。塩で味付けしただけだが、小豆の風味が鼻腔を擽る。貴重な小豆を煮る母の姿も思い出す。炭を熾し、小豆を鍋に入れて茹でる。何度も水を差して仕上げる。

 前日からしているので、明日は小豆粥だとわかる。夕飯が待ち遠しい。然し、いざ食べ始めると腹は満足しない。育ち盛りには物足りない。祖母にとっては、戦時中のことが偲ばれるのか、贅沢を言う、と叱られた。食べれることに感謝することも大切だと小言をもらう。

 子どもの頃がよかったとは思えぬが、祖母や父や母が、元気で居た頃が懐かしい。古里の朽ちていく家屋を眺める度に、心が震えるのだ。何時しか幾重にもなる襞に刻まれる。あの頃には還れないことも、今更ながら思い出させる。故郷は遠くにありて思うものの心境。

 夕方には、気温が少し上がったのか、曇り模様になっていた。重く垂れ込める雲の間に、月と木星が具間観える。木星の模様も、望遠鏡を覗けばその特徴が愉しい。今年は、火星の接近もある。皆既月食も観えるようだ。然し、自然を相手にしては、天気次第でもある。

 ソロモンの偽証、Ⅱ巻目を借りに行く。Aさん家に寄って水を戴き、閉館10分前に滑り込む。館内から馥郁とした香りが漂う。カウンターに挿してある白梅だった。源氏物語の中に、光源氏が元服して、藤壺とは直に会えなくなる。早朝に、白梅の一枝を差し出す件を想う。

 我が家の梅は、今年たくさんの蕾をつけている。玄関の所のもちらほらと。屋敷が狭いゆえ、植えないようにしているのだが、心が騒いでくるのに負ける。所狭しと枇杷葉を植え、桑も梅、林檎に杏、李まである。どれも大きな木になる。然し、実がなるのは何時のことか。

 桑は、雷避けに植えてある。あの、どんがらがっしゃんは苦手だ。稲光も好まない。ギリシャ神話では、ゼウスが浮気をしているのを、妻のヘラに見咎められない隠れ蓑らしいが。日本では、雷神さまが大暴れする。桑は、くはばらと逃げ込んだ桑畑。雷さまは弱いそう。

 玄関のは入口、左側に植えてある枇杷葉。茂木ではなく、他の品種らしい。中々育たないのである。

 

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