外に居ると暑い。Tシャツで充分な出で立ちに、百日紅の昨年の枝を落としたり、毛虫取りに高じる。尺取虫もいる。朝には、鶯の美しいさえずりが聴こえた。その後、枇杷葉の袋かけをする。茂木枇杷は、12袋あった。白枇杷は、8袋だ。サンタ枇杷葉は、枯れていた。
東の枇杷葉に、今年は実が見える。何と、数個付いている。その他のは、雪で枯れたようだ。やっぱり袋は、年内にかけておくべきか?例年の状況で左右されるのも、一番は寒さだろう。自然とはこうなのかもしれない。恵みを戴く心がけが大切。リエさん、送れないけど。
麦の穂が出た。あちこちに見えるが、相当ばら撒いたので、ひょろひょろしている。何だか頼りなく思えるが、はだしのゲンを応援する意味でも、育っていることはうれしい。原発の再稼動は許せない。その気持ちを、ずっと持ち続けることは試練を伴う。でも、諦めないこと。
カリーナのりんご。チェリノブイリの事故も、福島第一原発の事故も、人災に他ならない。古里が一瞬で消える。信じられない事実に、人間であることを納得できるのか。地震と津波だけなら自然災害と云えるかも。原発には、造り携わった全ての者に、責任があるのだ。
広島と、長崎を忘れてはならない。それと同時に、謂れのない苦しみを背負わされて人々の存在することも、記憶に留めよう。その時だけではない。人類の果ての無い課題なのだ。そして再び、同じ過ちを犯さないようにしなければ。負の遺産を、世代に担わせるのは。
宇宙を見あげて、星が観えるのも、地上に緑があり、花木が咲き繁るのも、自然からの贈り物ではあるが、守っていくこと、伝えていくことも大切な役割だ。晴れた日だけでは、命は育たない。雨も風も必要だ。自然の援けを借りてこそ、私たちは生かされているのだから。
知人の多くには、カリーナのりんごを薦めた。本書も何冊かは差し上げたが、そういった想いを抱いてくれる人が、果たして何人居るだろうか。わが子が、戦争へと駆り立てられれば、考えていくのか。原発の再稼動は、核のゴミを出すのだ。それらが核兵器となっていく。
雪に埋まった、庭。驚いたねぇ!足が、ずぶずぶと埋まったよ。枇杷葉も、真っ白になって、箒で落とした。