枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

連休、最終日

2014年05月06日 | Weblog

 長かった連休である。何処かに出かける心算はないが、それなりにハードな勤務。何とか無事に果たせて、安堵している。都心の方では、地震があったようで、津波が来なかったのは幸いだろう。然しそういった自然災害の余波は、いつ何時襲いかかってくるやも。

 はり灸さんでの治療が効いたのか、肩凝りの重だるさが軽減している。カチカチのコリコリになった肩が、鍼を打ったことによって、痛みが消え、軟らかさが戻った。呼吸ができないくらいになっていたのが、深呼吸できる。背中が軋んでいたのが取れ、首が回りだした。

 誰かの為にはできるが、自分の体は相当に時間がかかる。おまけに後回しになるから、にっちもさっちもならない按配になる。鍼は苦手だが、はり灸さんは信頼できる。本来は、1ヶ月に1度は行きたい。金銭的な余裕があれば、通院したいもの。ちょっと遠いのが難だ。

 苗を買って来たトマトが、黄色い花を咲かせている。普通の大きさのトマトで、噛り付きたい。子ども頃に食べたトマトの味は、今では味わえない。癖があるし、立ち枯れが出るし、カメムシが集る。塩を握って、トマトを噛る醍醐味は、何とも言えない。夏が愉しみでもある。

 まくわうりや、西瓜も、祖母が作ってくれていた頃が懐かしい。麦わらを敷いて、ピンポン玉くらいで立て札をする。そこに日付を書く。畑で熟れた西瓜を、井戸水で冷やす。あの旨さは、何処を探しても見つからない。まくわうりの黄金色は、黄金虫の金俵のようでもあった。

 祖母が居て、父母の姿があった、あの田舎の暮らしに、楽しい思い出は少ない筈なのに、鮮明に覚えているのは何故だろう。着る物も、食べる物も充分ではなかったし、我儘が通ることでもなかった。今は、自分で自由にでき、可能なことばかりなのに、古里が浮かぶ。

 北側になるが、正しくは北東方向。これに苞が付いたのは、9年経ってからで、まさか白枇杷とは気づかなかった。南側に置いていた時には、新芽は日焼けで全滅し、育たなかった。鉢植えだったので、もしやと移動させた。始めから植えていた傍に、持って行き落ち着く。

 白枇杷。今年の立春過ぎから、苞が綻んで咲き始めた。不思議なこともあるもので、毎朝声をかけて行く。

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