そろそろかな?と沿道に眼をやると、白い花が咲き流れている。卯の花だ。この頃には、籾蒔きも終わって、苗代には緑の苗が育っていた。蛙の大合唱、おたまじゃくしが泳ぎ、蛇は畦を這っていた。祖母が毎朝、苗の育ち具合を確かめていた。
農業が機械化されて、大きすぎる苗は浮くので、苗代は随分と遅くなった。昔のように、籾殻を焼いたのをかけることもなく、ビニールシートで覆う。作業自体は一人でもできるが、高齢者の体にはきつい。家族総出でやっていたあの面影はない。
苗代をするまでには、溝掃除や池の樋の確認をして、水の量を決めることや、日にち等、水番の役割もあり、村中が沸き立つ時期でも合った。無論のこと、昨年の怨みも出てきたりして、喧嘩腰の酔っ払いも居たりする。子どもは眠い眼を擦る。
寄り合い所がなかった頃で、毎年持ち回りの家になれば、てんやわんやの大騒ぎ。子どもにはいい迷惑で、酒の臭いも手伝って、うんざりしていた。酒の入らない小父さんは、人の好い小心者だ。つかみ合いの喧嘩までして、何が面白いのか。
祖母が、溝掃除の時に刈らないでおいてくれた、苗代苺は、真っ赤に熟して石垣に垂れ、棘が刺さらないように取るのが厄介で、殆んどは傷だらけになっていた。それでも、お八つ等の乏しかった頃のこと、学校から帰ると、口に頬張っていた。
兄よりは早いが、妹よりは遅いので、下手をすると食べられていた。腹立ち紛れに、妹のお八つを掠めてみたが不味かった。祖母によくよく頼み込み、残しておいてもらうしかなかった。ひもじい思いは、経験した者でないと実際はわからないの。
高齢者になったら、そういったことを思い出すかもしれない。ありきたりの物ではなく、自然の中にある物を、無性に食べたくなる。苗代苺も、黄色の実の方が大きく、甘かった。祖母は、枯らさないようにして、毎年花を咲かせ、生らしていたものだ。
満月の夜。雲が多く出ていたため、撮影したら、影絵のように写っていた。さて、どんな形に、或いは何に観えるかな?