今朝、曇り空に用心して、傘を持って出かけた。案の定、窓に音もなく当る雨粒。何時しか歩道も湿っている。芋蔓を植えたのに、ほっとした。野菜苗に水遣りも助かる。揚羽の幼虫が小さいのも含めると、10匹ばかり。見た目はグロテスクよ。
黄たて揚羽、麝香揚羽の幼虫と思う。黒いビロードに橙の線のや、緑の紋をつけたのも見たことがある。日高敏隆さんの、蝶はなぜ飛ぶかに興味を持ったが、実際にそのさまを眼にすると、唖然とするばかり。優雅な舞いに心を奪われる。
家の中ばかりに居ては、こういった自然からの恩恵には出遭えない。神さまの心使いに感謝する。祖母が、何よりも大切にしていたことは、素朴で当たり前の出来事であった。季節の花を愛でることと、偶然の歓びを秘密にしていたことである。
誰彼なしに話せば、直ぐに捕まえようとしたり、家での飼育になってしまう。人間が囚われの身であれば、哀しみで心が張り裂けるだろう。揚羽蝶も同じではないか。自然を敬い、受け入れることこそ、蝶の美しさは増し、遭遇もさせてもらえる。
テレビは無論、ラジオも満足に聴けなかった時代、祖母の愉しみは、蝶道に決まった時間を飛ぶ揚羽を、こっそり見に行くことは、至福の喜びであったろう。また、同じ時間に何故飛ぶのか、疑問を抱きつつも、極上の贈り物を受け取っていた。
時計がある訳ではなく、太陽の影でできる長さを計って、見当をつけていたらしい。その時間が来ると祖母は、さも用事を思い出した格好で、姿を眩ますのだ。今思えば、何とも可笑しなことをしていたと頬が緩む。何時も自然との共存だった。
明治生まれの祖母は、学校もろくには出ておらず、口減らしで嫁に出され、農家の働き手と子育てに追われ、戦争で子ども失い、夫を病気で看取り、仕事一途で働き尽くめ、80齢で亡くなった。寡黙な祖母であったが、子煩悩で優しかった。
祖母が亡くなって既に40数年が経つ。朧になる部分はあるものの、細やかなことも思い出すのは、祖母の年齢に近くなって来た証拠。孫の誕生は、祖母が還暦を過ぎた頃。苦労ばかりをしてきた人生も、決して厭わなかった祖母である。
店頭で買って来たパンジー。今年は、苗が上がるかな?発芽させるタイミングが難しい。最近の苗は、零れ種での発芽なし。