枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

憲法記念日、徒然

2014年05月03日 | Weblog

 筍を入れた散し寿しを作る。今朝は、早出であったため、朝食の用意を済ませて、味付けをしておいた。ご飯もタイマーを使わず、米を浸しておいて炊いた。水は控えめにする。飯ぼうに酢を落とし、全体に馴染ませてから、炊き上がったご飯を移し、酢飯を作る。

 でも、幾ら簡単にできるからって、寿し太郎は美味しくない。そういう物で作るなら、止めた方がいいと思うが口には出さない。簡単な物や便利な物には、必ず落とし穴がある。化学調味料に添加物の類を、せっせと食べていると、病気になってしまうのにと案じる。

 薬の副作用は、個々によって違う。効果の度合いも大きければ、体に及ぼす影響も少なくない。企業の儲けばかりを追及し、人間の心には無関心。アルジャーノンに花束を。知的障害者のチャーリーにとって、頭がよくなれば、友達も増え、会話も解る思いだけだ。

 だが事実は、仕事を解雇させられ、チャーリーにとっては哀しみが増えただけ。利口になることは、偉くなれることでも、威張ることでもない。より複雑な感情の波に苦しむことだった。鼠のアルジャーノンが死んでしまって、チャーリーも同じ運命になることが判る・・・。

 映画と書籍とでは、若干異なるが、あらましは同じだ。博士や教授は、チャーリーの人生を玩ぶようで、とても哀しかった。満足に単語の綴りさえ書けなかった者が、数式を考え解き、理論を組み立てていく。残された日々を研究に没する。死は待ってはくれない。

 アルジャーノンには、自分が花束を持って行けるが、自分には一体誰が、花束を贈ってくれるのだろう。それも心からの・・・。知的障害者の場合ならからかわれ、皆と同じになったら仲間外れだ。自由・平等、人間としての尊厳、差別のない世界は何処にある。

 コントロールできれば、監理する者には楽でいいが、それらのプログラムに亀裂、歪みが生じたら、何処を修復するのだろう。また可能なのか?人間が人を支配できるはずもなく、全ての命を操ることは不可能だ。だからこそ、自然の摂理は保たれているのだ。

 過ぎゆく2013年。仰ぎ観た宇宙の美しさは、何にも例えようがない。科学がどんなに発展しても、宇宙を創世はできない。

 

 

 

 

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