枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

休日は毛虫捕り・・・

2014年05月22日 | Weblog

 天気がいいので、布団を干すが、何処にも出かける気にならず、自宅で森林浴をする。枇杷葉を下から見上げると、何やら動く物体がいる。尺取虫に毛虫である。無農薬なので、美味しいのだろうなぁ、と半ば感心しながら捕る。新芽の葉が殆んど齧られてしまう。

 そりゃ、美味しいでしょうね。太陽の光を浴びて育つ枇杷葉には、限りのないエネルギーがあるのだ。野鳥に見つけられない限り、齧っているのは、当たり前と言えばそうで、決して間違っているとは思えない。まあ、運の悪いのが捕まる。人間の勝手な都合ではあるが。

 夕顔、朝顔、綿の芽が出ている。朝顔は、昨年の種が零れたもので、夏の盛りを咲いてくれる。かすみ草が大きくなってきた。カーネーションもひ弱ではあるが、葉が育つ。芍薬が大輪の華を咲かせ、薔薇に至っては優雅に咲き誇る。挿し木をして、増やしてはいるが。

 大豆は、1回目を蒔いたが、期間をずらして植えよう。苗物は、やはり虫が来ている。こまめに捕るしかありません。土に入れるべく、枇杷葉茶で飲んで、入浴に使って乾かしたのを塩と混ぜる。トマトの肥料に使うのだ。胡瓜にも瓜にも入れたい。唐辛子を混ぜてみよう。これはナメクジ退治にいいかな?自然のものを活用できれば、人間にもだが土にいいの。

 今朝の新聞の記事に、心が少し安らぐ。原発は、耐久年数が過ぎていることや、災害が起きてからでは元に返らないからで、人間の命を重視した判決にほっとした。口先では何とでも云えるし、誤魔化すことは容易いだろうが、核利用が、平和になる事はないのだ。

 日本は、アメリカの言い成りを止めて、自国の農業を推進し、国民一人ひとりが、暮せる生活になるように励む必然性がある。都会での暮らしがいけないのではなく、土を大切にしないで、自然を守ることはできない。命の育みは、人としての原点でもあるのだから。

 便利で簡単な生活を捨て、多少は不便でも、お互いが助け合えることをしないと、いざという時には、命を失う。或いはまた、生きていても過酷な生活を強いられる。地球は青い星・惑星だ。人類の物だけではなく、万物の棲む惑星なのだ、という認識が必要でもある。

 毎年、忘れていて仄かに咲いてわかる。シクラメンは、寒中過ぎから咲き始め、この時期に水遣りを止める。

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