諸外国のことは知らないが、各地で田植えが行われる。南端の方では、既に終えて、早苗が青々としている。中国地方の各地では、池の樋が抜かれ水が流れ、田植えが始まっている。あちこちで田植え機が忙しく動く。子どもの姿が見えぬのは、ちと寂しい。
ご先祖さまの墓掃除に出向く。息子と共に、古里を訪ねる。藪蚊と蜂を想定して、重装備で墓まで上がる。草を2鎌程刈った。息子が、「おるで、動くな。」と言う先に、筍の枯れたのに混じって、銭形模様が見える。納屋から持って来ていた鍬で、胴体を押さえる。
容易万端とはいかなかった。祖母や母なら、竹串を用意して、突き立てておくのだが、こちらはそこまで思い至らない。鎌があることを漸く思い出し、頭を撥ねる。咬まれてはならず、息子は鍬に乗せて、墓の斜面に追った。汗だくで墓掃除を終えて尚、動いていた。
祖母や母は、竹串で蝮の頭を押さえ、鎌を当てて皮を剥ぐが、何分慣れないことで、咬まれては意味がないので、彼らの棲み処には違いないが、殺生をしたくないので、出て来ないでくれ。と言いながら草刈をし、落葉を掃き花筒の水を換え、シキミを伐って活けた。
帰宅して、やれやれと昼食を終え、布団を仕舞う。鉢が気になって動かせば、百足がいた。梅雨時だから仕方ない。トマトが3つ生っている。胡瓜は2つ、花を咲かせているが、1つは黄色になり、育たない。居間のドクダミを広げ直し、着替えて汗を流し洗髪をする。
昼寝をしようかとも思ったが、用事が溜まっている。水遣りもしなければならず、麦の処理も未だかかる。片手間にできるのはいいが、農業を本格的には体力が要る。何にしろ時間が必要で、物を言わぬ分だけ、疎かにはできないね。昔の人等は偉いなぁ、と感心。
旧暦を用いるには、西洋暦とは28日程のずれがある、従って、日本では皐月(6月)それを同じにして考えるのは無理がある。地球上の様々な条件や環境で、同じということはあり得ない。水無月とは、晴天が続き、雨が少ないこと。JUN=水無月ではありません。
昨夕から肩に湿布をしているので、しんどさが軽減した。枇杷葉のお蔭である。然し、医者に行く気にはならない。っていうか、心因性のものは、薬だけでは治らない。加えてその原因を取り払うことは、至難のこと。フラッシュバックで現われる。心傷は想の他深い。
早春の庭に、梅一輪。その仄かな温かさに、凛とした生き方を観る。冬の寒さに耐えて咲くのだ。