合歓の花が咲いている。今年の雨に、色合いが鮮やか。栴檀と交互になるのか、少し濃い目の薄桃色。路の両側に咲き乱れる。合歓の花の匂いはバニラ。甘い香りが漂う。季節の訪れを忘れないで知らせる。感性の届き方にも依るが、気づかないのは何故だろう。
沙羅双樹の華は、朝咲いて夕方に散る。夏椿とも云うので、花軸のところから落ちる。それが地上に散った様も風情がある。三千年の古お釈迦さまが、この樹の下で悟りを啓かれた、と伝えられる。我が家の夏椿は、山茶花に転じた。昨夜、不思議な夢を見たが・・・
今朝は、駐車場が満車状態で、その時には停めさせて、と頼んでいたこともあり、Aさんちに行く。駐車して仕事を終え、間際から降り出した雨を見あげて外に出たら、不思議なことに降っていない。停めてある愛車に乗り、Aさんちの住居に向かい、卵を取りに寄った。
玄関を入ったらチャイムが鳴るものの、居る筈のAさんがいない。こういう時に電話でも鳴ればわかるのに、と内心考えていると、けたたましくベルが響く。足音賑やかにAさん現る。声をかけるとびっくりされた。何と、電話は何も云わずに切れたと言う。えっ!念じた?
すると、Aさんの次の言葉に仰天する。今し方、白と黒と赤の鳥のようなものが、山の方に飛んで行ったの。と話す。お腹が白で、背中の方が赤と黒の半々、糸の切れた凧のように、こんな感じで、と必死で教えてくれる。嘘じゃないんよ、もう一人見た人が居ると無心。
否、信じれない出来事には、度々遭遇しています。神の存在を信じる者には、そういった神秘的なことは、他の人には見えないことも視える。龍に出遭ったことも、その姿が視えることも真実なのだが、証拠も立証もできない。夢で片付けるには、腑に落ちないことである。
愛車に乗って自宅へ向いた途端、凄まじい雨音。前が見えない降り方に、神の怒りを感じる。張り詰めた冷気が襲ってくる。道路は陥没状態の大洪水。閉鎖される前に帰りたい、と一心に念じて帰宅。洗濯物が湿っているのを取り込む。珈琲を淹れて飲み、人心地つく。
我が家の枇杷葉が、不思議な力を発揮するのには、ちゃんとした理由がある。何処の枇杷葉も同じであり、そうでないことにも繋がる。私の手には不思議な力が宿る。それで触った枇杷葉には、眼に見えないことが起きるのかもしれない。信じる意外に、力は伝わらない。
白枇杷の花芽。今年は、昨年よりも鈴生りになった。実がたくさん付くかと想ったが、寒さに弱い。