哲学の知識は非ず及ばずと自覚しているが、言い訳を繰り返し知らぬ存じぬ口先三寸とは。世の中を糺し、庶民の生活を補う事案を決めるとは反対の施策。濡れ手に粟、税金を懐に終えばよいのだろう。今朝の新聞を読みながら、ここまで腐敗している祭りごとに憂う也。
第五福竜丸を始め、多くの漁船に乗っていた方々が被爆したアメリカの水爆実験。リエさんと夢の島に赴き、変わり果てた物体を眼にして立ち尽くした。甲板に上がれると云うが、彼等の姿視え足が動かなかった。核の廃絶を国連に話せど未だ、原発稼働止めず再稼働。
戦争をしてはいけない、話し合いで解決との建前ばかり武器は造られ堂々と渡っていく。国のトップに立つ者だけなら、巻き添えは起こらぬ。仕掛ける者が居ても、受けなければ争いにはならない。命を粗末にしてはならないと言いながら、手にする武器は殺傷するのだわ。
正しいことって何だろう?神の裁きは、一体何を意味するの。地球の嘆きが聴こえるの、視えてくるのです。人間だけが棲む星・惑星ではありません!野の草や木がなかったら人も生きてはいけないのよ。草如きではなく、援け支えての存在を消せば人類も滅亡していくのに。
他人を愛することは、自らを赦して逝くことに通じると想うわ。長島愛生園へ行きし時に、乱舞する鳳凰をリエさんと観たのは其処に眠る方々の魂を浄化する役目。天空を視やり、清らかな気持ちと光に包まれた光景が甦る。刻既に満ちたと、弥勒の訓えあるのを胸に秘めて。