庭の徘徊時にクリスマスローズあちこち咲き、室内の出窓や陽射しのあたる場所シクラメン・ベゴニアと静かに眺める。朝、お茶湯を新しくする際注ぐ。とりたたてのことはしなく、冬場は水を控える。シクラメンは何十年も咲いてくれ、その花が種を零し発芽していく愉しみに。
年金暮らしのこの頃は、苗花木店へ行くのも土であり季節外れを求める。何年も咲くかと思えば、一季限りとなるのも少なくない。自然からの恩恵のみで育てている為、然して成長は及ばずなのだ。毎朝の声掛けの際、心が静かに安らげることは何という有難さだろうとも。
ブログ更新時の画面に、何やら見かけぬ事項が出てきている。以前には、そういう箇所を触ってしまい意に反する事態になった。便利さと引き換えのあの手この手は、機械オンチには堪え難い。パソコンの知識や資格があろうと、慣れていくことも必要なのを再認識する。
足湯に行きたいとの連絡があり、午後から来訪となる。雨は止んだが薄日の射す曇りに、身体は違和感を覚える。数字も弥勒の出没多く有りて、エンジェルナンバーも続出に気持ちを新たに。乙羽信子・宇野重吉、愛妻物語を観たり不動明王の存在を知った意味は大。
偶然ではなく、必然的に現れて視えることには自らの気持ちを問う意味もある。心を鎮め清らかに保つ心根は、自然からの贈り物と心得る。感謝しなければ?否とも思えるのは、与えられても求めずとも。素直で正直なことこそ自らの使命と役割ならぬ行いへと、繋がり亘。