枇杷葉の新芽が、次々に伸びてきている。薄い緑の衣を纏った葉が、おっかなびっくり、といった恰好で頭を擡げている。未だまだ風は冷たく、日差しがあるとはいえ、温む気配はない。慌てて出て来て驚いている。天水を心地良さそうに飲んでいる。冬にはびくともしなかった背丈が、ぐんと指一つ大きくなったようだ。照れたようにうつむいている。
庭の変化では、昨年まで花が咲かなかった李が満開になった。水仙は、寒水仙が咲いただけで、どうも花つきが悪い。植え替えをしたんだけど、芋虫かな?バラの挿し木に新芽が出ている。以外にたくさんついた。木香バラが、屋敷を覆っている。花が咲いたら圧巻です。乙女椿が満開。海棠は咲き始めたよ。ムスカリも咲いている。
枇杷葉の根元に置いている、クリスマスローズは、小さな苗で買ったのに、グングン育って増えた。夏には、涼しい場所がいいらしいので、枇杷葉の根元に引っ越した。こんなにたくさんになろうとは以外だった。かなりの日数咲いているのでありがたい。庭が華やかで綺麗です。桑の木やゆすら梅も咲いている。種から育てたパンジーが咲き出した。
祖母は、山に行くとつつじの木を伐って帰り、豌豆の手にしていた。畑の囲いのようにして、つつじはそこで咲いていた。赤紫の花は戸惑うように畑に立っていた。タンポポや蓮華にクローバーが道端に咲き乱れて、首飾りには事欠かない。当時は除草剤を撒かなかった。家々には、家畜がいたから、餌にするのに採っていた。背負い籠に一杯にして、押切で切ってやっていた。
牛や鶏に兎、猫や犬は何処の家にも、あたりまえに飼われていた。其処に住む者を守る役目があったのか、決して余所者を入れることはしなかった。自然の掟があったんだろうか。祖母は、山の幸を知り尽くしていたが、取り尽くしはしなかった。自然から少し分けてもらうが、来年の分は残していた。蕨、薇にタラの芽、山の手入れも欠かさなかった。
枇杷葉も山の中にあれば、自然のままでいいのだろう。人間はお裾分けを頂く程度で、採り尽してはならない。祖母は、山の神さんに、毎月決まってお礼をしていた。三隣亡には、山には入らず、手を合わせて拝んでもいた。そういった自然の取り決めごとには、何かしらの力があると信じて疑わなかった。子どもの私には理解できなかったが、自然に対する畏怖の心には、絶対的な信頼を持っていた。
今年の寒中の枇杷苗の様子。この苗は、一昨年の種が成長したもの。苗の移植には、1年経ってからがよく、秋口から初冬にかけて行なう。その頃には根がしっかりと張っており、移植してもほぼつくからだ。あまり小さな苗だと根が切れる。また、1年苗くらいが、植え替えの場所を決めるのにはよく、成長の様子から、地植にするか鉢かを決める。
これは、葉だけを採って使うか、更に育てて花を咲かせ、実を生らすかの区別にするためで、そういった意味でも場所決めは大切です。狭い日当たりの悪い庭でも、自然に任せていれば育ってくれます。自分の勝手都合だけを思わないことです。枇杷を思えば応えてくれるし、そうでないと結果が自分に却ってきます。くれぐれもご注意ください。
リエさん。枇杷茶はありますか?手紙が着きました。わざわざ、コピーして送ってくれてありがとうね。明日はのんびりします。今日、数人の手当てをしたら、充電が必要になりました。両手を当ててあげると、眠ってしまうんだ。気持ちがいいんだって。ちょっと無理したかな。風邪、引いてない?種と花芽はありますか。遠慮しないで言ってくださいね。
りささんもありますか?無くなっているようならお送りします。メールください。
庭の変化では、昨年まで花が咲かなかった李が満開になった。水仙は、寒水仙が咲いただけで、どうも花つきが悪い。植え替えをしたんだけど、芋虫かな?バラの挿し木に新芽が出ている。以外にたくさんついた。木香バラが、屋敷を覆っている。花が咲いたら圧巻です。乙女椿が満開。海棠は咲き始めたよ。ムスカリも咲いている。
枇杷葉の根元に置いている、クリスマスローズは、小さな苗で買ったのに、グングン育って増えた。夏には、涼しい場所がいいらしいので、枇杷葉の根元に引っ越した。こんなにたくさんになろうとは以外だった。かなりの日数咲いているのでありがたい。庭が華やかで綺麗です。桑の木やゆすら梅も咲いている。種から育てたパンジーが咲き出した。
祖母は、山に行くとつつじの木を伐って帰り、豌豆の手にしていた。畑の囲いのようにして、つつじはそこで咲いていた。赤紫の花は戸惑うように畑に立っていた。タンポポや蓮華にクローバーが道端に咲き乱れて、首飾りには事欠かない。当時は除草剤を撒かなかった。家々には、家畜がいたから、餌にするのに採っていた。背負い籠に一杯にして、押切で切ってやっていた。
牛や鶏に兎、猫や犬は何処の家にも、あたりまえに飼われていた。其処に住む者を守る役目があったのか、決して余所者を入れることはしなかった。自然の掟があったんだろうか。祖母は、山の幸を知り尽くしていたが、取り尽くしはしなかった。自然から少し分けてもらうが、来年の分は残していた。蕨、薇にタラの芽、山の手入れも欠かさなかった。
枇杷葉も山の中にあれば、自然のままでいいのだろう。人間はお裾分けを頂く程度で、採り尽してはならない。祖母は、山の神さんに、毎月決まってお礼をしていた。三隣亡には、山には入らず、手を合わせて拝んでもいた。そういった自然の取り決めごとには、何かしらの力があると信じて疑わなかった。子どもの私には理解できなかったが、自然に対する畏怖の心には、絶対的な信頼を持っていた。
今年の寒中の枇杷苗の様子。この苗は、一昨年の種が成長したもの。苗の移植には、1年経ってからがよく、秋口から初冬にかけて行なう。その頃には根がしっかりと張っており、移植してもほぼつくからだ。あまり小さな苗だと根が切れる。また、1年苗くらいが、植え替えの場所を決めるのにはよく、成長の様子から、地植にするか鉢かを決める。
これは、葉だけを採って使うか、更に育てて花を咲かせ、実を生らすかの区別にするためで、そういった意味でも場所決めは大切です。狭い日当たりの悪い庭でも、自然に任せていれば育ってくれます。自分の勝手都合だけを思わないことです。枇杷を思えば応えてくれるし、そうでないと結果が自分に却ってきます。くれぐれもご注意ください。
リエさん。枇杷茶はありますか?手紙が着きました。わざわざ、コピーして送ってくれてありがとうね。明日はのんびりします。今日、数人の手当てをしたら、充電が必要になりました。両手を当ててあげると、眠ってしまうんだ。気持ちがいいんだって。ちょっと無理したかな。風邪、引いてない?種と花芽はありますか。遠慮しないで言ってくださいね。
りささんもありますか?無くなっているようならお送りします。メールください。
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