枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

日々愉し

2009年12月21日 | Weblog
 冷蔵庫の無駄。冬は外に出しておいた方が、長持ちする。電気と言うエネルギーの無駄使い。いつも思うのは、掃除をしないなら汚すなよな。冷蔵庫、炊飯器、食器等、洗うのならヌルヌルさせないで。水道も時間も無駄です。私は自分がそういった食器を使うのが厭なので、きちんとします。欠けた食器では、どんなに美味しい食べ物も、価値が下がると思う。

 意思の伝え方には、丁寧な言葉は無論ですが、方言があったとしても、心がこもっていたなら、相手の心に届きますね。遠くから名前を呼べども、傍には行かない人には、何処か近寄りたくない。どんな言葉をかけるでもなく、唯傍に居るというだけで安心して落ち着くこともある。

 私の場合は、できればお呼びでないのだが、傍に来ては手に触る。するとポッと温かくなってきて、じんわりとパワーを送っていく。また自然と温もりが伝わっていき、心の中に燈をつける。それが身体を包み込んで、とてもいい気持ちになる。何故そうなるのかは不明だが、心の襞をゆっくりと撫でていく。音楽で言えばセレナーデ。交響曲なら、序曲になろうか。

 ここ数日、私の手に触っては、心が安定されていく様子がわかって、何だかとても幸せな気持ちにさせてもらった。荒々しく心に踏み入れば、波立って治まらなくなる。普通には、心の中までは視えないから、そう言ってもなかなか通じない。けれどもある程度の様子で、異変のあったことがわかるというもの。細やかな襞への配慮に、心を向けていたいものです。

 昼過ぎ帰宅。枇杷葉の花芽を、鋏で半分くらいは切った。1枝に3個位生るようにした。まあそれも適当なやり方なので、幾つ生るかは枇杷葉次第。枇杷葉も必要だったので、東側の高い木に脚立で上がった。あらまぁ!1枝花芽がついているよ。うまく生ってくれるかな?

 我が家の花芽は散り始めている。通勤途上の枇杷葉は、未だ咲いていません。ということは、花は咲いても、実にはならない。つまりは北国に、枇杷葉が結実しない訳です。それと比較的、寒い地方では、枇杷葉は育たないような気がします。収穫時期や花の咲く季節によって、多少の違いはあるとは言え、蜜蜂が寒さの中では活動しない。これが一つの要因でもあります。

 
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おお寒、小寒

2009年12月20日 | Weblog
 このところ西高東低の天気が続いている。従って寒いし、風が強い。洗濯物が乾くのは有難い。朝、起きて布団を上げ、除湿機をかける。暖房は湯たんぽなので、加湿器は要らないのだ。そこの続きに洗面台と、風呂場があるので、湿気がひどいので、年中かけなければ、黴だらけになって、シロアリの巣が出現する。畳は基より、人間にも黴が生えてしまう。屋敷を乗っ取られてしまうのだ。

 乗っ取りと言えば、昨夜のパソコンが、娘夫婦に略奪されて、ブログの更新ができなかった。ドアの隙間から伺うと、年賀状を作っていた。午前零時前に帰って行った。横着者なので即、更新を諦めた。その娘夫婦が、クリスマスのプレゼントには何がいい?と聴くので、眠っている間に、思うことができている時間。と答えたら、二人して顔を見合わせていた。ああ、無理なのはわかっています。

 で。手袋にして。と変えておいた。洗剤に負けて、皹だらけなので、メンタム付きにしてね。着る物も食べる物も確執はない。枇杷葉を研究できさえすれば好く、敢えて言えば、少々の土地があればいい。今のままで充分です。この先、何を望むこともない。あるとすれば、世界中から戦争がなくなること。生きていることを、幸せに思う人間が増えること。

 人種や、宗派を超えて、人間として祈れる人でありたい。神、即ち宇宙は、帰依する処でもあるのだから・・・。イタリアに行ってしまったMさんが、何だか私の背中の処に居るように感じる。存在自体が、離れていて同じであり、同時に違うことに想える。それは肉体を借りての相互関係で、意思は同時に存在しているのだと考える。言葉では言い尽くせない現象です。

 我が家の枇杷葉は、そのほとんどが咲いてしまった。明日は、その花芽を少しばかり摘もう。今夕の宇宙には、木星と三日月が輝いていた。年の瀬が押し迫っていますが、枇杷葉を焼酎に漬けたり、少しばかりお茶にしておきましょう。お正月用です。枇杷葉を30枚程度採り、果実酒1.8ℓの中に入れます。この時、葉の両面を丁寧に拭き取っておき、葉先と軸の部分も切っておきましょう。

 枇杷葉酒は、3ヶ月もすれば飲めます。また、外科用にも活用しましょう。同時に、大根の蜂蜜漬けや、柚子の種の焼酎漬けも作っておきます。これらは風邪の予防や、喉の炎症を押さえ、踵のざらつきと、手荒れを防いでくれます。こういった民間療法は、口伝えに伝わり、程度の差こそあれ、全国各地でしてきたのです。

 花芽が咲いている枝。3年ほど、この三分の一の花芽の付いた状態でしたが、今年は3倍もの花芽がつきました。さぁて、実はどのくらい生るのでしょうか。
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冴え渡る宇宙に

2009年12月18日 | Weblog
 朝は、このところ毎日、バケツに氷が張っている。夕方の宇宙には星が瞬く。カシオペア座にアンドロメダ座に、プレアデス星団。オリオンの棍棒のところが少しだけ覗いている。凍てつく寒さの中での、星座観測は、興味のない人には、何が愉しいのか?と目を剥かれそうだ。そうでしょうね。綺麗に設えた部屋で、暖房器具のセンサーが働く。部屋の中では、クリスマスのイルミネーションが光る。

 然し、星好きには、そういった人工の輝きなど、問題じゃない。防寒用具に身を包み、懐炉を体に貼り付け、雪男宜しく、夜空を見上げる。この醍醐味!宮沢賢治の世界に浸りこみ、アインシュタインの相対性理論に思いを馳せる。この素晴しき自然に感謝して、生きていることの歓びを、震えるほどに感じてしまう。ああ、もったいない。冬は、寒いのだ。

 四季の中では、冬が大気が澄んでくるから、星の輝きが増す。でも、春には朧ならこその温かさが、夏には荒々しい雷、入道雲や夕立も欠かすことができない。秋の実りには、自然の恵みに感謝することで、これからの寒さに備えていく用意ができる。スイッチ一つで、お金さえ払えばいい。という生活でなく、自然のエネルギーを分けてもらっての生活が、自分達の工夫や、資源の節約でしていきたいもの。

 子どもの頃の12月は、家では炭火の炬燵と火鉢。学校では、石炭ストーブが燃えていた。温かいと言う物でなく、まさに猫が炬燵で丸くなっているだけで、足の先だけが入っていた。ちゃぶい~!祖母が作ってくれた、綿入れのちゃんちゃんこ。肩は凝るけれども温かかった。じっとしていると寒いので、縄跳びをしたり、山を走り周っていた。霜焼けが辛かった。治り始めの、痛痒さは想像だに絶するよ。

 鬼灯、春蘭の根、ワセリン等、霜焼けの手や足に磨り込んでいた。効き目はあったと思うが、じっとしていられる訳がない。そのため毎年、泣きをみる。最近は、霜焼けにはならないが、洗剤に負けてしまい、ひび割れがしている。面の皮は厚いが、手は華奢なのね。困ったものです。

 枇杷苗を近所の人にあげた。鉢植えなのだが、どのみち地植になるだろう。我が家のは、ほとんどが鉢植え。それが油断している間に、地植になったのだ。植物の根は以外にも、地下に伸びるのが早い。それを知らなかった、という油断である。リエさんの植えた枇杷の種も、発育状況が良いらしく、植え替えも成功したようです。たくさんの芽が出てよかったね。我が家のは、5本くらいしか出なかった。白茂木は駄目だったのか?未だ小さくて、10cmにも満たないよ。
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今年も、僅かになり・・・

2009年12月17日 | Weblog
 なんだかんだと騒いでいる内に、今年も押し迫ってきたようですね。私の場合は宇宙のことで1年が過ぎていったような気がします。メインは日食でした。勤務中なのと、そういったことに興味のないスタッフに、サンドウィッチされての無謀さは、流石にできませんでしたが、空が暗くなっていくのは、室内でも解りました。

 天照大神が、天の岩戸に隠れてしまうのを、弥生時代の人々は恐れ、うずめという巫女に躍らせて、岩戸を開けさせた。という神話には、日食への恐怖が伺える。科学的なことも、天文学的なことさえも、何一つ知らない人々には、太陽の輝きが消えてしまうことは、天変地異に他ならなかった。また、神々に祈るしか、手立てはなかったのでしょうね。

 現代の方が、情報も知識も余りあるほど、氾濫しているのに、興味がなかったりすると、さっぱりわからないことになる。また、調べてみようとか、知っておこうとか、考えない限りは、知ろうともしない。淋しい限りだ。偉人と言われる人が素晴しいのではなく、頭の中に???を一杯持っていなければ、同時に疑問に思ったりしなければ、学んではいけない。

 勉強は、学校や机に於いてだけ可能なのではなく、知りたいという意欲や、不思議に思う心が反応していかなければ、学んではいけないように思う。また、調べればするだけ、解らないことが出てくる。それによっては、更に深く研究していかないと、真実がわからない。人間である以上は、死せるまでそうすることを、課せられたものに違いないのだから。

 枇杷葉も、調べていくほどに面白い発見があり、驚くべきことがわかる。昔の人は、口頭で伝えながらやってきた。真実を見極めることは、とても困難なことに違いないのに、とも思う。西洋医学が入ってきて、漢方医学は、脇に押しやられた。にも拘らず険しい道を歩んで、廃れなかったのには、民間の人々に受け継がれて、受難の時代を忍んできたことと思える。

 真実は何か。まやかしであるのは、何なのかをじっくり考えた結果だと思う。どちらにも、何にでも、利点があり、不都合が生じる。だが怯まず、諦めずに無心でいけば、必ずや達成できることでもあるよ。頑張らないけど、努力はしよう。どん底に落ちても、這い上がろう。その全てが自分に却ってくるのだから。

 今日は、午後からは休みでした。愛車の掃除をしました。私の車は、基本的には土禁にしてあります。ですが、時々汚れるのです。今回は掃除機をかけて、枇杷茶で拭き掃除もしました。洗車は、年末が近くなったら、燃料補給に行ってします。ポイントが貯まっているので、使うのです。

 枇杷葉の花芽が、そのほとんどを咲かせていました。匂いもちょっと弱くなっています。今朝は、バケツに氷が張っていました。さぶかった!風も冷たかった。
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枇杷葉の力で

2009年12月16日 | Weblog
 TVで、コンタクトの衛生面のケアについて、細菌が付着しているだの、失明するだのと姦しく騒いでいる。コンタクトに関しては、横着者と言うか、片付け下手には向かない。また、行き当たりばったりの、優柔不断にも合わないと思える。先ずは、本屋での立ち読みをするような者。新聞、雑誌等の捲りを、唾つけてする人は止めておいたのがいい。

 新型インフルエンザでも、嗽と手洗いの遂行がきちんとでき、行った先でも、そこから勤務を終えて出る前でも、また帰宅してからは、特に念入りにできるのが望ましい。一度言われたことは、翻すことなく守り、自分の信念を貫き通せること。こういった人間は少ないが、基本の手順を踏み間違えない。である故に、コンタクトにばい菌を付着したりはしない。

 然しながら、仕事の内容によっては、自分でしていなくても、人災や災害で、なってしまうことがある。結膜炎がそうです。慢性になるし、なったら失明しかねない結果をもたらす。何日か目が痒く、朝起きると、目脂が両瞼にカーテンの如くに張り付く。最初は枇杷茶で拭いていた。何回かかかる内、慢性化してしまうと、枇杷茶だけでは治らない。

 そこで、考えたのが塩を入れること。目を洗う専用の容器を作っておき、そこで睫を洗うのだ。目薬の抗生物質も効くが、何分高いし、受診してもらっていたのでは、面倒で手間もかかる。然し、枇杷葉の焼酎漬けでは、更に充血させてしまう。枇杷葉にも塩にも、殺菌作用がある。そこに思いが至って、試しにやってみたら効いた。毎日、根気良く続け、コンタクトの定期検査に行ったら、目医者が驚いた。

 枇杷葉は、夏に実を買って、種を植えておけば芽が出る。3年もすればかなり育つ。花を咲かせて、実を食べよう等、考えないのが佳い。そんな不届きな思いでいると、必ずしっぺ返しをくらう。私が、最初からそういうことを、思わないでいたからこそ、知らない間に、花が咲いて実が生ったのだ。天の恵みである。枇杷葉に感謝することは無論野こと。自然に思いを馳せ、生きていられる歓びを自然に還せるよう、努力することであろう。

 人間は、一人では生きていけない。でも、独りで考えたり、困難な路を選んで進まなければ、人間としても価値がない。己の欲のために生きるのではなく、相手の幸せや、どうしてあげればいいかを想いあっていければ、それらが回り周って、自分に還ってくる。紆余屈折がある。悩める日々が続く。けれどもそれらを土台にして、宇宙に羽ばたける自分を創っているのですから。

 最終的には、死んで往く事です。だが、畏れてはならないのです。神の定めた掟に従うのが、人間の生かされていることなのですから。独り一人には、其々に違った目標や、使命が予め約束されている。でも、それらに負けないで。泣かないで、立ち向かわなければ、死んではいけない。アンジェラ・アキさんが歌う、『手紙』の歌詞のように、立ち止まって迷うことはあっても、自分を信じていかなければ、未来の自分に遭うことはできないのです。

 相手のために泣けたら、それだけ自分は強くなれるよ。やさしい心が持てたら、あなたの自信に繋がっていくよ。だから諦めないで、生きることにしたいです。

 
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小説の舞台

2009年12月15日 | Weblog
 川端康成の、『伊豆の踊り子』の舞台となった、下田の温泉街。映画では、吉永小百合と浜田光夫ではなかったか?その次は、山口百恵と三浦友和。映画は観に行ってはいないが、小説では何気なく読んでいた。ここは枇杷の産地でもある。長崎県が全国1位であるが、茂木の赤枇杷が有名。最近は、白茂木というのも出てきている。枇杷の種のないのもあるようです。

 静岡県の土肥地方には、白枇杷があります。一般のを赤枇杷と呼ぶところから、皮の色が見た目薄い黄色なことから、白枇杷と言われている。枇杷葉の効果も、赤枇杷よりも高く、十倍近く違っているようです。然し、この土肥地方にしかできないらしく、栽培も困難を極めている。皇室に献上されてきた歴史もあり、平成天皇陛下の、お后である美智子皇后さまが、外国に行かれて、訪れた所で、枇杷の歌を歌われていたのには、とても驚いた想いがある。

 ♪ゆりかごの歌を、カナリアが歌うよ。ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ~。というのだが、3番で、ゆりかごの上に、枇杷の実がゆれるよ・・・と歌われているのだ。私は夏生まれなので、殊更にこの歌が好きで、伯母が子守で歌っていたことを、後になって聴かされてもいた。祖母が大切に育ててきた、大きな枇杷の樹は、全長が優に10mを越えていた。その枇杷葉の根元から、新しい芽が出て、5m近くになっていたので、両親の許可をもらって伐った。

 たくさんの花芽と、枇杷葉が採れ、千葉のリエさんを始めとして、友人、知人にあげている。大勢の方にあげてはいるが、それらが有効に使われているかどうか、接してこられる態度でわかる。枇杷葉には真実しか通じない。枇杷葉の力を信じてくれる方からは、その都度、大いなるパワーをもらっているよ。私の方が、とても有難いことなのです。それなのに皆さん、恐縮するほどお気を使われて、お礼の申しようもありません。感謝の日々です。

 サンタさん。サンタブレンド、昨日から飲みだしたのですが、香りも味も、今の季節に相応しい珈琲ですね。ありがとう♥リエさんからのプレゼントは、未だ封を開けていません。お正月になりそうですよ。
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ふたご座流星群

2009年12月14日 | Weblog
 今年は、国際天文年で、ガリレオが望遠鏡を使って、星空を眺めてから400年経過した年です。400年。日本では、江戸幕府ができた年から、それくらいは経っているのではないのか?平賀源内が発明した物の中には、そういう類のがあったかもしれない。時代の流れは速い。ハワイのマウナケア山には、天体望遠鏡が樹立している。加えて、未知なる宇宙の星の様子が、様々にわかってき始めた。

 同時に、地球の上の様子も変化があり、都会では満足に星座観測ができなくなった。またメディアによって、賑やかに伝えられるものだから、星座観測のマナーも低下した。昔は、例える如くに観えた、降るような満天の星も、一等星が観えればいいほうで、人工の光が煌く。星を観るには、旧暦を知っていなければ、刻々と変わる夜空は観えない。

 今、玄関から宇宙を見上げれば、星の輝きが美しい。だが、オリオンもシリウスも出てきてはいない。夜半の凍てつく宇宙にあってこそ、その輝きは冴え渡る。冬の星の醍醐味は、大気が澄んで清らかなことにある。また、ふたご座流星群は初心者でも、比較的に観やすい流星群で、防寒用具に身を固めて、宇宙を見上げてほしい。夜気が下りてきているので、充分な用意が必要です。私は、今回も我が家で観ます。火球が飛んだり、流星痕が観られたりしますよ。

 友人と温泉に出かけた。今回は、運転は友人がした。私はナビをしたよ。往復4時間かかったが、平日なので、閑古鳥が鳴いていた。広い湯船が貸切。しかしレストランがこじんまりしすぎていた。注文しようにもお品書きが限られている。やっぱり弁当を持ってくればよかったよ。珈琲はインスタントを持参していたので、高くて不味いのを飲まなかったが、賑わっていた頃が嘘のようである。

 往復の途上で、幾らかの枇杷の木を見つけた。北に向かって進んでいたので、そのほとんどがまだ蕾。ちょっくら失敬するには惜しく、採りそびれた。旧暦での12月の採取になるが、やはり寒中が正解なのだ。急がば回れである。どのみち、県北のは、花は咲いても結実には遠い。雪が降るし、気温が低いから無理であろう。

 我が家のは、蜜蜂がたくさん飛んでいた。土壌改革もしてみたので、今年の出来はどうかな。この時期のが、結実に結びつくので、土の中に微生物がたくさんいることを願った。まあ、直ぐにはできないであろうが、気長に待つこととする。
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餅つき今昔

2009年12月13日 | Weblog
 前日から、もち米を洗って水に浸けておいたのを、竈に蒸篭をかけて火を熾す。蒸篭の下の段には、水が入っている。その上に蒸し布を広げて、笊に打上げたもち米を空ける。竈に割り木をくべて蒸し上げる。蒸したもち米は臼に入れられ、杵で中へ中へと捏ねられ、大きく振り下ろされた杵で搗かれる。杵取りの合いの手も軽く、臼に引っ付かないよう、粗熱を水で押えながら搗きあげる。

 搗きあがった餅は、むろ蓋に移されて、手の平大に千切られる。餅の下になる部分をうまく丸めるのが難儀だった。祖母が丸めるともち肌になるのが、私がすると出べそになった。失敗作は食べてもいい。と言われていたが、祖母はついと取り上げると、修復してしまう。私は、祖母にずるい!と口を尖らせるが、正月の雑煮の餅がないぞ。と取り合わない。

 母は、竈と餅搗き場を何回も往復して、一日がかりで餅を搗いていた。お雑煮の他に、鏡餅と、豆餅。最後には餡ころ餅をしてくれた。父の好物で3つほどをペロリと平らげ、夕飯も難なく食べていた。私は、1つがやっとであった。小豆は、ここ1週間ほどを、七輪の上で煮られ、砂糖が入ったものである。普段には、砂糖など加減されてしまう。貴重品であるのだ。

 餅つきも、機械が出てくると、手間要らずで一人でも搗ける。蒸篭は姿を消し、蒸し器にはなったが、臼や杵は見かけない。最も、餅は真空パックに入って売られている。何しろ餅米が高い。作る農家も餅米だけを作るらしい。白米と混ざると厄介なので、機械を使い分けるのは容易ではない。籾摺りやら、脱穀には何度も掃除をして取り掛かった。ほんとうに根気と忍耐が必要だった。

 田舎でするエコロジー的な生活より、都会の中での工夫次第で、十分野菜が作れるようです。生ゴミを堆肥にして、土から生き返らせて、野菜の種を蒔く。出来た野菜は、甘味と新鮮さがあって、丸かじりができる。人参や茄子、トマトや胡瓜、そのまま食べられる。人参や大根の皮を剥くなど、もったいないことをしない。そこさぁ、一番栄養が詰まっているところなんだ。信じられなぁ~い!

 現代農業に載っていたが、ピーマンの種や、南瓜や西瓜の種には、とても重要な働きをする要素があるんだって。こういうのをお茶にして売っているんだね。私は枇杷葉だけだけれども、身近で手に入るものなら、せっせとお茶にしているよ。乾燥させたり、湯がいて冷凍にしておいたり、最後まで使い切るようにはしている。

 頂きます。っていうのは、何かしらの命でしょう?人間が、魔法の言葉を言ったり、呪文を言って、地面から出てきた訳ではない筈です。自分のところに来てくれたことを感謝してこそ、そういった言葉が自然とでるのでしょう。ご馳走さま。と言うのも、命を頂いてのお返しに、自分でできる事をすれば、新たなる命に繋がっていく。そのことに対して、たくさんの人々に、走り回らせてしまいましたが、ありがとうございます。とお礼を言うのだと思います。

 この2年程。これまでの私への反省も込めて、シンプルで素朴な味での食卓を心がけています。何一つとして、人間は作り出せない訳ですから、文句など言える筈がありませんね。自然の恵みを分けてもらえるのって、とても素晴しいです。

 一雨毎に、枇杷葉の佇まいに見惚れます。初めは、ひょろひょろした木で、枝も5枝くらいのが、つくねんと立っていたのです。次の年に、花が咲いて、実が生ろうとは、誰が思ったでしょうか。
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思い出すのは・・・

2009年12月12日 | Weblog
 山茶花が咲き始めると、祖母のすくも焼きが始まる。山から枯れ木を拾ってきたり、落葉を熊手で集めたのを、背負い籠に入れて軒下に置いているのに、竈から千把で火種を持って来てつけるのだ。プスプスと煙っているのが、勢いパチパチと爆ぜて、枯れ木に移っていく。風呂場の燃えじりを上に置いて、根気良く火が落ち着くのを待つ。

 炎が落ち着いたら、其処に四角い缶を被せて、籾殻を乗せていく。学校から帰ったら、綺麗に焼けていて、祖母は庭中にすくもを広げている。私は庭で遊べないことの不平を並べる。祖母は黙々と箒を動かす。時折赤い火がちらつく。庭に焼けた籾殻を広げたままにして、祖母は足早に山に向かう。明日の用意をするためだ。

 遊べない庭に独りで居るよりいいので、仕方なく祖母の後を追う。枯れ木を拾うことより、駆け回っていることが多いのだが、祖母は仕事に余念がない。結局は幾らかの枯れ木を抱えて帰る。祖母は使い古しの縄を、何処かしらに隠しており、手早く纏めて括りあげ、小脇に抱えるとさっさと歩いて行く。

 庭の焼けたすくもを、熊手でかき集め、藁で編んだ俵に入れる。軒下に運んで、もんぺの裾を手ぬぐいで叩く。その頃には夕餉の仕度ができており、祖母は井戸端の脇に湧き出ている清水で手を洗い、地下足袋を脱いで畳に上がってお膳に着く。地下足袋の中には、藁クズが入っていた。今でこそ、使い捨てカイロがあるが、当時はそういった物はなく、また唐辛子は贅沢品であったのだ。

 祖母は、お膳が済むと風呂に入る。すくもを広げながら、風呂を焚きつけ、煙の出具合で風呂加減を測っていた。何を何時、どのようにすれば、違うことをしながら、同じ時間にできるのかを知っていた。長年培ってきたからこそだが、近所の誰でもができた訳ではない。知恵と工夫する心がそうさせていた。

 祖母には、無駄ということがなく、最後まで感謝して、使い切っていたように思う。学校も満足に行ってはいない。ひらがなさえ書けはしなかった。母に頼むか、孫である私達に頼むのである。だが、いろんなことを知っていた。書けはしなかったが、多少は読めた。福沢諭吉の学問のススメを諳んじていた。明治生まれの祖母は、82歳の生涯だった。今、祖母のしていたことを、思い出してはやっている。

 枇杷種酒。今年の分がうまくできたよ。とてもいい色合いに出来上がりました。リエさんに送った分は、焼酎を足してもらったから、来年にならなければ、飲み辛いと思います。我慢して待っていてくださいね。
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言葉の魔力

2009年12月11日 | Weblog
 人間の厭な部分は、自分本位なことにある。自己愛というか、自分さえよければいい。と言う考えをしてしまうこと。それに伴う相手の気持ちや、自分に及んでくる結果までは頭にない。言葉にしてしまうと、どんなことでも結果的には自分に返る。しかしそうなると甚だ覚えがないらしくて、他人のせいにする。こういう世渡りを平気でしているのを、目の当たりにすると無性に情けない思いに至る。

 人生に於いて、楽しいことばかりではない。反対に苦しいことや、哀しいことの方が多く、そういった出来事に対して、悲観するよりも、それらをばねにして往く事の方が困難を極める。試練には規定もなく際もない。あるのはただただ努力という結晶。然も、理路整然としたものにしなければ、路は創られない。先に進めないのだ。この作業は、辛らつを極める。真実一路の中にある、『君の前に路はない。君の後にも路はない』今を生きていくことが、どんなに大変でも、いかなければならない。この小説、ちょっと抵抗があったよな。

 次郎物語も、少年編から青年編に続いて、かなりな長編だった。テレビで観たのは、子役と婆やの心温まる言葉のやり取りで、少年になっては、池田秀一が演じていた。主題歌はペギー葉山が歌っていた。♪松の根は岩を砕いて・・・。白鳥は風に向かって生きていく。とあって、生きることの重みを、子供心にも刻み込んだ。

 自然の掟の中では、強い者が生き残る。人間の世界では、弱気をたすけ、強気をくじく。でも戦争はなんだろう?悪い人間だけをやっつけるのでなく、弱い者にも容赦なく降り懸かる。小さな子どもや、女達が一体何をしたというのか?どお考えても疑問が渦巻く。これは試練でなくて災難であろう。地球上に住まう人類としては、何故こうも生活の違いや文化の違い、宗教の違いで殺戮が起きるのか。

 言葉が通じないから、戦争になるのだろうか?いやいや強ちそうとも言えぬ。自分は自分であり、他人は他人だけれど、神によって生かされていることに、感謝できることでもあるのだと思える。この場合の神とは、絶対的なもので『宇宙』である。ブラフマンとも言うのでしょうか?人間は、一人では生きていけない。支えあうことで成立する。お互いの心が、何処かしらで折り合わないと、共生はできないでしょう。自然に生かされているというのも、根底は同じなんだと思う。

 
 我が家の銀河は、このところ湯たんぽがお気に入り。就寝前、さら湯に入れ替えた湯たんぽで朝まで使い、その後銀河用にしてやる。あまり熱くないのがいいらしく、ここから動こうとしない。湯たんぽの温度は、一昼夜持つので、新たに換えるときには、中味は洗濯機に移す。それの繰り返しをする。パソコンの足元にも入れている。炬燵の中にも入れるのだが、ここにじっとしていないから、今はしていない。ストーブを点けるのは、朝だけで、煮炊きに活用する。

 枇杷種酒を、毎晩飲んで寝るが、結構効き目がある。枇杷葉は、体の冷えを解消してくれる。葉は勿論のこと、枝も、花芽も、実や種まで、その一切を捨てられない。生葉のままだったり、焼酎に漬けたり、乾燥させる方法も、症状や好みで多彩に使える。枇杷湯は、夏にすれば、体の体臭を和らげ、冬に使用すれば、体の隅々までを温める。また枇杷葉だけでなく、自然にある物には、調べてみればいろんな効果があるのです。

 1枝についている花芽。これで3粒くらいが生る。多ければこの状態で実に生る。多い枝には10粒ほどが生っていた。さあ、今年の花芽が、幾つ実に育ってくれるだろうか?期待と不安と入り混じるよ。味は、何処のにも負けない美味しさです。
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