枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

夏至前夜、揚羽邂逅

2014年06月20日 | Weblog

 今朝、ふと眼を向けた薔薇の葉に、揚羽の幼虫が居た!今まで何処に居たんだ?まあ、無事でよかった、と仕事に出かけ、帰宅して再度見たら、何と脱皮していた。思わず証拠写真を撮る。何しろ柚の葉は、一枚も無かった。数枚付いてきたなと思った矢先のこと。

 赤鉈豆が手に入る。可なり育った苗だが、譲り受けて植える。種を採らなければ、と今年は大きくしよう。自然からの恵みを感謝し、我が家に来てくれる幸運を不思議に思いつつ、何かで繋がっていることに、軽い驚きを禁じ得ない。していることは、然して目立たないが。

 とあるサイトの書き込みに、椎間板ヘルニアの治療法は?とあった。整骨院もその手の病院も、気休めに湿布をくれるが治らない。枇杷葉温圧療法をすることです。枇杷葉には、痛みを和らげ、自然治癒能力を援け、細胞の古いものを復活させる力がある。感謝のみ。

 病気になって、自分が困るのは誰でもわかる。然し、そうならないと好き勝手をやる。手遅れか、或いは絶望か。ところが、枇杷葉には、困難に打ち勝つ勇気と、感謝することで持続力が生まれる。不自由な体になってこそ、普段の有難さが身に沁みる。遅き失するが。

 枇杷葉は、そういった者にも救いの手を差し伸べる。献身的な愛情を注いでくれる。体内の不備の生じた箇所を、再生し回復させる。無憂扇との別名。枇杷葉に援けてもらったことで、恩返しをしていきたい想いだ。早く言えば枇杷葉の力を、知って活用してもらいたい。

 加えて、枇杷葉は、何処にでもありますし、だからどうよって云われても返事に窮する。然し我が家の枇杷葉には、不思議な力が詰まっている。違うんですよ、何処となくですが。小保方さんではありませんです。だが、証拠もなければ、実証もできないことも真実なの。

 生協で買った苗。毎年、何かの苗を求めるが、咲いてくれた姿を眼にすると、思わずうれしくなる。夏の暑さが苦手です。

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下弦・小潮、夏至近づく

2014年06月19日 | Weblog

 庭のプランターのトマトが熟れだした。この数日、涼やかなので、一向に色が付かず案じていた。祝島からの枇杷を職場に持って行く。嫌いな人も居るが、食べてはくれる。種を回収するので眼を丸くされる。お茶にするんです。健康維持のためにだ。

 枇杷葉茶を飲用していると、体内の細胞が、ふつふつと活気を帯びてくるのがわかる。但し、哀しいかな、理系女ではないので、数式も論文も書けない。実験の結果もない。でも、この体が照明するんだが、公衆の面前に、出る気持ちは更々ない。

 枇杷葉の神秘的な薬効を、知っている人は活用し、知らない人は疑う。それでいいのです。皆が皆、枇杷葉茶を飲み始めたら、大変なことになります。此処を覗きに訪れて、自分なりに使ってくれれば、枇杷葉冥利に尽きます。信じることが福と転じる。

 景気が回復など、何時まで待ってもなりません。悪化の一途です。不正を働く者は、公になるまでは懐に、ばれれば逃げればいい。くらいの思考能力で、巧くて甘い汁を吸っている。左団扇が多い。どんな暮らしの中でも、自分に正直でありたいものだ。

 枇杷葉茶は、口内炎にも効く。嗽が効果的だが、胃腸にやさしい。B17は、熱処理に弱いため薬にはできない。然し、飲んで好しであり、貼って使うも効果有り、浸って用いるも更に佳し。と云い、大薬王樹とも無憂扇とも、呼ばれる所以なのでしょう。

 以前から、自分の体の内部が、変化していることは感じていましたが、最新器具に映し出された結果には疑う余地は無く、枇杷葉の威力に驚愕したのも事実。枇杷葉の効果を信じて、何はさて置き、続けてこられたことに感謝。宇宙の絶大力を想う。

 我が家の枇杷葉が必要なら、何時でも送ります。但し、寒中に採るのは限りがあり、事前にお知らせください。宇宙の磁場があるのも、はっきりと感じます。それだからこそ、邪まな心の人には交わりたくない。その影響に、心身が破壊されることもある。

 鉢植えで育てている、枇杷葉。祝島のだったか?白茂木であったか。寒中に剪定し、横に広げよう。

 

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休日の過ごし方

2014年06月18日 | Weblog

 休みの日は、その殆んどが家事である。加えて、庭に下りてエネルギーの補充をする。花木に語りかけ、ありがとうを伝え、感謝し、その合間には、布団を干し、洗濯物をする。季節の到来によって、しておかなければならないことが、目白押しにある。

 本も読みたい。寝床に入ってからのことが多いが、雨降りには増える。図書館で借りた本のこともあれば、持っている書籍のこともある。活字がないと落ち着かなくなる。時々、DVを観る。テレビは基本的に飾っているだけ。一旦つけると、際限がない。

 翌日の勤務に合わせて、弁当のおかずの用意をする。買い物は青空市に行く。農薬がかかっているが、低農薬なので買う。最近は、味の違いに、はっきり差があるのがわかりだす。調理方法も、素材を引き出すシンプルな方法を使う。美味しいです。

 今月に入ってから?体調不良が続き、早退して休んでしまった。友人曰く、働きすぎよ。と言うのだが、年金は減る一方で、生活の目処が立たねば、否応なしに働くしかない。介護の仕事が激務ではなく、年齢的なことと、自分の心の持ち用でもある。

 自分の体であるので、ある程度の予測はつくが、他人さまには説明しても無理がある。体調不良の証拠が必要。病院は厭だが、渋々受診。胸の痛みがあるため、その専門の病院に出向く。友人を頼りに連れて行ってもらった。其処に行くまでが難儀。

 30年前とはすっかり様変わりした建物になっており、場所も移転していた。受付で言われるままに進んで行き、なんだかんだと済まし、結果は医者もびっくりする異常なしだった。では何故痛みがあるのだろう?それが、心因性のものなのだろうか?

 枇杷葉茶を飲むようになって、あらゆることが解決されていることは知っていた。最先端の医療機器に因って、目の前に映った体内は、信じられない綺麗なもの。若い医者が感嘆の声を上げた。今までに見たことがなかったほど、と感心された。

 枇杷葉茶のお蔭です。それも、花芽茶や種茶を常時飲用し、加えて枇杷酒、梅酒も時々戴く。更には、ドクダミ茶や鉈豆茶も、千振にきらん草と、身近な薬草で、薬を極力呑まなかったことにもある、と内心で想う。やはり薬は、百害あって一利なし。

 春の陽光を浴び、すくすくと育つ枇杷葉。この緑色の輝き、艶やかな葉色にうっとりする。自然に援けてもらえることを感謝。

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ドクダミ茶作り・・・

2014年06月17日 | Weblog

 白い可憐な花と、スペードの葉が風に揺れる。せっせと抜き、新聞紙の上に、切って広げる作業を、このところ続けている。水で洗うと腐るので、飲む時に洗って煎じる。乾いたのは、ダンボール箱に詰める。消臭効果もあるので、部屋中に広げた。

 友人は、辛子明太子と塩鯖が嫌いだ。まあ、好みの問題だから、異論はない。肉は鶏肉も大丈夫らしく黙って口に運ぶ。ほうれん草の塩糀和え、じゃが芋の醤油煮、高野豆腐の煮付けは、味が薄いと言いつつ食べている。ご飯は少なめに入れた。

 幕の内弁当は、意外とめんどくさい。駅弁を楽しみにしているが、作る側は大変だと痛感。あれには、牛蒡や蒟蒻も入っている。酢の物もあった。漬物は、茄子を入れた。果物は、アメリカン・チェリーと枇杷。量としては、結構入れたので満腹らしい。

 食後の珈琲を飲んで、その後は世間話に講じる。麦が取れたのを見せると、びっくりする。フェンスの外や、車庫の側を教えると、更に驚く。今は、薩摩芋と大豆を植えていることを話す。トマトの色が付き出した。此処に来て、暑くならないと熟れない。

 友人が、帰った後も、ドクダミを取っては、せっせと切って広げる。思ったよりもたくさん収穫できた。肩凝りには、枇杷葉の焼酎漬けを乗せる。これも一日中していたが、効果が大きい。胸の痛みも和らぐ。のんびり過ごすのが、いいことはわかった。

 桂文我噺家のCD、おやこ寄席を買った。中々聴くゆとりがなかった。こういった笑いを、此のところ忘れていた。いかんなぁ・・・、パソコンのスイッチを入れる。お化け長屋、これは、坂田靖子氏の得意とするところ。定刻ホテルに抱腹絶倒。いいなぁ。

 精神的に参って居る時には、天花粉もいい。時間を我等に、ノーベル・マンション、ゾウの肩掛け。最近、新刊がないがお元気だろうか。痛快なギャグに笑い転げた、碧い時期には還れないけど、その雰囲気は甦る。そうだ!海をめくってみよう。

 西洋名はセレネ。羊飼いの美青年、エンデェミオンを惑わす。中国では嫦娥姫と呼ばれる。美しい天帝の想い人。

 

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麦・手作業で終える

2014年06月16日 | Weblog

 先日来の刈っていた麦を、機械にかけるのは少な過ぎ、かといってしておかなければ、埒が明かない。よく陽に当っているので、殻と実が直ぐに剥がれる。箱に入れていたので、そのまま吹いて殻を飛ばす。麦藁は、西瓜の下に敷く。やれやれ一段落です。

 麦茶にしても、はったい粉にも出きる。白米に入れて炊くのもいい。といっても、僅かばかりの量である。自分で作れたことがうれしいのだ。蒔いた種は刈らねばならないが、こんなに満足感を味わえるとは、思ってもみなかった。自然とは、ありがたいもの。

 枇杷葉の湿布を、朝から貼り続けていたら、どうにか呼吸が楽になる。耳鳴りは相変わらず、蝉がいるようだ。歳を重ねると、何処かしら悪くなる。当たり前のことで、気持ちがたるんできたものか。年金も下がる一方、将来の見通しはなく、悪化の一途です。

 ドクダミをせっせと抜く。そうしておいて、土を払って鋏で切る。新聞紙に広げて乾かす。天気が下り坂になってきているが、この2.3日は皐月晴れであった。ありがたいこと、と感謝していたら、体のだるさも取れた。枇杷葉のパワーをたくさん分けてもらった。

 袋の中が気になり、ちょっと触ってみる。大きくなっているようだ。これなら、今月の終わり頃には熟れるだろう。祝島から枇杷が届いたら収穫しよう。今年は、たくさん生っていないので、十分熟してがいい。四国の善通寺の枇杷は、程好く甘くて美味しいです。

 ドクダミ茶を飲みだして、右肩のただれが治った。痒くてたまらなかったのも消えた。体の不調は、薬草を煎じて、毎日飲んでいけば、殆んどが解消される。根気と持続が第一であるが、辛抱も大切です。どんなに打たれても、ひたすら耐えることに慣れたよ。

 満開になったクリスマスローズ。鉢の枯れた葉や茎を取り除いた。小さな新芽が出ている。種が零れたもの。

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墓掃除・田植え時期

2014年06月15日 | Weblog

 諸外国のことは知らないが、各地で田植えが行われる。南端の方では、既に終えて、早苗が青々としている。中国地方の各地では、池の樋が抜かれ水が流れ、田植えが始まっている。あちこちで田植え機が忙しく動く。子どもの姿が見えぬのは、ちと寂しい。

 ご先祖さまの墓掃除に出向く。息子と共に、古里を訪ねる。藪蚊と蜂を想定して、重装備で墓まで上がる。草を2鎌程刈った。息子が、「おるで、動くな。」と言う先に、筍の枯れたのに混じって、銭形模様が見える。納屋から持って来ていた鍬で、胴体を押さえる。

 容易万端とはいかなかった。祖母や母なら、竹串を用意して、突き立てておくのだが、こちらはそこまで思い至らない。鎌があることを漸く思い出し、頭を撥ねる。咬まれてはならず、息子は鍬に乗せて、墓の斜面に追った。汗だくで墓掃除を終えて尚、動いていた。

 祖母や母は、竹串で蝮の頭を押さえ、鎌を当てて皮を剥ぐが、何分慣れないことで、咬まれては意味がないので、彼らの棲み処には違いないが、殺生をしたくないので、出て来ないでくれ。と言いながら草刈をし、落葉を掃き花筒の水を換え、シキミを伐って活けた。

 帰宅して、やれやれと昼食を終え、布団を仕舞う。鉢が気になって動かせば、百足がいた。梅雨時だから仕方ない。トマトが3つ生っている。胡瓜は2つ、花を咲かせているが、1つは黄色になり、育たない。居間のドクダミを広げ直し、着替えて汗を流し洗髪をする。

 昼寝をしようかとも思ったが、用事が溜まっている。水遣りもしなければならず、麦の処理も未だかかる。片手間にできるのはいいが、農業を本格的には体力が要る。何にしろ時間が必要で、物を言わぬ分だけ、疎かにはできないね。昔の人等は偉いなぁ、と感心。

 旧暦を用いるには、西洋暦とは28日程のずれがある、従って、日本では皐月(6月)それを同じにして考えるのは無理がある。地球上の様々な条件や環境で、同じということはあり得ない。水無月とは、晴天が続き、雨が少ないこと。JUN=水無月ではありません。

 昨夕から肩に湿布をしているので、しんどさが軽減した。枇杷葉のお蔭である。然し、医者に行く気にはならない。っていうか、心因性のものは、薬だけでは治らない。加えてその原因を取り払うことは、至難のこと。フラッシュバックで現われる。心傷は想の他深い。

 早春の庭に、梅一輪。その仄かな温かさに、凛とした生き方を観る。冬の寒さに耐えて咲くのだ。

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薬害あって一利なし

2014年06月14日 | Weblog

 薬は怖い。呑めば効果はあるが、当然ながらそれによる害もある。酒も、百楽の長として呑めば、体にもいいが、酩酊しては意味がない。薬草には、お茶として飲んだり、風呂に入れたりの薬効性は違うが、毎日続けることによって、じんわりと効果を現す。

 昨夜、肩に湿布を忘れて寝たら、今朝は体がだるくて動きが鈍い。それでも、急に休んでは他の人に迷惑がかかると出勤。体感はなかったのが、昼を境にしんどさが増していく。我慢の限界を超えて、早退を申し出、代わりの人に頼み、何とか帰宅する。

 ポストを覗いたら、サンタさんからの珈琲が入っていた。今回は、ハチドリのにした。さっぱり感が、咽喉越しに爽やかなのだ。サンタブレンドより、ほんの僅か高いが、夏場だけの飲用だ。先々は、お茶も自分で作りたい。垣根には蔦よりはいいだろう。

 此のところ、耳鳴りが続いているが、歳のせいと梅雨時だと思っていた。風邪を引きそうにもなって、用心をしていた。昨日リエさんと話中、突然声が聴こえなくなってしまい、どうしたものかと。宇宙からの、神の声かと考えてもいたが、鼓膜の傍で蝉が煩い。

 精神的な要因が、原因だと考えられる。自分の生き方は、誰のものでもないのだから、残された日々を愉しみたい。人間は産まれて、死への路を辿っている。これは当たり前のことである。人生を愉しむべく暮らすのに、創意工夫は歓びが持続していくんだ。

 ドクダミを刻んだのを、居間に広げているのを、何回か混ぜては広げる。家に居れば、外で乾くが、放っておいて、雨に遭わすと腐ってしまう。防腐剤が入ってない分、傷みは早い。健康を維持するのに、農薬がかかっているのは安心できない。自分で作る。

 ドクダミ化粧水が、いい色になっている。普段は、枇杷葉ローションなので、皮膚の荒れや、痒みにいいかもしれない。毎朝、ドクダミ茶を飲みだし、肌の状態が良くなった。手の荒れも改善されたが、洗剤を変えないと防ぎようがない。やっぱりやし油かな?

 春の大曲線が美しい西の宇宙。其処に眼を移す前に、明るく光る木星。宇宙を眺められることに、感謝し観る。

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涼風、大潮・望

2014年06月13日 | Weblog

 今朝、あまりの寒さに眼が覚める。布団をかけていたが、身震いするほどの気温に、携帯を見ると午前4時だ。歳を重ねると、どうしても明け方に目覚めるが、ちと早過ぎる。次に起きたのは5時半だった。どうも途中で眼が覚めると、いいことにはならないのだ。

 勤務していても寒い。かと言って、羽織れば暑い。空は皐月晴れで、風も吹いている。窓を開けておいたら、寒いと苦言あり。いやいや、高齢になると寒さは厳しく感じるのだ。流行の重ね着をしているのが今風。然し、入浴当番をしていると、汗が吹き出てくる。

 帰宅して、室内に入ると冷房を点けているよう。天気を幸いに、ドクダミを抜く。居間に新聞を広げ、昨夜のに加えて切り並べる。1.5畳分。乾くともっと少なくなる。独特の臭いが、部屋中に立ち込める。子ども頃は、この臭いが嫌いだったが、薬草に心境変化する。

 緊急事態が発生し、リエさんに連絡する。個人的には、さしたる興味はないが、眼を輝かせ、すっかり舞い上がる人の居ることに、ちょっとびっくり。そ・そうなのか。憧れの対象が違うのだと気づく。見えない物が視えることに僅か戸惑う。自然は、心で感じること。

 蛍の季節になる。実家の小川には、鮠もいたし、蛍も飛んでいた。子どもの頃には、素手で捕まえられた。子ども達が小さかった時には、父母が待っていてくれ、足元を懐中電灯で照らし、網を使って捕ってくれた。蓬と一緒に籠に入れ、朝になったら放していた。

 古里の山並みは、何時しか大規模な土木工事で変わり、魚も蜆も、蜻蛉や蛍まで消してしまった。見た目には綺麗になった風景は、何の味気もなく、農薬だらけで生き物は棲みつかない。人類の滅びる日は近い。蜜蜂の羽音に耳を澄ませ、感謝したいものです。

 人生のやり直しができる年齢は、40代かな。でもそこからが速い。色々な柵があったりすると、更なる困難に発展する。然しまた、考えように依っては、大地に足を踏みしめて、自分の足で歩いて行けることでもある。試練を悲観せず、自分模様に愉しみたいもの。

 鶯の、下手くそな声が、寒さで震えているのか、と思える早春。梅に鶯、と言うが、中々止まらないのね。

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早朝・夕刻、皐月晴れ

2014年06月12日 | Weblog

 雷雨である。じめじめ蒸し々とした気温を、じっと耐えていたが、いきなりの激しい雨粒と雷。凄まじいものである。今朝、家を出るまではからりと晴れ、勤務中は曇りと雨。帰宅する頃には再び晴れて来た。紫陽花のような七変化に、ナメクジが出現していた。

 数匹捕獲するが、枇杷葉の新芽を甞めている。鉈豆や花木にも、眼を凝らすとさばっている。薬をしたくないので捕るしかない。数分、庭に下りていたで、縞蚊に刺された。これは痒い!音もなく忍び寄って血を吸う。桑の実を取ろうとしたが、凄まじさに止めた。

 着替えをしたら、寒くなった。屋内に冷気が漂っている。外に、水溜りができているくらいだから、屋根の熱は消えていよう。洗濯物は少し湿っていた。ドクダミの刈ったのが、雨に濡れてしまう。新聞紙に広げて乾かそうか、と持ち上げたら、ナメクジラがいた。

 梔子の蕾が、2つ3つ見える。これも剪定をした方が良さそう。ドクダミとユキノシタに押されて、端の方に咲く夏枯草。うつぼ草ともいうが、清楚な野草。それにしても、あっと言う間に増えたユキノシタに魂げてしまった。ランナーを伸ばし、次々増殖して行く。

 シモツケの白が満開になる。ビロード草、紫陽花、南天が咲き、ドクダミとセージも色を添える。遅咲きのクリスマスローズやパンジー、金魚草も見える。胡瓜の花と、ピーマンの花が、小さな実に変わっている。ミニバラが咲き、桔梗の蕾も膨らんで愉しみだ。

 今週の日曜日には、墓掃除に行くのだが、藪蚊がいるのは覚悟の上で、重装備で決行。息子と二人での作業になるのは致し方ない。蚊取り線香処ではない。向うは恰好の食材と、集ってくるのだ。その棲みかに行くのも、ご先祖さまへの供養なのであるが。

 枇杷葉の実が少しづつではあるが、大きくなっているのが、袋の上からわかる。今年は不作です。それでも、幾つかは生ってくれたことは有難い。花芽が咲いたら蜜蜂が飛べば、鈴生りになる。枇杷蜜はとても美味しいんだが、蜜蜂は移動するので飼えない。

 春の夕方、南の宇宙に浮かぶ恒星。静かに瞬き始めた星々は、冬の星座のオリオンも、姿を観せている。

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入梅・晴れ間少なく・・・

2014年06月11日 | Weblog

 洗濯物を干したと思ったら、雨である。慌てて洗濯物を、室内に取り込む。タオル類は乾燥機に入れた。午前中は、降ったり止んだりであったが、夕方の勤務を終える頃には、晴れていた。Aさん家で水を分けてもらう。帰宅して、庭を見回っていたら、霧雨である。

 入梅というからには、雨が降らねば田植えができない。天水が頼りで、池の水での管理であったのは、随分と昔の頃だが、空梅雨には困っていたものだ。今では、河を堰き止めて、田を潤すことが出来ているが、山間部の排水には、昔ながらの方法でしている。

 水は、生活に欠かすことのできない、大切な資源でもある。人々は、井戸を掘り、山瀬を切り開いて清らかな湧き水を誘引した。足を入れると、冷たくて震え上がった。麦を植えていたから、その株が足の裏に刺さった。蛭には、何時の間にか足に吸い付かれる。

 貧乏ではあったが、それなりに生きて来られたことは有難い。今も、余裕がある訳ではないが、毎日新聞が読め、無農薬の珈琲が飲め、働けることは感謝に値する。枇杷葉茶のお蔭で、援けてもらうえることも安堵する。本が好きという趣味が、友人を招くの?

 近くの友人と、何時も一緒と言うのではない。適当な距離を措いての関係でないと、お互いが疲れてしんどくなる。こちらは、書籍があればいい、という生活なので、古本屋が営める。従ってなにかと借りていく友人。映画や、自然観賞には付き合ってくれる友人。

 職場の人とは、できる限り遭わない。偶然であれ、行動を共にしようとは思わない。無論、勤務上の人員の都合があるためで、無理をしてまで休みにはできないし、休みの日くらいは寛ぎたい。集まって、仕事の愚痴を言いたくない。息ができなくうんざりするよ。

 遠くの友人は、リエさん。多方面に多忙な生活を送っている。そこにちゃっかり便乗して、迷惑を顧みず推し掛けていく。何も持っていない身なれど、友人の援けを借りたり、枇杷葉で親しくなった。決して、自分独りではできなかったこと。皆さん、ありがとうです。

 今春のクリスマスローズ。艶やかであり、その佇まいが美しい。早春から初夏まで、長い期間を咲いてくれる。

 

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