枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

訪問者

2020年11月10日 | Weblog
 寒いのですばるの機嫌が悪い。布団の中に潜り込んで居るのであるが、起きようとすると甘える。辛抱強く抱えていたが、自然現象に布団を剥ぐ。餌だけを容れてやり、着替えていたら膝に乗るので、仕方なくストーブを点火してやる。洗濯機を回しつつ空模様を見るが、風があるので布団干しは断念する。一昨日かに、胸部を何処かにぶつけたのか痛みが残る。

 昨夜は、枇杷葉の生葉を患部に貼って眠ったが、今朝もキリキリとするので貼っている。AM1:20分頃外に出てオリオン座を眺め、冬の大三角へと移動していたら、ベルトの所をすぅっと1つ流れた。久々の流れ星に満足して内に入った。一昨日にはちょっと早かったのか観えなかったのだが、火星も下弦の月も見事な光芒だった。それにしてもこの醍醐味は乾杯。

 家庭を持つということは何だろう?子どもをつくることだけでなく、お互いへの労わりや尊重にも依るのだろうが、調理や片付けが得意、という判断を女性にばかり押し付けるのはどうか。夫・妻の役割って何だろう?苦手な分野も多々あるだろうし、得意なことも性別ですることなのかとも思えてしまう。やはりそこには相手を人として認め、双方の歩み寄りも。

 子どもも、産むだけではない。母乳であれミルクにしろ育てていかねばならない。加えて、愛情も程々必要だろう。最近の痛ましい事例に心が塞ぐが、そういった状況に気づいてやれる大人でありたいものだ。核家族になって自分の思うさま生活してきたお互いが、何かで一緒になるとなれば我慢することも少しは堪えることも増える。正しいことでも折り合いを。

 誰が悪いとか良いとかでもなく、皆が安心して最低限の暮らしができることを願う。わたくしも独りで居るが他人を充てにせず、自分だけの判断をしつつ生きている。忖度もしなければ付き合いも最低限で済ます。対人恐怖症というか、苦手な事柄は避けており行動はしないでいる。足湯には向こうから来るのであり、きちんと連絡してからなのでとても有り難い。

 だからといってわたくしと同じだとも思わない。皆が其々に違っているから、ブログ訪問も楽しいし面白みがある。同じなら厭きてしまう。自分と異なる考えや趣味があるからこそ覗ける。写真や文章に関しても時々驚く表現を見つけるが、プロでないのだから放置しておく。印刷した書籍にさえ、誤字脱字の類もあるのだから、素人が気づかないのは当たり前。

 わたくしが気にするのは、長い文章をちゃんと読んでのことかしらん?と思える時。児童文学をやっていて、可なり文字の羅列には煩い。書籍も年間数が100冊は下らないし、好きな作家や好みのジャンルは手当たり次第に読む。或いは、何度も読み返す。友人も、そういった関係者が少なくない。暇を持て余す時間もなく、枇杷葉のブログ更新を続けている。偏屈。

 このミニ薔薇は、白から緑に変わっていく。枯れたかな?と思っていると、蕾を付けて咲いてくれる。鉢植えなのです。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬場は乾燥して来る

2020年11月09日 | Weblog
 火災予防週間だそうで、賑やかに広報車が火事への注意を流している。暖房器具にも因るが冬場は空気が乾燥して来るので、更なる用心に越したことはない。でも焼き芋は食べたい。何かと重宝しているのがストーブで、本来は薪で遣りたいのだが暖炉もなく、野外での設置も無理なので辛抱している。何よりも温かいのが好むところなので引っ越しとなる。

 今朝は天気だが風がきつい。布団を干したものの、雲の流れが速くて心配になって仕舞った。洗濯物は良く乾くので助かる。物事には何もかも上手くいくことはないので、あちら立たばこちらがという塩梅になる。従って腹を立てないことと、そういうものだと流れに任せる。自然には逆らう方が間違っているので、雨の日も風の日も曇もあるのだと納得で。

 本日急にカレーを食べたくなって、玉葱を剥いていたら腐っている。淡路島のが美味しいからと買ったのに、と思いながら気づけたことに感謝する。じゃが芋は皮を剥かずに洗うだけで切る。鍋に放り込んでガスを点けた。青空市に出かけるのも億劫で、冷蔵庫を片付けるべくあるものを追加。野菜カレーなので肉は入れない。レトルトは中村屋のが美味しい。

 水曜日の弁当は生姜ご飯の予定なので、その段取りもあり頭の回転を促す。倉本聰・やすらぎの刻3巻読破し、現代農業も読み、アガサもそして誰もいなくなったをものにする。以前読んでいるのだが思いだせない箇所に引っかかって毎夜眠気を抑えて。沖縄の紅型にも興味が動き予約した。児童書を侮る莫れで心に一服の涼がうれしい。自分スタイルも慣れた。

 ブログへの訪問にも百人十色で、実に愉しい発見をさせてもらう。個人の思惑も宛ら、個性が豊かで面白いことが多い。わたくしは他人への配慮もしなければ、書きたいことを想うさまに綴っているので、訪問者には感謝あるのみ。料理の記事に花の美しさに、動物の愛嬌さに心が和む。生きていくことには責任も伴うが、こういった繋がりもまんざらではない。

 そこから実際に逢った方は、現在イタリアのエトナ山麓でワインを造っておいでだが、とても素敵な方でもある。日本にも出荷されているようで、質の高い味わいがあるそうだ。エトナ山は火山の噴火場面、スター・ウォーズの№3のアナキンとオビ・ワン・ケノービとの決戦。ここはしょっちゅう噴火があり、その火柱は凄い音と高さらしい。まさにそれです。

 大根の一夜漬けを作る。おろしにして塩っぺを混ぜ、鰹節も少し入れ置いておくが箸休めにいい。大根は消化も良く使い方も多々あり、これからの季節には重宝する。鰤大根も美味しい。時短で買ってくることもあるが、出ていくのが大儀な方が多く、台所に立つことが増えた。お八つも林檎を中心にして、焼き芋やらホットケーキが安上がり。要は横着なのだ。

 枇杷葉の葉で見かける蛙。結構存在しているが、ヤマカガシもいるからなぁ。ウシガエルは前の川に居て、鳴き声にびっくり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感応するのか?下弦・小潮

2020年11月08日 | Weblog
 仕事を辞めて半年が経過したが、コロナのせいではなく何処かに出かけよう、という気力が消えている。他所さまのブログを訪問すれば、写真が趣味な方が多くいらして、四季の草花を始めとして南から北まで閲覧できる。天気も面白いもので、当地が晴れであれば徐々に東に移動したり、同じ条件であることにも驚く。まるでどこでもドアーのようである。

 最近は、図書館を利用しているので、相当に悩んでも金銭的考慮で買わなくなった。旧暦のカレンダーと暦、藤井旭さんの天文ガイドは求めているが、その価格の上りに眼が飛び出す。まあ、20年前とは違うのだが、消費税の10%はきつい。あちらでこちらで税金を払い、それを湯水の如く使う閣僚でもある。腹が立つ前に厭きれるばかりで、強制的に撤収。

 で。そのブログ訪問にも、感応してしまうオーラの方が偶にいることもあり、媒体が電気でもあるので予期せずに入ってもくる。先日は、パソコンの調子が怪しくなって履歴が消えてしまった。自分では直せないからどうしようか?と思案し、ブログ先を覚えていたので検索したら出てきた。手間も掛かるし面倒でもあるので、半ば諦めてもいたのだが復活。

 今後はメモしておくか、お気にいりに追加しよう。それにしてもこの膨大なブログ数に、驚きを隠せない。本来では機械オンチなわたくしが、やっていること自体が可笑しいのだが、若造に触発されてPCの勉強に行った。ブラインドタッチこそ無理だがローマ字打ちは出来る。変換で間違いも多いが気が付けば直せる。直ぐには出来ないことも試行錯誤だわ。

 コメント欄にも気になれば書かせてもらうが、皆さんご丁寧に返事をくれるので却って恐縮している。但し、写真に依ってはボタンを押しづらいのもあるし、何度でも押したい項目もある。後、これまでに書かれている箇所にもお邪魔に上がるが、胸が詰まってしまい言葉を失う記述に遭遇。訳もなく画面が見えなくなってしまう。心の慟哭を感応するのだ。

 今朝は、天気であるが先ず々だった。図書館から予約本の案内があったので、チェアの方の座布団や膝掛を干しておき、返却本を持って行った。借りたのは、別冊太陽・与勇輝と毎月のモエと現代農業。これも参考になることが多くあり、木村秋則さんの記事も見かけるので重宝している。林檎も無農薬で作れればいいなぁ、と試行錯誤しているが思うだけ。

 枇杷葉の枝を見回り中、1枝綻んでいるのを発見し撮影する。昨日の雨が幸いしたのか、今朝の気温が高めなのかは定かではないがうれしい。陽当たりを考慮して枝を引き寄せるが、強くすると折れるし悩む。りささん枇杷葉に今年は幾つか見えている。剪定ばかりしたからかさっぱりだった。暁子さんのには物凄い勢いで鈴生り、リエさんのもびっしりだよ。

 我が家では肥を化学肥料ではなく、塩と糠だけにしているが、凄い勢いとなってくる。最初の幾つかは口にするが野鳥に。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立冬・小潮、長月

2020年11月07日 | Weblog
 二十四節気 立冬 陰気深くこもり、冬の気立つと言う意で立冬という。次第に冷気深くなり、毎年、十一月七日頃である。昨夜にお湿りがあったようで、アスファルトが濡れており冷え込みも深。地元の中学校の廃品回収を出していて持って行ってもらう。段ボールや新聞紙等の荷だが、半年に1回で案内が届く。ご丁寧に曜日と時間指定で持参の促しである。

 今朝は、アガサを読んでいて起きたのは9時であった。途中に眼が覚めてみればAM4時だったからだが、何とも不快な夢をみてしまい心がざわつくばかり。こういう時には起きた方がいいなぁ、と自裁に駆られてしまった。家に居るからと言って、何もしていない訳でもないが、世間の荒波には抗しがたい。枇杷葉の下にぼんやりと佇むことさえ気配を消している。

 朝起きると、先ず森羅万象への畏怖を祈り、枇杷葉茶を沸かして両親と愛猫へのお茶湯をし、洗濯機を回しながら珈琲を挽いて淹れ、新聞を読みつつ朝食を戴き、洗顔をしたら簡単に化粧をする。枇杷葉ローション・白色ワセリン・ファンデーションに眉と紅で終了。今朝はすばるが寒いとの訴えに、抱っこをするが重くてパソコンの部屋に追いやり毛布に。

 先日、生の生姜を貰っていたのを、放って置いたら腐ってしまうと、慌てて皮を剥いて調味料に漬ける。次回の弁当には生姜ご飯を作ろう。甘酢は沢山あるので止めておく。他所さまのブログで勉強になることが多く、料理方法や庭の花木に興味を持つ。我が家は枇杷葉が多くあり、椿・山茶花・薔薇・芍薬・百日紅・銀梅花・銀木犀・紫陽花・通草・南天等。

 白椿を植えたのは、エリノアという漫画からである。谷口ひとみさんを覚えていたり、内容を知っている方は相当の通だと思える。忘れられない作品でもあったし、復刊ドットコムで見つけた時には小躍りした。そういう経緯でカミーリア・白椿が、何としても欲しかった。小石川植物園には椿園が一角にある。我が家のは小さな木だが、その姿が清楚可憐だ。

 クリスマスローズは我が家に合ったのか、零れ種で発芽しては増えている。地植えにするのが良いのだが、地面がかぎられておりどうしても鉢になってしまう。冬の間を咲いてくれるし、色も多彩で新種を買うことも多くなる。枇杷葉の下で咲くさまは実に見事で見惚れる。今年は春先に鉢を換えてみたのが、新芽を出してきたのもうれしい。やれやれである。

 よみがえった奇跡の紅型 これは児童書にはなっているが、大人が読んでも充分な内容で、これ程に精根かけてされてきた人々が居た事実に驚く。沖縄の方々への深い敬愛も然ることながら、伝統だけに拘らず心のあり方に通じておいでの暮らしに胸が震えた。加えて、この素晴らしい本に出遭えたことにも感謝するばかりだ。人の生き方は様々だが卑屈でない。

 昨夜は、砂漠の女王・ルツを鑑賞する。モーゼの十戒でイスラエルに来た民も、異民族には厳しくルツに辛くあたるが、心に正直に自分に素直に生きようとする。聖書を詳しく知らぬのであるが、ルツの話より名に強く惹かれたこともある。その後、ジュリー祭りを観ながら転寝をする。何故なんだろう?沢田研二さんの声には睡眠作用があるのだろうか…?

 晴れた日の庭の枇杷葉。澄んだ青い空に、枇杷葉がすっくりと伸びる。そろそろ苞が覗いてきており、その佇まいに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷え込む・・・

2020年11月06日 | Weblog
 今朝の寒さにストーブを点けるが、枇杷葉茶を沸かし甘酒を温めるには勿体なく焼き芋もする。アルミホイルに少々の塩を振って巻き込み置いておくと、他の用事をしていても出来上がる。早朝には霧が撒いていたので陽が射さず、気温も低く寒かった。敷布団だけを先程干したが、これからはこの状態が続くだろう。すばるのトイレが気になって換える。

 我が家では枇杷葉茶を飲ませているのと、外には出さないので獣の臭いが全くしない。猫は風呂嫌いでもあるしで、真夏の天気を見計らって洗うが、枇杷湯でするので更に無臭。爪砥ぎも決めてある場所でしないと、叱られるのを知っており飼い主の顔を見ている。今朝も、寒いから窓は開けないと言ったら抵抗を試みていたが、洗濯物を干して分ったの。

 で。その頃から陽が射してきて日向ぼっこに入る。小一時間程窓の傍で体操をしていたが、厭きたのかパソコンをする飼い主の背中で外を眺めている。枇杷葉も鈴生り状態の苞だが、数日は開くのにかかりそうだ。気温低下に驚いたのかな?黄色くなった葉を落とし、感謝の言葉を伝えておくのも忘れずに。コロナで旅行業者が立ちゆかなくてトラブル。

 個人的には行きたい場所と時期があるので、そういった企てには乗らない。物語を読んで印象の強かった場所にも、機会があればとも思うが資金の事もあり内容も狭まる。滝廉太郎の花は、四季の構成であったのは後で知ったが、リエさんやしーちゃんと隅田川に向かい、未だ咲いてなかったねぇ、と言う先から見るみる内に蕾が開花していったこともある。

 自然に祈りを感謝しておれば、こういうことにも遭遇するのかと不思議な想いに捉われた。ハチ公の銅像にも東大に案内されて遭えた。その管轄である小石川植物園にも行けた。多くを望まず小さなことへの感謝であることの贈り物だったのか。田中正造を研究している会に参加した時も、市川庭園で秋薔薇を見ることもできた。今は籠りで充分なのです。

 そういったわたくしの我儘に、何時も根気よく付き合ってくれるリエさんには、言葉にできない感謝がある。枇杷葉での繋がりでもあるが有難いことで、お互いが無理をせずに居ることの大切さを思う。今はフェイスブックもあるしそこからの通信手段も可能なので、気がかりができれば直ぐに連絡できるのもうれしい。リエさん、何時もありがとう感謝。

 明日は立冬。11月の14日までが旧暦の長月で、翌日からが霜月となる。新暦のカレンダー記載の旧暦表示は、凡そ1ケ月以上の季節感のずれが生じている。七五三の祝いを神さまの居ない時にはできません。かと言って出雲大社に集中されても困るよ。年間の宇宙の様子と、暦で知る季節は大切なので手元に置きたいが、スマホの方が便利なのかなとも思える。

 初夏に実をつける梅の色には、透き通った翡翠の輝きが宿っている。梅雨時期を含むと虫が入るので、取って焼酎に漬けた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気温低下、八せん始まり・中潮

2020年11月05日 | Weblog
 アガサを読み直して、沖縄の紅型を蘇らせた選定図書や、DVDの101とアラジンを観たりとしていた昨日。真夜中に外に出て月を観望し、オリオン座おうし座の顔に当たる、プレアデス・ヒアデス星団を、火星の光芒を眺めつつカシオペアと北極星に向く。誰もこの時間に外に出ている者はなく、貸し切り状態を満足する。自然を満喫できることって最高だよ。

 弁当用に豚肉を買ったが、さて3日間の段取りをどうするかな?1日目は豚肉とほうれん草の炒めに、2日目は豚肉を片栗粉にまぶして炒め、甘酢に漬け込む(味醂・三温糖・酢・出汁・醤油)。さっぱり感が良かった。本日茹で大豆と塩で炒めた。ほうれん草と豚肉は合うのだが、スープにするのが一番美味しい。これからは出回るので食欲不振に温かくて良。

 色目も気になるので、卵の黄色やミニトマトの赤を容れ、大根の千切りにしたのをシーチキンで煮て醤油を垂らした。マグロの缶詰でも良いが、味が付いているので調味料は加えない。里芋の煮物は、土が付いているのだけ洗い落したら、鍋に水を張って一つまみの塩を容れて火に(中火か弱火)かける。1時間を目安に火を止め、水をかけながら皮を剥く。

 手間も掛からないし手も痒くならない。里芋もある程度火が通っているから、皮を剥いた状態で冷蔵庫にも容れておける。下味が早く浸みるのも時短で。若い時には、調理は苦手な上に時間が掛かってばかりだったが、最近は手抜きを覚えたり段取りのコツも分かって早い。但し、気合いを入れてのことになり、気力も結構使うのでボケ防止にはなっている。

 今朝も天気が良いので布団を広げておく。弁当を配達してから帰路、隣市になるが直ぐ傍の郵便局まで行き、予約の年賀状を受け取る。袋に一杯予約者への頂き物にびっくり!自宅近くまでの途中、図書館に寄ってやすらぎ刻・3巻目を借り帰宅。布団を仕舞い昼食を戴き珈琲を飲み、枇杷葉が高くなったのをハンガーで寄せて引っ張る。苞が沢山付いている。

 ブログ更新の前に、訪問をしながら書き込みをしたり諸般の事情に触れるが、それなりに大変なことを思うばかり。花を植えれば木が陽射しを遮るし、人間の都合ばかりも言えない現状もあるしで、折り合いをつけていくことの難しさだ。でも、光合成を行ってくれ、酸素を提供して二酸化炭素を吸収してくれるのだ。邪魔等と言わぬように感謝してほしい。

 我が家の場合は、枇杷葉の苞が花芽で咲けば採るし、寒中の剪定になるのだが、そういった事情を理解してくれねば軋轢も深まるかもと案じている。取敢えずは、枝を目いっぱいに引っ張っておき、徐々に枝を曲げて慣らしたい。脚立が必要となるので、今後の作業には危険が伴うし、そこから転落すればどうなるかは分かるのでやらない。入院は避けたい。

 山茶花がもう少しで咲くか。百日紅が終わってしまい、花の乏しい状態でつわ蕗とチェリーセージ、桃色の地面を這うのも勢い良い。気温が次第に低くなっていくが、室内の暖房は湯たんぽだけである。セーターを着ており、靴下も穿いているので我慢できなければコートを羽織る。すばるは毛皮であるから、中々膝には来ない。最近は重くて痺れてしまうが。

 店先にあったので買ったが、自然に生えているのも土が合わなくて消えた。捻り草も、何度買っても自然消滅してしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晩秋の景色

2020年11月04日 | Weblog
 秋もそろそろ冬への移行で気温は20℃。外で未だ咲いているランタナを、今の内にと引っ越した。オリズルランも入れておこうとパソコンの部屋に持ち込むのを、すばるが油断なく見ている。駄目だよぉ、これに手を出しちゃいけません。なんで?ここに居れたら餌だろう、と隙を狙って覗き込むのが怪しい。ぜぇ~たいに駄目です!!いいよ留守にやるから。

 寒さの厳しい時期には内に入れれば、部屋も狭くなって居場所に困るが、さて枯らすのもどうかな?と仕舞う。人間の勝手で植えられたり、土に合わなくて枯れたりする。新井素子のグリーンレクイエムを思いだす。ショパンのレクイエムもCDを買って聴いた。ピアノよりもヴァイオリンの方が好みだが、演奏者にも因るなぁ。チャイコフスキーも映画で観て。

 孔丘。数日かかって読んだが難しい。論語自体が理解し難いものであるから、高校の授業でも眠気を誘った。小学校での野外授業と中学校での遠足では、靴下の替えを持って行っての正座である。講釈を聴くどころの気分でない。足の痺れに立てなくて、殆どが前倒れ騒然である。何をすき好んで小難しい話を、然もその年齢で理解させようと言うのが間違い。

 隣市なので割と近いこともあり、学校にすれば手近な場所でもあるのだが、孔子がそうであったからと今時の青年が同じとは限るまい。この歳になってやっとこさ、解りかけてきているのだから、無駄ではないが無理だった。だが宮城谷昌光の解釈には納得でき、そうであったのかと読み終えた。天空の舟 晏子 太公望 夏姫春秋 楽毅 新三河物語等文庫で。

 今朝は青空が一斉に広がっており、布団を出して干す。暖房を未だ我慢しているので、ふかふかになるのがうれしいし気持ちが好い。然し、腕が上がらなくなったりの症状も出て、ちょっとしたことでよろめいたりもするので、何をしているかを記憶させてから行う。咄嗟に動くと難儀な事が待ち受け、治るのも日数を要する。あちこち騙しての基本的動作である。

 弁当を作って届け、Aさんちで水を分けて貰い、図書館と銀行とに寄って帰宅する。Aさんちの水は、枇杷葉茶を沸かすのと珈琲を淹れるのに使うが、断然味が違うのである。安物の珈琲でさえ来客は美味しいとよろこぶ。猫舌なので何時も冷まして飲むが、途中で帰るとは言わないのがうれしい。自分でもカルキ臭さを飲もうとは思えず、有難く貰いに行っている。

 今年は、雨に祟られてはいたが松茸の出来は良いだろう。雷も結構鳴っていたのも繁殖するそうだ。枇杷葉もそうだが、木の生り物には裏作があるので、交互で生っているらしい。自然の成り行きだろう。毎年だと樹も疲れてしまうのだから、生らない年があってもと思う。個人的には身体を冷やす物は遠慮して、余程の事がない限り口にしない。頑固なのです。

 黒揚羽の幼虫。柑橘類に卵を産むとは気づかず、ちょろちょろし始めてびっくりした。日高敏隆・蝶はなぜ飛ぶか参照に。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世間は何か・・・

2020年11月03日 | Weblog
 子どもの賑やかな声がせず、変だなぁと起きて暦を見れば、文化の日である。そうかっ!本日は手塚治虫氏の生誕日であったと書棚に眼をやる。初版本もだが相当数の著作を持っており、現在は図書館に貸し出していて、ガラス越しに閲覧できる。練馬区に虫プロダクションがあった頃、漫画家を夢見てはいた。然し、そんなに簡単には世には出ていけなく断念。

 今朝は抜けるような秋晴れに、洗濯を干したが布団を広げられない。地面が少し湿っており諦め、弁当の用意をして届ける。昨日、水羊羹を冷蔵庫に用意しているのも、小川珈琲と共に持って行く。家に籠って居るからか食事が欲しくなくなっていたが、温かい物は身体に好いかと。元気が出たのもつかの間で、洗濯物の臭いに閉口する。香害とも言うが気分が。

 洗剤会社の陰謀としか思えない。自然の香りだと心地よく鼻腔をくすぐるが、これが人工的な臭いだと蕁麻疹は出るわ、呼吸が苦しくなるわとなって死ぬ想いにさせられる。香水の臭いもそうだが、これならドクダミ等然したる物でなく、体中が痒くなることもない。食材でも、農薬が掛かっていると直ぐに反応が出る。無論、添加物や防腐剤含有には拒否反応。

 従って相当な覚悟で買うか、決死の想いで口にするかであるから、世の中には旬の物しか無いのだと思うことにしている。作るのは面倒とも思わないが体調に因っては作れなくなる。一食抜いても死ぬことはなく、胃の中も空になって良いかもしれない。これからはお粥にしよう。これに梅干しがあれば最高だわ。独り暮らしで贅沢を言えば限がないのだから。

 スイトピーの茎が勢い伸びていて、支柱をしたのに絡まっている。先日に、鉢やプランターの移動をしたのも落ちついたようだ。枇杷葉の枝のどれもに苞が鈴生り状態で、これをお茶にして飲むと得も言われぬ心地に。何回かに煎じて飲むが、お茶パックに入れたのを3回位で外で乾燥させ、捨てないで足湯に使ったり、土に鋤き込む。微生物が増えてくる。

 そろそろ咲くのも見えているが、今月の中旬からが殆どで、旧暦の霜月辺りからが望ましい。この時期には剪定も始まるので、予め頼んでおくと分けてくれる。苞は花になり結実して実になるので、勝手には取れない。我が家のは花芽専用の枇杷葉を決めていて、採って冷凍庫に入れる。ホワイトリカーで漬ければローションが出来る。紙魚や雀斑美白効果がある。

 我が家ので好ければ分けますが、送料だけは着払いでお願いします。無料だとお返しを考えたり、粗略に扱ってしまう結果塵なります。自然からの恩恵には祈りと感謝があり、そういうことへの想いがなければ成り立ちません。白枇杷の苗もすくすくと育ってくれ、初生りも沢山確認した。枇杷葉を相手にお酢の散布をしながら、言葉を掛けて周っているこの頃だ。

 上京して帰りだったと思うのだが、偶然に撮れていた。新幹線の中からなので構図が決まってしまうので、意外と難しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長月、一の酉・大潮

2020年11月02日 | Weblog
 夕方から雲行きが怪しくなって、雨垂れに気力が消えていくようだった。体力の維持には食べることだろうが、それが湧いてこないのだ。夕ご飯は抜いた。今朝は食パンと挽いて淹れた珈琲にしたが、それも調子が出ない。何だろう?自分の身体が管理できないとは、正に天変地異の予兆かしら。寒いのかすばるが抱っこをせがみ、くっついて離れない。お・重い。

 机の上に居場所の箱を置いてやると、湯たんぽの温かさにうずくまる。飼い主だって我慢してるわよ、それも毛皮が無い分を補充するのもしんどい。やたらと着込むと肩が凝るし、寒いと腰が冷えるので動けなくなるのだ。そろそろ枇杷葉エキスに漬けたのを貼ろう。生葉も少なくなっているから採らねば、雨の中を出る気にはならないので、天気の回復を待とう。

 部屋から庭を見れば、沢山の苞がびっしりと付いている。農薬の代わりに散布しているお酢が効いたのかな?厭々、今年は生り年であるから、以前にも増しての付き方なのだ。それに加えて初生りの木があるし、自然発芽した苗も3本は確実に育っている。自然への祈りと感謝にも、己の心掛けがなくては成り立たないのがよく解る。今年も寒肥は糠と塩で遣ろう。

 暖房のスイッチを立冬にしようと思いつつ、ストーブは煮炊きが出来る物を使っているので点けたが、結露が生じるので雑巾が手放せない。台所での窓拭き専用に置いている。先日、図書館から貰ったすばるの餌を至極お気に入りになってねだるが、付録なの、そんなにはないの。と言い聞かせているが、あれが美味しかったと煩い。まだチュルチュルもあるよ。

 冬の宙に移動している。夕方の東向きにオリオン座が上り、左下に観えて来るのがこいぬ座とおおいぬ座で、これが冬の大三角形、春先まで夜空を彩どる。ギリシャ神話を読めば、そのオリオンが追いかける美人姉妹が右側に観え、和名では昴、プレアデス・ヒアデス星団だ。これはおうし座の顔に当たる。火星はうお座に天王星接近、木星と土星は山羊座に移動。

 宙を眺めていられる幸せを感謝し、捨てていく物を考えながら生きていかねばと思っている。元気であるとも言えぬが、健康でないとも言い切れない現状を、どうやって凌いでいくかは今後の課題でも。取敢えずは枇杷葉に援けられての暮らしを続けることで、乗り切って行こうとは思っている。昼ご飯は何にしようか?お八つは水羊羹を作ったんだけどな…。

 地元学区中学校の廃品回収があるので、雨を幸いに纏める作業をする。で、この際であるから書籍や雑誌も括り、出す準備をした。新聞も少しは除けておかねばならないが、何時もそうしているから溜る。塵に出す前に再利用と保管するから場を取る。衣類も片付けなければ、マスクばかりも要らないしで悩む。一体に何を目標に日々を過ごせばいいのか疑問。

 もの凄い群衆になって咲いている。寒肥を入れ過ぎたのか?薔薇酒も沢山出来たし、ローションも作れたが綺麗だった。

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身近な花々

2020年11月01日 | Weblog
 昭和天皇が、雑草という花はない。との談話が載っているのを読んで、皇室がとても親しみのあるものと思えた記憶がある。尤も、上皇后さまである美智子さまは、ご結婚式を小学生の時に見て、何という気品と美しさであることかと感動した。当時は、テレビと言えば村に一軒だけで、皆が総出でお邪魔に上がり、やんややんやと賑やかに観たものだ。

 祖母等、畏れ多いと涙を流し画面を見なかった。時代が違うと言えばそれまでだが、自然を敬い畏れていた頃には、貧乏であっても温かさが通っていたもの。便利で快適な生活を維持するには、誰かが犠牲にならねば不可能なのかも知れないが、北海道の先住民族・アイヌ民族を、沖縄の人々の苦渋を忘れてはならない。辺野古の埋め立ては何故中止に。

 ミゾソバの花に、人気があるようだが道端や田に生えていて、抜いてしまうこともある。繁殖力が強く旺盛で何処にでも生える。セイタカアワダチソウも、川原や川の土手に群生している。これは花になってしまう前に摘んで風呂に入れると、冷え性に効くようだ。これで商売をしている方もおいでだ。現代農業の受け売りだが、意外と役に立つ薬草だ。

 枇杷葉には、他の特殊な効能が殆ど対応できるので、乾燥させてのお茶に、生葉を使っての手当にと重宝しているが、民間療法には殆ど見向きもしない。腰痛に火傷に水虫等、凡そ効かない症状はないが、其々に処方が異なるので無闇には勧めない。血液をサラサラにするのは玉葱もだが、枇杷葉は血管自体を掃除するので、脳溢血等に効果が大きい。

 枇杷葉は別名を医者いらず、大薬王樹とも無痛扇等言う。祖母は無医村で産まれ育ち、嫁いだ所にも医者はおらずで、百姓の知恵を生かして薬草を調べ用いていたようだ。山には三隣亡では足を入れず、暦で四季の移ろいを知り、薬草が何処にあって何時開花し、どのくらい採って残せばいいかをやっていた。自然からは、取り尽くせば元に戻らずだ。

 野良猫が網戸の傍まで寄って来て、すばるに中に入れてくれと動かない。そりゃね、入れてやりたいのはやまやまだけど、飼えないのよ出入り自由では。何匹も飼う余裕はなくすばるだけで手一杯。この野良猫も、一時期誰かが餌を遣っていたので、逃げるどころかうろつく。既に大きくなっているのもあり、それは無理な相談です。断固断る次第。

 今朝は、天気なのをよろこんで布団を出せば雲行きが怪しくなって、慌てて仕舞えば回復してくる。もう一度出す気力もなく、ブログの更新をしている。図書館で宮城谷昌光・孔丘を借りているので読まねば、アガサ・クリスティーのそして誰も居なくなったも。DVDでは生き残りが居たが、あれはいただけない。タイトル通りにしてほしいものだ。

 フランク・ハーバード原作・ディーン砂の惑星も、最初のDVDが手に入らなくて、デビット・リンチ監督、主演カイル・マクラクカンで買った。新作が映画化されたようだが、めちゃくちゃ長く読破は根気も体力も要る超大作だ。本屋に勤めていた時に文庫で手に入れたがしんどかった。カイル・マクラクランに一目惚れ。ショーンコネリー死亡。

 彼も好きな俳優。ダイアモンドは永遠を映画館で独身時代に観た。アランドロンはハンサム過ぎて、太陽がいっぱいにはのまれた。日本の俳優さんね、加藤剛、竹脇無我、原田芳雄は樹木希林との共演が良い。沢田研二も桂春団治は良かった。相手役が藤山直美なのも泣けたもの。最近の役者って言えるような…タレント目立ちがり大根ばかりか。

 芍薬の立ち姿に惹かれるが、植えた者は背筋を伸ばす目安にしている。若い時には、痩せていて性格もギスギスしていた。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする