枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

長月、庚申・中潮

2020年11月13日 | Weblog
 今朝は早くに起きて出かける拵えをして、ドコモまで安全運転で往復した。実際疲れてしまう。操作方法に思案して画面の変る度に、えっ・どういうことなの?元に還ってと叫んでいたのが、店員の呆気ない指使いで直る。解約をして帰ろうかとも思ったが、文句たらたらを素早く対応してくれたので却下した。それにしても面倒で難儀な操作だわ。

 序に銀行まで行って、介護の臨時支給金を受け取る。全国になので金額は少ないが、全く出ないよりはいいことでもある。コロナが次第に増加している状況を思考しないと、増やして民を殺す心算の施策か?自力で可能な葬儀に使うことはしても、庶民を守り負担を掛けないことは後回しで、コロナの終息はないです。既にオリンピックは無理でしょう。

 期待を籠めたり持たせたりするから、その間の維持費が膨大になる。できないと分かった時点で止めておけば、ここまでの不安も負担もないものを。国民の賛同を確実にしないで誘致し、その陰で莫大な金をばら撒き、加えて収集のつかない状況での判断も怪しいのだ。オリンピックは皆が楽しめる祭典であろう。とてもの事にオリンピアの心では否。

 他所さまのブログを覗きに行って、興味のある文面に眼がいくことがある。知らないことが分かり、知識が増えていくのは愉しい。わたくしの書いている内容には、然したる変化もなく面白いとは言い難い。でも、同じような事ばかりでも詰まらない。写真を載せてはいるが直ぐにではなく、数年前のだったり昨年のが殆どだ。翡翠にもお目に掛かれ幸い。

 紅葉は田舎なので日々眼にしており、写真を撮るまでもない。枇杷葉にも気をつけてはいるが、毎年のことなのでここに記録するだけだ。何しろ機械オンチであるので、そこまでの操作に手間取るし、消えてしまう可能性の方が高い。取敢えずは保管しているが、結果は明らかに忘れてしまう。最近は特にそういった行為が増えて、首を傾げることが増え。

 pcの講習には行ったが、画像を取り込むまではなかった。まあ、命に別条がある訳ではないのと、やかましく言われることもなく御座なりになる。そうそう、最近饂飩の玉が一度には食べられなくなった!半分を時間差で口にしなければ無理。これまでは素饂飩ならどうということはなかったのに、これも仕事を辞め動かず、年齢もあるのだろうと納得。

 昨日とは転じて雲の多い天気である。明日は、曇から雨になるのか気温は高い。青空市でビオラが安かったので買い、プランターに植えておく。フリージアも芽がでてきたと作業をしていたら、ちょっと当たってちょんぎった。おおっ、何ということだろうかと愕然。クリスマスローズが新芽を出しているのを眺め、薔薇も咲いてくれてとてもうれしい。

 枇杷葉茶を飲み、刀豆茶、ドクダミ茶で認知症状には程遠い。然し歳を重ねてくれば事故も逃れられないもので、先日の胸の痛みは肋骨が折れたか、ひびが入ったかと思える。枇杷葉のお陰で治ってきたが、今後はよろめくのも注意しよう。男性によろめくことがなくなったので、油断していたのが間違いだった。アクシデントは必ず付いてくるのだ。

 こういった場面によく遭遇するが、撮影しようと試みることが少ない。時折、声が聴こえてくるが、自然への畏怖でもある。
コメント
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