枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

神無月、望・大潮

2020年11月30日 | Weblog
 今夕には、天気次第ではあるが半影月食が各地で観られる。宙は、雲の動きにも星や月の満ち欠けにも見応えがあるが、興味を抱かないと素通りしてしまう。だがそれであるからと神罰が下る訳でもないし、日常生活に支障を来たすことでもない。心を豊かにしようとは言うが、援助の手立ては皆無であり、賑やかしての足払いばかりをしている。空振りの政権だな。

 自然を写す方法には、絵であったり写真であるのだが、見たままの像をそこに写し取ることは皆無だ。偶々であれ、誰しもの心を捉えるものでもなく、或いは虜にしてしまう魔法をかけてしまうことも。心の中は視えないうえに読めるものでもないが、聴こえることに遭遇は出来る。何という感覚であるのか、ペテロがイエスの声を聴いた想いにならざるのも納得。

 午前中は、小春日和の青空に気を好くして布団を干す。すばるが窓を早く開けろと煩いが、風もなく温かいのでうれしい。ほかほかになったところで終い、昼食を戴いてブログ更新である。食事も一人分なので手抜きもあるが、同じ物を三から四回で片付ける。それには工夫が必要で、同じ品目ではあるが、見た目を換えたりして食する。まあ、死なぬ程度の摂取を。

 冬場になって、野菜が豊富になってきたので使い勝手は好いのだが、鮮度を保つ工夫を考えていかねば。買って来たら茹でて冷凍庫に入れたり、味噌や出汁での味付けをしておく。素材を生かしたシンプルさが好みなので、お粥に添えたりする。梅干しは有難い。卵も使い勝手が良くて重宝しているし、蒟蒻は砂下ろしとも言うので度々使う。栄養度低いお腹一杯を。

 室内に入れた鉢も、温度や水の管理に気をつけてはいるが、うっかりとして見落とすこともある。狭い庭であれば致し方のないことだが、枯らすには忍びなく栄養剤を注した。囲いを低く剪定したので陽当たりは良くなったが、風を防ぐ手立てに思案中。明日はシクラメンとアリッサムの苗を買って来たいが、どう動こうかな?弁当の配達もあるから道順を決めねば。

 今朝の新聞広告に、沢田研二さんのDVDが新発売とある。価格は何処も同じらしいが、せめて2万円台ならと思う。自粛の引籠りであれば収入もないからだが、コンサートも無くなっている手前、悩むオフェリアでもある。川には落ちません。どうせなら宙に浮かぶのがいい。光源氏よりハムレットの方が似合う沢田研二さんであった。正月は旧暦で祝うのでのんびり。

 掃除が気になるところだが、窓拭きだけにしておこう。内側は毎朝、結露ができたのを拭いているので外回りだけである。狭い屋敷のことゆえ直ぐに終わるのだが、その気にならねばしない横着者で、明日にと持ち越す度合いが増えていく。コロナで訪問者は居ないと思えるので、読書三昧に浸る予定。然し何があるかは未定なので、宙の変化に注意を怠らずに。

 枇杷葉の花芽に無茶苦茶、蜜蜂や蜂が飛び交っている。刺されはしないがびっくりしてしまう。温暖化のこの温かさに異常な雰囲気も感じる。地震が起きても津波が押し寄せても、コロナで挫けずにオリンピックを遣るのだろうか?膨大な金額に驚くと共に、その無駄使いは誰が補うのだろうか。我々の納めた物を勝手に使う権利があるのか、疑惑は膨らむばかり。
コメント
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