枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

夕方には接続不能に

2020年11月27日 | Weblog
 何故?かは不明ですが、このところ夕方になったら切断状態になってしまう。ノートPCとは名ばかりで、モデムでのネット接続にしているためだろう。テレビは観なくて、DVDとCD専用にしておりアンテナは下ろした。NHKの勧誘にも腹立たしく、民放に至っては観る番組がない。漫才師や落語家は職業重視で遣ってほしい。この状態では無理なことだが。

 絵本の静かな売れ行きに拍手を贈っている。産まれて来て初めて出遭う物が、絵本であってほしいと願う。我が子にも買っていたし、差し上げるのは殆どが書籍なのだ。友達にもそういった関係の方が多い。書籍が電子化に疾走しないように祈るばかりだ。手で触れて、声に出して耳に伝える。それが誰であるにせよ、幼児は心の中に残していく気がするが。

 わたくしの想い出には、泣いた赤鬼や赤い蝋燭と人魚、ごんぎつねに花の木村の盗人たちやてぶくろを買いに。浜田広介・小川未明・宮沢賢治・新美南吉の童話が鮮明に残る。何れもそれぞれの良さがあり、何度読んでも年齢を重ねても心に沁みる。中学生からはSFの世界に突入した。子育てを終えてからは灰谷健次郎作品に惹き込まれ、太陽の子・兎の眼。

 太陽の子はNHKで、伊川比佐志さん中村玉緒さんが出演。兎の眼は、檀ふみさんの主演だったが映画自体は観ていない。内容は2冊とも強烈で、数日は物が咽喉を通らない状態。数年後に作者に遇えた時には、何も言えなくなって号泣していた。やさしくて温かな大きな手を忘れない。そこに居た大勢の人には、異様な光景だったろうと思うが。亡くなって久しい。

 わたくしの尊敬する、大好きな方々も次第に鬼籍に入ってしまう。光瀬龍氏も逝ってしまわれ、末吉暁子さんも佐藤さとるさんも既に亡い。夢に視ることもあるが、あちらに逝かぬ限りは遇えない。あの輝いていた大切な時間を、共有できていることだけが歓びになっている。人間は、一人で産まれ独りで死んでいくのだが、胸には切なさも溢れて堪らなくなる。

 デジカメを持ち出して枇杷葉の花を撮影する。ブログ用に撮っているのだが、掲載はちょっと後になるだろう。匂いも閉じ込めておければいいのだが、そういった機種も今後は発売になるかもしれないと期待して。ブログもスマホでの共有であれば、多少は会話も可能になるかもしれない。然し、契約内容にも因るので注意が必要だ。コメントも入れたいが迷う。

 すばるは安眠中です。午前中は日向ぼっこをしていたが、傍に行くと遊んでくれるとじゃれる。本気では咬まないのだが、面白がっているのも楽しい。明日は、恩師の四十九日なので、午前中出かける予定だ。コロナ対策をしてのことになるが、見えない事での感染は、既にしているとは思うものの、陰性か陽性かで分かれるのだろう。枇杷葉エキスを持参する。
コメント
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