枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

訪問者

2020年11月10日 | Weblog
 寒いのですばるの機嫌が悪い。布団の中に潜り込んで居るのであるが、起きようとすると甘える。辛抱強く抱えていたが、自然現象に布団を剥ぐ。餌だけを容れてやり、着替えていたら膝に乗るので、仕方なくストーブを点火してやる。洗濯機を回しつつ空模様を見るが、風があるので布団干しは断念する。一昨日かに、胸部を何処かにぶつけたのか痛みが残る。

 昨夜は、枇杷葉の生葉を患部に貼って眠ったが、今朝もキリキリとするので貼っている。AM1:20分頃外に出てオリオン座を眺め、冬の大三角へと移動していたら、ベルトの所をすぅっと1つ流れた。久々の流れ星に満足して内に入った。一昨日にはちょっと早かったのか観えなかったのだが、火星も下弦の月も見事な光芒だった。それにしてもこの醍醐味は乾杯。

 家庭を持つということは何だろう?子どもをつくることだけでなく、お互いへの労わりや尊重にも依るのだろうが、調理や片付けが得意、という判断を女性にばかり押し付けるのはどうか。夫・妻の役割って何だろう?苦手な分野も多々あるだろうし、得意なことも性別ですることなのかとも思えてしまう。やはりそこには相手を人として認め、双方の歩み寄りも。

 子どもも、産むだけではない。母乳であれミルクにしろ育てていかねばならない。加えて、愛情も程々必要だろう。最近の痛ましい事例に心が塞ぐが、そういった状況に気づいてやれる大人でありたいものだ。核家族になって自分の思うさま生活してきたお互いが、何かで一緒になるとなれば我慢することも少しは堪えることも増える。正しいことでも折り合いを。

 誰が悪いとか良いとかでもなく、皆が安心して最低限の暮らしができることを願う。わたくしも独りで居るが他人を充てにせず、自分だけの判断をしつつ生きている。忖度もしなければ付き合いも最低限で済ます。対人恐怖症というか、苦手な事柄は避けており行動はしないでいる。足湯には向こうから来るのであり、きちんと連絡してからなのでとても有り難い。

 だからといってわたくしと同じだとも思わない。皆が其々に違っているから、ブログ訪問も楽しいし面白みがある。同じなら厭きてしまう。自分と異なる考えや趣味があるからこそ覗ける。写真や文章に関しても時々驚く表現を見つけるが、プロでないのだから放置しておく。印刷した書籍にさえ、誤字脱字の類もあるのだから、素人が気づかないのは当たり前。

 わたくしが気にするのは、長い文章をちゃんと読んでのことかしらん?と思える時。児童文学をやっていて、可なり文字の羅列には煩い。書籍も年間数が100冊は下らないし、好きな作家や好みのジャンルは手当たり次第に読む。或いは、何度も読み返す。友人も、そういった関係者が少なくない。暇を持て余す時間もなく、枇杷葉のブログ更新を続けている。偏屈。

 このミニ薔薇は、白から緑に変わっていく。枯れたかな?と思っていると、蕾を付けて咲いてくれる。鉢植えなのです。

 
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