枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

晴天続きに・天赦

2020年11月17日 | Weblog
 空気も乾燥しており気温も高いので、衣類の調整にまごつくこの頃、綿のタートルネックを着ているのが丁度いい位なのにびっくり。昨日の草抜きには川土手なので薄物を羽織っていたが、確かに汗が出て困った。今朝は虫の知らせか、連絡を入れたらアクシデントが発生していた。以前の勤務先も色々あるようですな。辞めてはいるが複雑な心境。

 弁当を作り配達し燃料補給と郵便局に寄って、旧暦のカレンダーを注文してから、図書館にアガサを返却して帰宅する。百日紅の剪定をしなながら、上を向かねばいいのを目にゴミが入る。おまけに鋸で左指を引っかく。百日紅(猿滑り)だけあり、つるつるとよく滑るので鋸も落ち着かない。陽射しも少し改良されたような気もするが、来年花が…。

 すばるは朝から窓を開けろと待っている。網戸にしてやるとうれしそうに毛繕いをし、自分の尻尾で遊んでいるので、傍に行って相手をしていたら本気になる。野生の本能は充分に残っているなと妙に感心する。我が家に来た当時には躾けてなかったから、喰いついてきたのを叱りおいた。爪も適度に切っているので最近は血が出ないが痛いのよ。

 洗濯物も干して、式布団だけを出しておいたのを、帰宅してから仕舞った。風があるとないとでは乾きが格段に違うが、実に暖かな日和であるのも有難い。鉢物にちょっとづつ水を遣りながら、枇杷葉を眺めて祈る。満開になっている枝もちらほらで、これから次々と咲いてくるのだとうれしい。玄関の台所際のと西の枇杷葉は、花芽専用にしてる。

 枯れ葉を集めて置き腐葉土になるかと放っていたら、これが自然の仕組みなのか次第に崩れて細かくなっている。塩と糠だけの肥料なのだが、これも敷いてやると好いのかもと遣っている。昨日は、枇杷湯に容れた後を乾燥させていた袋だが、中味を出してコンポストに移し換えた。近々糠を持って来てくれるので、これと併せて入れるために準備。

 枇杷葉には様々な威力があるが、医者に行くのを止めることもできないし、薬を飲むのを無視する訳にもいかない。結果的なことだけを言えば、医者でもないのだからといちゃもんをつける。敢えて言うのも莫迦らしく、そこまでして何日生き延びれるか不明だし、援ける手立てにはならないことも確かだ。自分に合った方法が生きる力に及ぶのだ。

 癌を患って亡くなった方の子どもさんに、お母さんを何故助けてくれなかったの?と言われたが、何も知らせて貰えずでは況してや面会にも行けなかったのを、どうやって治療できたのかしら。それ以前から枇杷葉の効能は話していたのを、少しでも聴いてくれていたらと無念でもあった。治りたい・治してあげたいという双方の歩みが大切なの。

 医者に行けば何とかなると思えばいいし、信じてくれる心もなければ無理だろう。何もかもがお金で解決できるとなればそれも好い。わたくしが手当をしたからと報酬を出せます?命が助かったのは医者のお陰で、そっちには請求金額を払うが、どんなに心を籠めてしても何もない。でもそれが損得勘定での、人間のやり方なのだとは思うことに。

 苞が見えて来始め、花芽になって芳香を漂わせ、少しづつではあるが小さな結実に変化する。春を待ち初夏に色づく。
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