枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

仲春・淡雪に見舞われる・如月

2024年03月21日 | Weblog

 昨夜、清とした静けさに底冷えを感じる。早朝の庭は雪景色となり、枇杷葉やクリスマスローズへの積雪3㎝であり春の異変に瞳を瞠る。デジカメにて撮影、春は淡雪Am10時には融けてしまう。自然界の廻りさえ、神の怒り想え為す術なく。

 午前中の予定を組んでいたら、足湯に行きたいと連絡あり午後からに受ける。出向く訳ではないが、リエさんへの尋常でない沖縄探訪には気力を大半使い果たしても。波動の限界と回復するまでの刻が、必要なの。疲労回復なるかな?

 枇杷葉の用い方にも多々あり、お茶にしてや或いはエキスとするのも個々に異なるので注意されたい。この時期の花粉症へは体質もあるが、抗体・免疫力を高め援ける。症状を抑えつつ、細胞を活性化させて和らげるものの即効性無し。

 アトピー性皮膚炎に肌が荒れ、化膿した顔はお岩さんであったのも根気と持続で治した。痒さ半端なく、昼間は何かと紛れるが就寝時は無意識もあり。十薬も採って飲み、枇杷葉茶に症状改善の兆しとも。以後、肌は艶やか潤い衰えず。

 自然からの恩恵には、一人独り異なるものの与えて貰えることへの祈りと感謝とも。年齢も環境等あると想えるが、疑わず努力怠らず祈りと感謝に換えたい。自らが記載してのことに、抗わずでありたい初心忘るなかれと諫める気持ち強めて。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春分・如月・若潮

2024年03月20日 | Weblog

 二十四節気 春分 太陽黄経0度、昼と夜を等分に分かつ日とあって、春分と云われる。この日は、春の彼岸の中日とされ、毎年三月二十一日頃・今年は閏年。早朝には真青な空であるのが一転し曇り雨と換り、不安定な仲春に戸惑也。

 今朝は気温も低く、真冬とは云えぬが肌寒さを感じる。昨日の時点で外に干していた枇杷葉を、室内に取り込み終え箱へ仕舞い安堵の気持ち。予定立ててのことに、年・月記入しておく成り。自然乾燥は有難く、色目も良くて安心する。

 今月の25日過ぎれば、団地会長任期を終えるのでゆとりも出る。一年の来し方も他人様々だが、やり方や思いにも責任の重さを感じた。今後は年齢的な考慮あり、役には無縁となる為正直有難い。車を無くして動き不可、田舎の不便さ。

 青空市に出かけ、野菜物買い込み帰宅した昨日。湯がいて冷凍室に入れ、和え物にと調理しておいた。分葱・菜の花・法蓮草・大根、締めて¥600。放置しておくと傷みが早い時期なのもあり、手早く処理。菜の花はからし菜?山葵味。

 生協のたこ焼きには、蛸が入っていない!と配達にて伝える。安い物には訳があるが、中味まで見えない盲点を突く。チラシに環境ネットワークとあり、参加希望を思うものの申し込みに困惑。個人情報の拡散と、懸念覚える心境でも有。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春は霞と為りぬ・長潮

2024年03月19日 | Weblog

 晴れてはいるものの、陽射しは柔らかく気温の低さに指先冷たくありて。枕草子のように非ず、近年の異常気象を思えば気持ちもうかれず。木通の蔓が伸び始め、花房も多く見られては顔も綻ぶ日に感謝。クリスマスローズ次々開花。

 ネモフィラは種を蒔き発芽しており、一輪が咲いている。椿の蕾は膨らみつつ、色も先に見え始めて愉しみと日を繰るなり。春先のご馳走に蓬摘みて、天婦羅に食せば苦味なくさっぱり。腰痛には、葉を摘み乾燥させて当てるが佳とも。

 枇杷葉の花芽も結実が見え、小指大となっている。お彼岸過ぎたら袋掛けにはいるが、剪定を多くしたから収穫は少ない。脚立に上がるのも怪しく、落ちれば打撲だけに済まぬと思う為でもある。年齢的に無理はできず、無茶も同じと。

 庭に植えての枇杷葉は、結実しているのが10本程確実にある。昨年には、店頭販売物と変わらずの大きさと味の出来に歓びとなる。丹精込めての見回り以外、農薬散布はしない。自然農法を手本・基本の育成として、今日に至る為り。

 その年数を思えば、試行錯誤を伴いつつ宇宙・森羅万象からの訓えあり。心の片隅に、止めよう・諦めの挫けそうになること多く有。その度に、多くのブロ友さんからの支援を気づかされた。今は更なる励みにと努力し、心に留め於く所存。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春は如月・小潮

2024年03月18日 | Weblog

 PCを設置の部屋は、星座や星雲に宙の輝きと飽きない配置。DVD・CDもタイトルが見えるようにしており、何時でも聴ける。クラシックが主なのは、チャイコフスキー・シベリウスの曲目に由るからだ。水野英子氏、手塚治虫氏影響多大。

 ラフマニノフ・世界三大テノールのCDと、心を捉える。漫画を侮るなかれ、作品の数々は内容の深さ計り知れず。花の名にオペラの曲目と、知識を得て原作を読み知るに至る。小説は文字で書き、漫画は絵で描くの違いと区別にも思え。

 これまでに印象深くあるのは、新選組・勇者ダン・紙の砦…一般的ではないかも知れぬが手元に。銀の花びら・星のファンタジー・ブロードウェイの星・赤毛のスカーレット等、限なく。どれも今では入手不可能な状態に、愉しみ深まる為り。

 以前には本屋も貸本屋も町中にあり、少額で楽しめもした。昨今は、遠く小1時間以上かかる所にて。在庫も限られての注文となり、立ち読み禁止のナイロンカバー掛け。本屋勤務時代は、万引きされること多く汚れ目立ち返却余技無く。

 書籍や雑誌は図書館利用時、新刊を読める為有難いとして必要な物だけに限定。生協のチラシ記載を確認して、手に入れる次第。贅沢を慎み、清貧の暮らしであれば無駄できずとも。知恵と工夫を実行していれば、満足なりと心得る。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

如月・彼岸入り・上弦・小潮

2024年03月17日 | Weblog

 彼岸の入りは、曇りから雨となるものの気温は13℃と暖かい。今朝、ストーブを点けていたら汗ばむ。暑さ・寒さの基準は、やはりここからと記憶を辿り山を歩いて春蘭見つけていた幼い日に還る。祖母の目的、薬草が芽生え確認の為丹念に見回。

 品格や徳の自然な振舞には、教養もあろうかと思えるが環境も大きく係わると考える。7年ぶりに遇った知人との会食時、自分を偽らずの自然さに教えられること多く有り。相変わらず品の良さとおっとりとした性格ながら、相手への感謝を忘れない。

 他人の美しさは化粧や衣類ではなく、その佇まいと。夫である者への信頼は揺らがず、疑う心なくとも。己を知っているからこそ、相手を赦せるのだと思い堪えず感謝の言葉を話すのに正直さも感じた。ありがとう・ごめんね、何と素直な人柄だろう。

 こちらも飾らずの心境を語らい、暮らし向きを伝える。生活の大半は、自宅籠りであると云うと労いの言葉。まあ好きで遣っているので日常に然したる支障なく、愉しみなのも驚き。今日遇えたことは、お蔭さまと言われ支払いさせない気配りに吃驚。

 お連れ合いさま病院受診後合流食事され、挨拶しての帰宅。娘が幼稚園時ご自宅に招かれしよりは、可なりの容姿に会社経営の幾難を思える。お二人の在り方を垣間見て、愛情の深さ・相手を思いやる心根に真と清らかに胸底へ沈み溜るとも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庭も賑わいをみせて・如月

2024年03月16日 | Weblog

 今朝は青空が広がるものの、霞懸かりて薄曇り。洗濯物を干し、粗方の家事滞りなく済ませる。花見は未だ遠くだが、正面の山や左へと目を移せば今月末には花見景色も広がる。田舎は、何処かに出かけなくとも自宅に居てが何より愉しみと心得為り。

 明日は彼岸の入りに上弦の月、宙を眺むる歓びに祈れる。一日の糧を与えて貰え、命を感謝であれば気づきも増えていくものと覚る。信仰心は殊更になく、宗派も持たないが神は宇宙であり森羅万象に外ならぬと想う者とありたい。贅沢を慎む暮らし。

 価値観の差や生き方に通じるものと、無心になればあちらに逝ける。自らの行動如何も、忌の刻に覚れると弥勒菩薩の導きありて。40代の時、夕刻にも係わらず、東に日輪現われ月もいでして両手に乗る。それら両手から懐に入る為り、一瞬の事とも。

 自らを律していくに、視えてくる事象や聴こえる声と心に溜まる想い深く有。枇杷葉との暮らしが如何なることにも援けてくれ、白龍の守りとも。自然への畏怖は無論、清らかなる心根を持ち努力怠らずと訓えられる。自宅周辺の結界、宇宙と繋がりゆく。

 庭のクリスマスローズ、新品種発見。白八重の花弁に桃色縁取り、昨年には雀斑のはあったがこれは初見。蕾も沢山あり、花の癒し感謝と徘徊できること有難く想え歓びに至るとも。あらゆる事象に於いて、素直の気持ち失わずと心得る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森羅万象への感謝

2024年03月15日 | Weblog

 今朝の気温は11℃と高く、すばるの要求に根負けして網戸にした。野良猫が必ず来るので、用心しつつブログの更新中。明日は、懇意にしての方と昼食を割烹で戴く。娘とご子息が同級生という縁だが隠居されて久しく、コロナもありご無沙汰状態。

 早朝から野鳥の囀り殊更賑やか、庭徘徊時落ち葉散乱。毎朝のことと見廻るものの、餌が隠れてを探しているのに感心する。農薬を一切かけないので、虫類豊富な為やって来るが片付けはせぬ。枇杷葉の枯れ葉や草を、被せているからだろう推測。

 年金暮らしになり、多々なる見直しをしているが無理も無茶もしないと慎む。仕事を辞めてからは衣類は控え、ある物を着て破れや解れを繕う。素材が良いのを持っていると、洗濯時に注意さえすれば長持ちする。断捨離等とんでもなく、無駄とする。

 食材も野菜中心であり、工夫次第では幾らも節約できると知恵と努力怠らず。無い物強請りではなく、与えて貰えてを感謝とすれば命を戴ける為り。商品の購入時も、高くても必要なら求めるとして。他人のやり方真似ず、自分の納得範囲厳守と。

 二十四節気や七十二候、月の満ち欠けに潮の満干潮には学びも多い。旧暦の暮らしに於いて、身体は応じていくと覚える。病を治すのは、医者や薬等はなく患者本人の治そうという気持ち・大岡越前にて榊原伊織の言葉に共鳴。妙薬とは心為りとも。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珈琲豆の種類

2024年03月14日 | Weblog

 毎朝、珈琲を飲むが数年前まではサンタさんから購入していた。価格の高昇と扱いを止める由の連絡が来て、どうしたものか…ベルメゾンにとあるチラシ発見。銀座パウリスタ?初耳であり、何も知らない侭注文時に会員登録した。風味宜しく、味に違和感なくも美味しい。

 生協で時たま、小川珈琲が入り手軽さもあり購入もする。先日、足湯の娘さんに出したら文句を言うではないか。リエさんからも、お奨めの珈琲豆を贈られてのことも有るが苦くて濃い。淹れ方にも依るんだと思うものの、其処までの技術なくて要は慣れた味が好いかと。

 珈琲豆の産地や農園の管理方法、保管状態にもあるとは思うが特に拘りなく自宅で飲めれば好い。昨今の事情で外食は極力避けているし、出歩くことも無い。1杯が七百円だの千円と聴いては、目が飛び出したままだし流行りの店は甘だるく後口残り違和感強く辟易。

 豆で買うのは自分で好みに挽きたいからだが、その時間を愉しみたいのもある。枇杷葉茶にしても、煎じる過程に雑念を祓い心を鎮める為もある。それに縁り戴く時の感情は左右されるし、症状への反応も歴然と判り対処や可能疑わず。その繰り返しに、癒されるを感謝。

 庭の様子も変化が見られ、雪柳は綻びて梅は散り椿も蕾が膨らむ為り。気温も12℃と暖かく、薔薇や木通の新芽も勢いを増す。然し乍ら、霜は降りるので自然への畏怖と祈る想いを強める。昨夜は月と木星観てのこと、温かな想いに満ち足り暫し佇み宙を翔けいくとも。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不平不満べからず・中潮・如月

2024年03月13日 | Weblog

 昨夜、三日月をと外に出ると雨神の起こしだ。今朝は、陽射し眩しく庭徘徊しつつ鉢に花苗を植える。除けた後に、小さなクリスマスローズの苗を発見し移植。最近は品種改良の為、高くて買えず零れ種の発芽のみとしており。庭にワニはいないが蝶や蜂にて自然交配。

 釣鐘草の種蒔とネモフィラをしたら、半分程度の発芽になり生育中なのもうれしい。枇杷苗は、昨年にあちこち配るものの見落とし多く有。フェンスの囲いに植え替えたりし、プランターにも育っている。房州と白枇杷が交配したのは、発芽してなの有難く愉しみととも。

 薔薇の新芽や木通が芽吹き、風に揺れるさま愛し。枇杷葉を育み援けられてのことへ、感謝を祈る。先日、ブロ友さんとシンクロニシティが起き想いを深めた。気持ちが似通うことに伝わりと歓びつ、そのこと心に留める。信じる過程も様々であり乍ら、同時との事実心亘。

 自然から与えられし事象を、捉えるのは縦横無尽であり如何様にとも思える。物事を別けたり、資格や学歴の判断も根拠なくと考えるのは抗えない事実。宇宙の摂理・理念は人智の境非ず、個々に視えて来ることも一通りと決まっておらず気づきへの感謝と祈り為りて。

 図書館にて借りた書籍、87歳・ひとりの暮らしは読んでいて違和感なく。昔ながらの清貧の暮らしをされておられ、時間を有効にされてが好ましい。他人を羨まず・妬まず、ありふれた日常を歓びと過ごされる生き方。食材の工夫に環境にと、細やかにされて温かさも。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨神に感謝して

2024年03月12日 | Weblog

 昨夜半からの雨音に、雨神の来訪と知る。今朝、玄関に出でて鉢にたっぷりのことにうれしく。仲春となるものの、風が吹けば水分が飛ぶため水遣りは欠かせない。毎朝の庭徘徊時は気をつけている処、天水には適わず。晴れてばかりが佳とも為らず、変動に感謝して。

 今月にはお彼岸があり、厳しい寒さも和らぐかと思いつつ自然に委ねる。子どもの頃に、親戚一同が集まりてのお墓参り時淡雪が舞ったことありて。旧暦は如月、雪を観るのは珍しくなく農作業へ影響を気にかけた。便利で豊かに快適と、昨今は変じているが心なしとも。

 枇杷葉のお陰であり援けられての日々と、自然からの贈り物を戴けるが感謝なくしては受け取れず。どんな物にも命は宿り折りて、閉じ込められていることを感じる。自然を敬い、畏れる気持ちであれば生かされてを覚える為り。自らを問い視えてくる事象、有難く留めて。

 すばるの行動を見ていたら、客人への対応に驚く。男性は厭という態度だし、臭いにも敏感。飼い主が苦手とする他人には、絶対に姿を現さない。枇杷葉茶以外の匂いは明らかに避け、しつこいくらいに嗅ぎ回る。足湯の娘さんにも同様の動き、香害と気づき納得す。

 特に最近は、甘え方が激しく抱っこと背伸びしてくる。まるで人間の行為と思うものの、邪険にしたらとんでもないことをしでかす・ゲロや排泄しまくる。掃除は飼い主なのだが、叱ると怒るを知っており安易にはできず。従って、チュールの回数が増えてしまうではないか。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする