日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

栄冠は君に輝く 高校野球開会式 山崎育三郎さん独唱

2021-08-11 19:15:04 | Weblog

 台風で開会式が1日延期になってしまい、(振替休日の翌日‼Σ(゚д゚lll)ガーン)

楽しみにしていた、山崎育三郎さんの独唱が聴けなかった... 

たった今、こちらで↓↓ 聴くことが出来ました👍

栄冠は君に輝く 山崎育三郎さん独唱 | 第103回全国高等学校野球選手権大会 開会式 | バーチャル高校野球 | スポーツブル (スポブル) https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/opening/koya103_opening_02.html

 

古関裕而さんの生涯を描いた朝ドラ、『エール』は、私が好きな朝ドラ、1、2位でした~

『おしん』が1番で次が『エール』かも。

特に、敗戦。

甲子園球場で山崎育三郎さんが歌うシーンは涙...涙でした。

エールのシーンを思い出しながら、聴かせて頂きました。感動的です。💕

 

古関裕而さん NHKスポーツ中継の曲&栄冠は君に輝く

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十字軍物語 2⃣ 後半 ~寛大だったイスラム側~

2021-08-10 23:52:42 | 読書

寛大だったイスラム側

 それまで事あるごとに小競り合いをしていたイスラム側も、ヌラディンがダマスカスを制圧したことで、イスラム全域の支配者となったのは、1154年。日本では、平治の乱の頃(1159年)のことだった。

 ヌラディンは、支配下にあったシリアで起こった1156年の地震で崩壊した建物を再建することを優先し、人々の暮らしを援助するため、救済に走り回る。兵力不足の十字軍側も地震に助けられたことになる。

 1162年、人望があり民から慕われた十字軍の王、ポードワン三世の死去を知り、「今がチャンス」と進言する部下もいたが、

 「フランクの王(西ヨーロッパからやってくる西洋人は主にフランス人だったので、イスラム側は、こう呼んでいた)の死を嘆き悲しむ人々を見よ。弱った隙を見て攻め込むようなことはしない」

 

 1169年、ヌラディンの甥、サラディンは将軍シルクと共にエジプト制圧。ヌラディン死去後、若い息子があとを継いだが、ダマスカスの実質的な支配は彼が行った。

 結果的には叔父の後を継いだ甥のサラディンも又、教養もあればバランス感覚もあり、自己をコントロールできる男だった。

 1185年、ライ病で死期を悟りながらも統治に努めた若き王、ポードワン四世死去。

 1186年、サラディン、イラクの重要都市モス―ルを支配下に置き、イスラム世界の統合に成功

 

 さて。一旦、イスラム世界が統合されれば、サラディンも十字軍の新王ルジニャンも、衝突は避けたい、という点は一致していた。第二次十字軍が失敗に終わり、また、この頃になると、イタリア半島の海洋国家が(4都市)いわゆるエコノミック・アニマルであり、海港都市で中東の絨毯などを買い付けていた。

「自分達が作る絨毯等、オリエントの品々は、ヨーロッパで売れる!」

と、イスラム商人も商売に乗り出す。イタリアの商人は、先に書いたように自ら運営する「病院」に医者を置き医療も施していたため、イスラムにとっても「信頼できる相手」だった。商売のためには言葉の習得も必要で、イタリア商人たちは、現地の言語も覚えたらしい。中東生まれの諸侯フランク人も、2世、3世となると、遠い西欧の修道僧に、「殺せ!殺せ!と言われてもねぇ。目も前にいるんだから」となる。ある程度は言葉も学び、通訳なしでOKな人もいた。

 イスラム側の記録によると、「フランク人に招かれて、食事を一緒にした」という日記も存在する。

 人的交流、物的交流(経済)による「平和を享受」する時間も、あるにはあったのだ‼ それを破ったのは... 

 すでに手元に📚がないため、名前は忘れたが、(年号は手元にあるⅢ巻末付録でチェックできるが)イェルサレム王の右腕で、テンプル騎士団とも関係があった十字軍の男だった。最初は、イスラムの巡礼者たちが通る道を襲い、貴金属を奪っていたが、次第に盗賊仲間も増え、無視できない存在となる。

「休戦協定」を守るよう、サラディンは幾度も抗議しているが無視。それどころか、海へ出て海賊まがいのことまでやり始めた。

 

1187年 遂にサラディン立つ!十字軍(イタリア商人、のちに聖ヨハネ騎士団)が建設した城壁、要塞は頑丈なため、ハッテンの平原で激突。王は捕虜になる。(1189年に開放)

アッコンを中心とした海港都市を支配下に置く。

イェルサレムは88年ぶりに、イスラムへ戻る。

 

 さてさて。遥々西ヨーロッパからやってきたフランク人達が、イェルサレムを「解放」したあと、何をしたか、覚えていらっしゃいます…よね? 「神がそれを望んでおられる」 一人残らず殺戮。

 88年後、今度は逆の立場となった訳です。では、イスラムのサラディンは、イェルサレム内に住むキリスト教徒たちをどうしたか?

 十字軍の王の配下にいたイベリンは、サラディン宛てに信書を送り、「妻子を助けるため、1日だけ入城を許して欲しい」と。 負けた側の人間が堂々とこのような要求をしてきたことに驚きつつもサラディンは、許可を与えたのですね。「用を済ませたら、さっさと退城するように」と。

 陥落したイェルサレムに入城したイベリンは、そこで怯え震えるキリスト教住民達を目の当たりにし、彼らを放置出来ず、再びサラディンに手紙を書く。

「男と男の約束をしたが、それを破ることを許して欲しい」

サラディンから返書は直ちに届く。なにせ、同じ城内にいたのだから。サラディンと対面したイベリンは、言った。

「イェルサレムにいるキリスト教住民の運命は、殺されるか奴隷として売り飛ばされるか、だろうが、自分は彼らを助けたい。男は○○ 女は○○ 子供は○○(通貨が分からない)で買い取りたい。法王から支援金が届くので、それを彼らの買い取りに使うつもりでいる。足りない分は、自分個人の資産から出す」

しかし、それでもまだ足りない。この話をサラディンと共に聴いていた彼の弟は感動し、足りない分は自分が出すから」とまで申し出たという。

結局、サラディンによって、「老人全員のキリスト教徒の釈放代は無料にする」ということになり、イェルサレムにいたキリスト教徒たちは、全員、殺されず、奴隷にもならずにイェルサレムを出ていくことができた。

そればかりか、イベリンと妻には「通行許可証」まで発行され、更には道中を行くキリスト教徒たちを襲ったりしないこと!とイスラム全域に言い渡された。

一部、狂信的イスラムは、これには反発し、全員殺すか奴隷として売り飛ばすべきだと主張したが、サラディンは彼らを無視した。

 

 十字軍によって教会に変えられたモスクは、元通り、モスクになり、十字架は外されたが、キリスト教徒の巡礼は認めた。道中の安全も保障する、としている。ヨハネ騎士団も、当然、在留が認められた。

 

 こうしてイェルサレムは、遥々遠く、西欧から十字軍がやってくる「以前の状態」へと再び戻り、平和が訪れたのだった。 めでたし、めでたし。

 

 ...

 ...

とはいかないのが、実に嘆かわしい。

諦めが悪いフランク人は、第三次十字軍を結成し、再び 東へと旅立つのだった…

ああ、嘆かわしい。嘆かわしい。嘆かわしい。

 

寛容でイスラムの英雄といえるサラディンは、現在のイスラム世界では、少数派のクルド人。「ジハード」生みの親である、彼の「聖戦」と現在の過激派組織の「ジハード」とは、似ても似つかぬものとなっているではないですか。

このことも嘆かわしい...。

 

多神教の日本に生まれて良かったし、日本に伝わったキリスト教は、これら負の歴史は運良くすべて そぎ落とされたキリスト教なのも良かった。しかも、多神教の日本の中では、どれも数ある宗教の中の一つ。宗教で喧嘩するどころか、新年にはお寺も神社も参拝し、クリスマスも盆(Halloween)も正月も全部祝っちゃう。結婚式も神道とキリスト教の結婚みたい~ 何もかもがごちゃ混ぜで... これがいいんです。

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十字軍物語 2⃣ 塩野七生

2021-08-09 21:32:10 | 読書

そして誰もいなくなった

 第一次十字軍の主役たちが亡くなったことで表舞台には誰もいなくなってしまった。

諸侯もそうだが、兵士達にも寿命がある。西ヨーロッパを発ってから、すでに20年近くの歳月が流れていた。

ゴドフロア、ポートワン一世がイェルサレムの王であったのは19年間。その後を継いだポートワン二世の統治は13年間、続いたが、その多くはシリア・パレスチナの北から南までゲリラ戦に費やした。兵力は失うばかりで猫の手も借りたい状態だった。

 

聖堂(テンプル)騎士団の誕生

 世俗の騎士団と違うのは、彼らは修道士で「宗教」騎士団であり、王にも皇帝にも諸侯にも属さない騎士の集団であること。

 始まりは、ポートワン二世が王になった頃、フランス人の2人の騎士(リーダーはユーグ)が王の許を訪れたこと;

「自分達二人の他にも7人の仲間がいる。自分達にイェルサレムまでの道の防衛をまかせていただきたい」、と申し出た。王はこれに飛びついた。

 彼らは改宗を勧める、という段階さえも踏まず、「問答無用」という感じの「抹殺」を会則に明記した。(人斬り集団と恐れられた新選組のようですが💦)

 

聖ヨハネ騎士団の変貌

「誕生」ではなく、「変貌」であり、表舞台への「登場」である。十字軍遠征が始まる半世紀ほど前には、母体は存在していた。

ただ、当初は宗教騎士団というよりは、「病院」だった。キリスト教徒のみならず、イスラム教徒も患者であれば診ていたのだから。

テンプル騎士団は、フランスの騎士が集まって結成されたが、聖ヨハネ騎士団の方は、イタリア人の商人によって創立された。異民族との交易で栄えたアマルフィ、ピサ、ジェノバ、ヴェネツィア共和国の4都市国家である。商人マウロは、エジプトのカリフに頼んだ。「巡礼に訪れるキリスト教徒のために、診療所を建てることを認めて欲しい」と。こうして医療サービス提供を目的として始まったのが、聖ヨハネ騎士団だった。

最初は商人によって運営された病院も、少しずつ、修道士という聖職者の手に移っていく。商人は本業があったが、修道士は慈善事業では、専従者になれたからだった。

キリスト教徒が攻めてくるようになると、「石を投げよ」と命令が下る。しかし、彼らもキリスト教徒である。同じキリスト教徒に石は投げられない。そこで、初代会長ジェラルドは、こっそり石ではなく、パンを投げ落としていたら、それがバレてしまい、処刑されることになった。

彼にとっては運よく、処刑される前に「イェルサレムは解放」され、以後、医療だけでなく、対異教徒の戦闘も行う集団に変わったのだった。

 

修道僧ベルナール

 第二次十字軍は、同じくフランスにある修道会でも、より急進的なシトー派の修道院の関係者によって起こることになる。

 法王エウゲニウスの許で、第二次十字軍を実際に作りだし、オリエントへ送り出した修道僧ベルナールは、テンプル騎士団を賞賛した書の中で、次のように書いている。

 「イスラム教徒は、諸悪が詰められた壺である。悪魔の手によって作られた、われわれでも現実に眼にすることができる、悪の標本だ。

 この者たちに対しては、対策は一つしかない。根絶、がそれである。

 殺せ! 殺せ! そしてもし必要になったときは、彼らの刃にかかって死ぬのだ。なぜならそれこそが、キリストのために生きることになるのである。」(98ページから抜粋)

 

 第二次十字軍をイスラム側から見、そしてそれを日本史の言葉に置き換えると、塩野七生さん曰く、次のようになる;

 第一次十字軍のときは、攻め込んできたキリスト教側が、「大名」たちであれば、イスラム側も、アタべタ、エミル、と呼び名は別々でも「大名」が迎え打ったのである。そして軍配は、キリスト教側にあがった。

 

 第二次十字軍では、「将軍」が自ら率いて攻め込んできた。しかも、「将軍」は二人もいた。その下の「大名」の一人が守りが固いダマスカスを攻めあぐねていて、もう一人の「大名」がアレッポから接近中と聞いただけで、軍を引いた。しかも、わずか4日の戦闘を行った後に、である。

 イスラムの「将軍」は二人とも、バグダッドからも、カイロからも一歩も動いていない。つまり、キリストの将軍二人は、イスラムの地方大名に追い返されたということになる。

 

 このイスラム側の感想は、そのままイェルサレムにいたキリスト教徒にも当てはまり、

「こんな失態をするだけなら、十字軍など派遣しないでくれた方が、まだ良かった」となったのだった。

(101ページまで、まとめ)

 

イスラムの反撃始まる

ザンギの息子、ヌラディン登場。

サラディン登場。

そして「聖戦」(ジハード)の年

 

...

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オリンピック閉幕

2021-08-09 02:27:12 | Weblog

最終日だった昨日は、男子マラソンで始まりました。

大迫選手、ケニアや米国で長期合宿というよりは生活しながら頑張っていた様子をNHKスペシャルで見ていたので、6位入賞に大拍手👏👏👏

マラソンの後は、新体操決勝。

イタリアの選手の着物のような衣装と琴の音色かな?和的なプログラム構成と一体感に演技を超えた、芸術的センスを感じました。NHKの動画で、ちらっとですが、観ることが出来ます。

他にもセーラームーンの音楽と衣装で演技を披露したウズベキスタンチームも!👀

Focus on "Kawaii" Rhythmic Gymnastics costume | Tokyo 2020 Olympics | NHK

台風の影響で、一日、大荒れの天気でしたが、その後も女子バスケットボール、(銀おめでとうございます)自転車競技の表彰式だけ...(見逃しましたが、銀おめでとうございます)五輪三昧の最終日でした。

 

最後は、閉会式。

選手入場後、台風ニュースに切り代わり、再び閉会式へ戻った後、しばらくして眠ってしまいました。

目覚めた時は23時頃…

聖火台のシーンは母が一人で見たそうで、肝心なところを見逃し、爆睡しておりました

 

閉会式では、古関裕而さんのオリンピックマーチが演奏され、大興奮でした!

表彰式で流れていた、あの落ち着いた音楽は、私が今、思い出すだけでも、『晴天を衝け』『龍馬伝』『Departure』『精霊の守り人』等、多くを作曲した、佐藤直紀さんだったのだ!とNHKアナの解説で初めて知りました。

「五輪音楽担当は、服部さんか、佐藤直紀さんがいいのに」と当初から言っていた私。知らない間に、希望通りだったのだ~と最終日になって知るという...

色々あったものの、すっかり魅了され、選手の皆様、大会関係者の皆様には感謝、感謝の東京五輪。

もう死にそうなくらい暑すぎて不快な夏も、キツイ仕事も、「選手の皆さんの努力と辛さと忍耐力に比べたら…」と日々、大いに励まされた大会期間でした。

高校野球大会、パラリンピックもこの後、始まります。

不要不急のお出かけはこれまで通り避け、仕事以外は自宅で大人しく過ごそうと思います。陰ながら選手の皆さんを応援しながら...

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十字軍物語 1⃣ 塩野七生 

2021-08-08 18:31:21 | 読書

 

聖戦への呼びかけ

 キリスト教徒にとっては魔法の言葉、「神がそれを望んでおられる」

1095年、フランス クレルモンで開かれた公会議の段階では、3つのことのみ、決定した。

❶ キリスト教同士は、「神の休戦」にただちに入ること。

❷ 聖なる戦いに参加する者たちは、赤い布で作った十字の印をつけること。

❸ 出発は、翌年 1096年聖母マリアの昇天祭8月15日とする。

 

法王ウルバンの考えが、他の何よりも先に、ヨーロッパの君主間で行われていた戦争を止めさせること、すなわち 「神の休戦」の成立ににあったのだろう。しかし、戦争は、「やめさせてくれ!」と神に唱えただけでは止まない。あの時代、西でぶつかるパワーを別の方角、東へ向けさせるしかない。東方へ向かうならば、同じ休戦でも「神の」とつけることが可能となり、「イェルサレムの解放」という、当時のキリスト教徒にとって、これ以上のものはない、「大儀」「名分」をもてた。

法王は大勝負に打って出た。そして、法王のもくろみは成功する。西欧全域のキリスト教徒の胸を熱くし、また熱くまでならずとも、反対はしにくい、ということで。

 

 人は熱しやすくて冷めやすいことを見込んでか、法王は直ちに以下のことを発表する。

❶ 十字軍に参加すれば、完全免罪符が与えられる。

人間は生まれながらに原罪である、というのがキリスト教カトリックの教理の基本だが、これに日々の生活で犯す小さな罪も加われば、よほど悪いことをせずとも、死後の天国行きは危うくなる。また、完全免罪とは、殺人などを犯した者も許されるということ。

 

❷ 病気などで参加困難なものは、衣類などを寄付すること。

❸ 発つものが残していく財産は、ローマ法王が保証人となり...以下、略。

❹ 十字軍参加に必要な費用捻出のため、資産を売る必要がある場合、それが正当な価格でなされるよう、法王が保証、監視する。

…と❻まである。

これらをみると、ある程度の資産があり、相当な程度に組織された軍事力を東方へ送るつもりでいたようだが、”計算違い”は起こる。

(22~28ページまとめ)

 

隠者ピエールと貧民十字軍

このフランス人修道僧は、ロバに乗って村々を回る巡回修道僧の一人だった。中世の下層民にとっては、日々の生活がすでに苛酷だったのだから、ピエールの説く説教と十字軍参加は、厳しい日々からの解放だった。失うものがない彼らは、すぐに発つことも出来た。こうして法王の意図とはかけ離れた 「貧民十字軍」が結成されつつあった。

法王ウルバンのアピールは、本当は軍事力を持つ君主たち(皇帝や王)に向けられていたのだが...。

 

貧民十字軍の運命

 

 所変わって、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)。

古代ローマ帝国時代と比較すると、東側の殆どの領土を失い、更には古代ローマ時代と違って自軍を持たない皇帝は、傭兵を使うのに慣れていた。これまでも再三に渡り、援軍派遣を法王に要請してきた皇帝アレクシオスだったが、それらはことごとく無視されてきた。そこへきて、十字軍遠征である。しかも、十字軍はひとまず、ビザンチン帝国の首都、コンスタンティノープルを目指すという!

皇帝アレクシオスが十字軍遠征を自らの領土奪還に(とはいえ何百年も前に失った領土だが💦)或は自国の防衛に利用しようと考えたのも、無理はない。

当時、トルコの脅威から首都を守っていた兵は、イギリスから逃れてきたサクソン人が多かった。それ故、十字軍も即戦力でなくては困る。

ところが皇帝が見たものは、武器らしい武器も持たず、ヨーロッパからハンガリーを横切り、バルカン半島を南下してくる間に消耗し、数は出発当時の半分近くには減っていたとはいえ、乞食の大群が押し寄せてきたかのようにしか見えない。中には女子供もいる。こうした数万の群衆が、衣食住を要求してきたのである。首都近郊の住民からも不満が沸き起こった。ビザンチン帝国領であるバルカン地方で貧民十字軍が行った強奪、狼藉は弁護の余地もない蛮行ではあった。(絵で見る十字軍、参照下さい)

 

皇帝は、貧民軍の都市入場を禁じ、ピエールにだけは入場を認めた。皇帝から貧民十字軍へは、とりあえず衣食が与えられ、ボスフォロス海峡を渡り、小アジアへ上陸するための船まで用意された。

ただ、これは、貧民十字軍をイスラム兵士達が待ち受ける、小アジアへ放り出したということだ。ひとことで言えば、”厄介払い”だった。

迎え撃ったトルコ軍との対戦により、イスラム側の記録によると、2万の死者が出たらしい。一部の貧民とピエールはコンスタンティノープルにいて助かったが、多くは小アジアへ足を踏み入れた途端、消滅したのだった…。

 

 

 1096年、十字軍参加を誓った諸侯たち、(皇帝や王の下に来るもので、とりあえず落ち着いた)第一次十字軍が東方へ出発

 1097年、イェルサレムへの道に立ちはだかっていた最大の難関、シリアの大都市、アンティオキア攻防始まる。

アンティオキアの殺戮

アンティオキア市内に乱入したキリスト教徒の殺戮は、凄まじかった。「イスラム教徒を殺し、聖地を奪還するのが神の望みである」と法王のお墨付き。十字軍の兵士のみならず、あとに続いた巡礼者も「安心して」殺しまくった、とある。(『絵で見る十字軍』42ページ)Σ(゚д゚lll)ガーン

 

翌年、6月3日、攻防に成功。

わずか1日でアンティオキア市内には、生きているトルコ人は一人もいなくなった。市内にはイスラム教徒しかいないと思い込んでいた十字軍が、騎士も兵士も巡礼者も共に、安心して殺しまくったからだった。

翌日、殺戮と破壊に疲れ果てた十字軍は、食料倉庫まで炎上させたことに気付く。市内には、口に入れられる物は、何も残っていなかった。

その後も、食料を提供できる近郊の町や村があってこそ、都市として機能出来る訳で、諸侯たちは近隣の町や村への制覇行を怠ることはできなかった。そんな中、事件が起こる。

イスラム側の資料によれば、人食い事件で、食われたのは10万の住民すべて、となっているが、現代のイスラム研究では、1万前後であったと改められている。

サン・ジルがマラト・アヌマンの町に置いてきた兵士たちが、殺された住民の肉を喰らったという知らせがアンティオキアにいた諸侯たちを憤慨させた。住民は残らず殺され、何も食べるものがないまま残された兵士たちが、飢餓に耐え切れず行ったことだった。

だが、この一件が、イスラム側に、キリスト教徒=食人種、という噂を広めることになる。(160ページまで まとめ)

 

  1099年、イェルサレムの解放

 

 タンクレディと配下の兵士たちは、女性と子供達ばかり300人が隠れているアル・アクサの神殿へ足を踏み入れた。命は助けると約束し、奪った宝物を保存する場所を探しに出て行った。その後、乱入した兵士達によって中にいた300人と共に焼き払われた。

この攻防で、イスラム側の死者、2000人分の首が塔の中へ投げ入れられ、残り2000人の首は、ビザンチン帝国皇帝へ送付された、とイスラム側の記録にはあったが、現代の歴史家は、「数個は投げ込まれた」と書いているらしい。

ハンガリー問題で忙しく、この時期の約20年間、十字軍に関与していなかったベネツィア共和国の記録がないため、正確な数字は分からないとのこと。

 その後、18年を費やしてシリア・パレスティーナの地に十字軍国家を確立。ゴドフロアが最初の王、「キリストの墓所の守り人」となった。

 

第一次十字軍の主要メンバー;諸侯たち

トゥ―ルズ伯、サン・ジルと法王代理の司教アデマール

ロレーヌ公、ゴドフロアと、弟のボードワン

ブーリア公、ボエモンドと、甥のタンクレディ

 

これらの主要メンバー率いる軍勢の数は、大げさな数を指し引いて約5万。

この十字軍では、最高司令官は最初から最後まで存在せず、利己主義で仲間割れすることもしばしば。

そしてそれは、イスラム側も同じだった。

この時点では、イスラム側の領主たちは、「遥々、領土拡大目的でフランク人(西ヨーロッパの人々)やってきた」としか認識しておらず、「なぜ、わざわざ遠くからやってきたのか分からない」と思ったがゆえに不意を衝かれたが、少しずつ体制を立て直す。

 

これ以降は、建国した「十字軍国家」を守る戦いの歴史、となる。

 

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侍ジャパン☆彡悲願の金!

2021-08-07 23:22:07 | ホークス

 侍ジャパン、米国に2-0で勝利☆彡

やったーーーーーーっ! おめでとう。

稲葉監督、選手の皆さん、ありがとうございます。

米国の先発投手はホークスのマルティネス。

チームメイトの甲斐キャノン&柳田選手&千賀投手&(ベンチで応援)栗原選手。

それぞれ、他球団の選手全員と力を合わせ、ジャパンで優勝~

嬉しいです💕

遂に…ついに、悲願の金メダル!

(私にとっては)シドニー2000から、ここまで長かった~

シドニーでは、当時、西武の松坂大輔を筆頭に、プロとアマチュア混合チームだったっけ。

テレビ放送はされず、買ったばかりのWindow98のPCで、勝負の行方をチェックしていた、あの頃を思い出しました。

「日本人、オリンピックに出てないのっ?」と言いたくなるくらい、柔道も全く放送されず、ちょっと悲しかった思い出が...💦

自国開催は嬉しいですね。

 

あれから21年。念願の侍ジャパン、金メダルです。しかも、全勝、決勝では米国を0点に抑えての優勝。

若かった私も、歳を取ったけれど、金メダルの瞬間をテレビで見守ることができて、幸せ~

 

いよいよ明日で閉会式を迎えますね。コロナ禍で開催自体が危ぶまれ、感染者は急増中… それでも連日連夜、テレビの前で、あらゆる競技を観戦しては、大興奮の日々でした。今、あらゆるシーンが目に浮かぶのですが、最も印象的だったシーンの一つは、競泳、萩野選手と瀬戸選手が泳ぎ切った直後に見せた笑顔でした~

卓球も。柔道も。

明日は男子マラソン。今朝は最初の1時間しか自宅で見られず、そのまま仕事でしたが、明日と明後日は休日(月曜は振替)

応援しまーす👍

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さよならドビュッシー 中山七里

2021-08-05 22:43:15 | 読書

 

『おやすみラフマニノフ』おやすみラフマニノフ 中山七里

に続き、中山七里さんの著書は、2冊目です。

このミステリーがすごい!大賞作品だったのですねぇ。Σ(・□・;)

プロフィールを読むと、私より8歳年上で会社員だとか。音楽関係のお仕事をされているのだろうか!? ピアノに詳しいけれど、音大卒なのかな? 素性が気になって仕方がありません。

あ、ちなみに、こちらもミステリーなので、詳細に触れる訳には...💦

ほんの少しだけ...

主人公は16歳の女子高生。ピアニストを目指し、ピアノ科がある高校へ特待生で進学することに。

ところが火事で従妹と祖父を失い、全身に大やけどを負ってしまう。生死を彷徨い、目覚めた時は…

おっと、これ以上は言えません。

敢えて主人公の名前も書きません。

映画で例えるなら、あれだ!と思うのですが、これを言っちゃうと、ネタバレもネタバレ。最後に「あっと!」驚く展開が先に読めてしまう。つまんなくなるので、秘密。

ピアノコンクールで主人公が演奏したドビュッシー「月の光」「アラベスク」

フジ子・ヘミング~月の光

 

本当は、辻井伸行さん演奏の「月の光」をリンクしようかと思っていたのですが、本の主人公は女の子なので、女性ピアニストの演奏をリンクします🎵

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絵で見る十字軍物語 塩野七生

2021-08-05 20:25:28 | 読書

こちらの本は、十字軍物語 1巻、2巻、3巻と続いていく長編の、いわば序章です。

注目すべき絵を描いたのは、ギュスターヴ・ドレ

 

19世紀前半の歴史家、フランソワ・ミショーが書いた『十字軍の歴史』の文章に、その半世紀後、ドレが さし絵を描いたそうです。

聖地巡礼途上で難事に遭遇したキリスト教徒に助けの手を差し伸べるイスラム教徒

まず、この絵から始まります。

最初の一枚の絵を目にした時、「十字軍の歴史」は中立的な立場で検証されているのだろう、とイタリア語訳を読まずとも想像出来ました~ (イタリア語は全く分かりませんが💦)

プラティスラヴァの町を攻める十字軍

巡礼途中の中欧、東欧で、同じキリスト教徒と闘う様子。充分な食糧、水がない、そこで力尽くで奪う… 西ヨーロッパから十字軍遠征へ向かうキリスト教徒を最初に嫌うのは、中欧、東欧のキリスト教徒たちだった。

アンティオキアの殺戮

アンティオキア市内に乱入したキリスト教徒の殺戮は、凄まじかった。「イスラム教徒を殺し、聖地を奪還するのが神の望みである」と法王のお墨付き。十字軍の兵士のみならず、あとに続いた巡礼者も「安心して」殺しまくった、とある。(42ページ)Σ(゚д゚lll)ガーン

イェルサレムを遠望して、感動に震える十字軍の戦士たち

ここへたどり着く前に、中欧、東欧、ダマスカス等、殺戮を繰り返してきた十字軍遠征だった…

中間、後半は、ここでは省略し...。

法王に、オリエント地方の地図を贈る、旅行家のサヌード

ヨハネス二十二世は1300年代の法王の一人。十字軍国家が消滅しても、しばらくは夢を捨てきれなかったらしい。

西洋、それぞれの国が力をつけ始め、法王の力も落ち、十字軍への関心も消えていった。

しかし、これより先、『海の都の物語』の主人公、ヴェネツィア共和国によって、経済によるオリエントとの交流が活発になる。

ヴェネツィア共和国は、(塩野七生さんが名付けたのだが)

 『聖地巡礼パックツアー』なるものを企画し、ビジネス化した。

 

…実は今夜から、『十字軍物語 (1)』を読み始めたところ。

競歩をみて、(銀、銅、おめでとうございます!)

卓球女子団体を応援しながら...

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夏の王国で目覚めない 彩坂美月

2021-08-04 05:30:44 | 読書

 

 前回、ご紹介した作家さん。

金木犀と彼女の時間 彩坂美月

彩坂美月さんの作品では、2冊目。

『夏の王国で目覚めない』

物語りが丁度、今の時期、8月3日から始まるのです。

今読むのに、ピッタリだなぁ~と選びました。

最新作は、まだ図書館は所蔵していないようです。

予約を入れたのは、月曜日の深夜。

まだ、準備出来ていないかもしれないだろうなぁ~と思いつつ、『男の肖像』を返却するため、帰りに立ち寄りました。

新たに予約した8冊の内、4冊、届いていました。

その内の1冊がこちらだった、と言う訳で、サッカー観戦しながら、早速、読み始めました。(いや、その前に種目別体操男子を見ていました。橋本選手、鉄棒金メダル、おめでとうございます☆彡)

ネット上で、ある作家のファンの集いで知り合った男女7人がミステリーツアーに参加、その過程で、一人、また一人と参加者が消えていく…

ネタばれになるので、背表紙に書かれている程度でやめておきますが、

前回の金木犀と彼女の時間 彩坂美月

   が『時をかける少女』を思い浮かべるとしたら、

今回は、 ズバリ! 『Wの悲劇』でしょう。 

特に、原作ではなく、映画の薬師丸ひろ子さん主演の方‼

 

サッカーもハラハラし、かなり惜しい結果でしたが。強豪スペインを相手に良く戦った!PKまでもつれ込むことを期待しましたが。3位決定戦がある!

 

こちらの本も、不整脈? 心臓がドクン。

また、ドクン。

お次はドクンドクン、ドクンドクドク...。段々早くなるっ💦

怖かったです。

体感温度、確実に下がりましたから。

 

Comments (12)
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男の肖像 塩野七生

2021-08-02 18:51:16 | 読書

 昨日から、この本を読んでいます。

西郷どん、カエサルなど、歴史上の人物像を塩野さんが評価。

以前、「通知表」という形で評価する!という本もありました。

それとは違いますが、エッセイ形式も面白いです~👍

 

オリンピック観戦☆彡

今から野球を観ますので、この辺で

Comments (8)
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