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2021年の漢字は「金」

2021年12月13日 21時34分43秒 | 日々の出来事

「2021年今年の漢字」
その年の世相を漢字一文字で表す師走恒例の「今年の漢字」が12月13日発表され、27回目となる今年(2021年)は「」(キン・コン かね・かな・こがね)に決まった。
12月13日午後2時過ぎ京都・清水寺で森清範貫主が縦150センチ横130センチの京都府産の黒谷和紙に広島県産の牛耳兼毫筆(ぎゅうじけんごうふで)で力強く揮毫(きごう)
した。(ネットより転載)

 
                                                 会場の京都市 清水寺 

 
      「」の文字を揮毫される 清水寺 森 清範貫主

 
                      「」の文字は22万以上の応募から1万票以上集めると紹介されました

 
        東京五輪などで目にした「」及び飲食店への休業支援金・給付金などお「」にまつわる話題も多かったと紹介されました


        清水寺 森 清範貫主のお言葉 「来年も輝かしい一年であることを努力して精進をしていきたい」とご紹介されました
」が選ばれた経過(ネットより転載)
コロナ禍で開催された東京オリンピック・パラリンピックで日本人選手が多数の「」メダルを獲得した他、大谷翔平選手が大リーグMVPを満票で受賞するなど、リアル二刀流
でシーズンを通して活躍。
さらに松山英樹選手の日本人初のマスターズ制覇、藤井聡太棋士の最年少四冠達成など、国内外でこれまで成し得なかった多くの「」字塔が打ち立てられた。
そのほかにも、飲食店 へ の休業支援「金」・給付「金」、子育て世帯 を対象とした臨時特別給付「金」の議論、新紙幣 印刷開始や新500円硬貨流通など、お「」にまつわる
話も数多く話題に上がった。

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青天を衝け 紀行 2021年12月12日放映の「東京都港区・北海道清水町」のご紹介

2021年12月13日 10時02分34秒 | 日々の出来事

                 2021年12月12日放映の「青天を衝け」のあらすじ「栄一と戦争」(NHKの紹介より)
                      栄一(吉沢 亮)は、ホワイトハウスでルーズベルト大統領と会談。
                日本の軍事面のみが注目され、経済への評価がまだまだ低いことを痛感する。やがて、日露戦争が勃発。
             財界の代表として戦争への協力を求められた栄一は、公債購入を呼びかける演説をするが、その直後に倒れてしまう。
             栄一の見舞いに訪れた慶喜(草彅 剛)は、“生きてくれたら、自分のことは何でも話す”と、涙ながらに語りかける。
                      栄一たちは、慶喜の功績を後世に伝えようと、伝記の編纂(へんさん)を始める。

              2021年12月12日放映の「青天を衝け」 紀行 「東京都港区・北海道清水町」 の紹介をさせて頂きます。


           渋沢 喜作氏 (渋沢 栄一氏の従兄)                            横浜渋沢商店
               渋沢 喜作氏は生糸などを扱う「渋沢商店」を立ち上げたほか、さまざまな事業に取り組みました。

 
           
北海道清水町                           十勝開墾会社 農場畜舎

                   北海道清水町にも渋沢 喜作氏が渋沢 栄一氏と共に力を注いだ事業がありました。
                  渋沢 喜作氏は十勝開墾合資会社の初代社長を務め、十勝の農畜産業の発展に貢献しました。


       演奏 深谷市立常盤小学校鼓笛隊の紹介文字                        大勝(たいしょう)神社

 
        大 勝(たいしょう) 神 社 境 内                      灯籠に寄附 
十勝開墾株式会社の名が刻まれている 
                     農場の一画に創建された大勝(たいしょう)神社は、今も地域の人々を見守っています。


           東京都港区 渋沢 喜作邸跡                     八芳園の庭園の美しさを語る林田理紗アナウンサーの紹介文字


                               美しい 八芳園の庭園


         渋沢喜作が植えた梅の木 写真提供 八芳園の文字
「八芳園の由来」
東京白金台の自然の丘陵と水地を利用して作られたここ(現在の八芳園)には、江戸時代初期に天下のご意見番と呼ばれた大久保彦左衛門の屋敷がありました。
最晩年の地としてここを選んだ大久保彦左衛門に、初代将軍 徳川家康より下賜された山茱萸(さんしゅゆ)の木が今も園内に残っています。
その後、幕末の島津式部の抱え屋敷、松平薩摩守の下屋敷などの時代を経て、明治の大実業家 渋沢栄一の従兄に当たる渋沢喜作の所有となりました。
当時の姿を色濃く残す庭園には、渋沢喜作が植えた梅の木が今も枝を伸ばし、毎年色鮮やかな花を咲かせています。
財界を引退した澁沢喜作は白金に移り住み現在、料亭が立つ場所に渋沢喜作が暮らした屋敷があったと伝わっています。
波乱に満ちた日々を送ってきた渋沢喜作は、
ここ白金の地で穏やかな余生を過ごしたのです。(以上は林田理紗NHKアナウンサーの説明によります。)

コメント (2)
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