2日目 11月24日(金)
沖縄平和祈念堂 島 守 の 塔
平和祈念資料館 「米軍戦車のキャタピラ」と書かれていました。
1945年3月末、史上まれにみる激烈な戦火がこの島々に襲ってきました。
90日に及ぶ鉄の暴風は島々の山容を変え、文化遺産のほとんどを破壊し、20数万の尊い人命を奪い去りました。
沖縄戦は日本に於ける唯一の県民を総動員した地上戦でありアジア・太平洋戦争で最大規模の戦闘でありました。・・・続く(平和祈念資料館 設立理念より)
平和を願うメッセージ 太平洋を望む丘の上に建立された 「平和の礎」
房総の「平和の礎」に刻まるる1600余のみ柱のみ名 嘉子
「房総之塔」 (追悼式会場)
(碑文) 房総にまたかえるなきみ霊らよ海坂とおきここに鎮みて
兄偲ぶ友と並びて「房総の塔」に今し深々額づきてをり 嘉子
訪ふたびに涙にかすむかの日々よ摩文仁の丘に平和を祈る 嘉子
「房総之塔」は昭和40年12月3日、紺青の空と白波の打ち寄せる緑の地「摩文仁ヶ丘」に建立されました。
塔は、戦没者のみ霊を慰め、子孫の繁栄と世界の平和を祈るため、合掌の形をとり地下には、戒名を遺族みずからの手で書かれた3万5693柱が埋葬され、県花、菜の花をデザインした
径80センチの陶器モザイクによる玉魂を祀ってあります。
太平洋を見渡せる高台に在ります。沖縄戦での戦没者17万8000余柱が合祀されています。
黎明之塔 黎明之塔の碑文
黎明之塔は摩文仁の丘の最も高い場所に建立されています。
第32軍司令官牛島中将と長参謀長の最後の地であって昭和20年6月23日、この洞窟内で古武士の型に習って自決した。
沖縄では毎年6月23日を慰霊の日としている。
この高台に立ち、遙かフイリピンレイテ湾に眠る父へ語りかけることが出来ました。合掌
亡き父を偲びてレイテの方に向き摩文仁の丘に両掌を合はす 嘉子
【ひめゆり平和祈念資料館を訪ねて】
入 場 券 ひめゆり平和祈念資料館
資料館に向かう皆様 碑 献花をさせて頂きました
青春の真只中に散りたるを惜しむもむなし供花捧げゐて 嘉子
旧海軍慰霊塔 大田中将が自決されました司令官室
司令官室の壁面には 「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり」 と大田中将の歌が鮮やかに残されています。
大田實中将の生家に建立された顕彰
昭和48年6月千葉県長柄町高山にある生家の長屋門入り口左側に有志により顕彰碑が建てられています。
昭和20年6月6日、決別電報と辞世の句を打電。
同日夜、沖縄県民の献身的な戦い振りを述べ、後世にわたる国の配慮を訴えた世界史上不朽の
電文 「沖縄県民斯く戦へり」 を打電。
13日幕僚6人とともに自決、54歳の仁愛と波乱に満ちた生涯を終える。
辞 世 身はたとへ沖縄の辺に朽つるとも守り遂ぐべし大和島根は
沖縄の県民守り果てたりし大田中将郷土の誇り 嘉子
あらためて「自決」の言葉思ひたり歴史の重みまざまざとして 嘉子
深き壕闇(くら)き底より今もなほ鶴嘴の音聞こゆるごとし 嘉子
首里城
大戦の過去は過去とし復興に琉球文化のかをりも高く 嘉子
首里城について(パンフレットより抜粋)
首里城は琉球の王城であった。
東西225間、南北約150間、面積1万9千坪の広大な城郭で正殿は琉球第一の大建築で昔から百浦添(支配の意)と称し、また俗に唐破風
ともいった。
正殿の外重要な建物は北殿と南殿で、北殿は純支那風で冊封使歓待のため建てられたもので平常は摂政、三司官が政務を執っていた。
南殿は純日本式建物で慶長役後薩摩の使臣を歓待する場所、首里城は今次大戦で残らず破壊された。
しかし本土復帰20年を記念して1992年に首里城公園として当時の姿のままに復元されました。
首里博物館について
沖縄は古くから日本、中国及び南方諸国などの文化を吸収同化して独自のすぐれた文化を築いてきた。
戦前国宝に指定された幾多の建築物や芸術品があったが、戦争のためにその貴重な文化もことごとく壊滅してしまった。
戦後灰塵の中から掘り出したもの、あるいは遠く海外に散在していた旧文化財を買収蒐集して保存陳列してある。
20年前に行った沖縄を思い出しました。
今は亡き主人との楽しい旅行でしたが、歴史好きで千葉県民の主人と共に石碑や地下の跡地、ひめゆり、、、まさに写真の場所を歩いて参りました。
観光や基地がある為の賑わいとのギャップがショックだったこと
でも、地元の方の明るさ、優しさ、強さに触れ
それにあの青い空と青い海が気持ち良かった
いま思う事は、戦争は人の心と命を奪うだけで何も残りません
固い文章になってしまいましたが
oko様や大先輩のご高齢の方々のお気持ち考えますと、頭が下がる思いです。いつまでもお元気で後輩の物に伝え続けて頂きたいです
お辛い思いをさせてしまいごめんなさい。
お若い方にこんなにも真剣にお考えを戴き明るい未来に沢山の
夢を戴きました。
雑用に追われ心からの御礼が申し上げられませんで申し訳なく存じます。
有り難うございました。