北海道美術ネット別館

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札幌・西屯田通の入り口

2014年02月25日 00時22分51秒 | つれづれ日録


 コンチネンタルギャラリーや札幌市資料館、NECCOなどがある西11丁目界隈は、札幌のなかでも中心部についで歴史の古い地区とあって、かっちりと、碁盤の目状に街路が縦横に走っている。
 そんななかで、すこし傾いた角度で南1条の電車通りまで続いている道路がある。

 「西屯田通」だ。

 西屯田通のすぐ東側、すなわち、電車通から見て左側には、西13丁目通がある。こちらのほうが、はるかに幅が広い。
 しかし、西13丁目通は、南3条で行き止まりとなり、ここから南側では、西屯田通のほうがメジャーとなる。
 このあたりは、南1条と南3条の間ぐらいで、道路の傾きが微妙に異なっている。明治時代、南1条側は、開拓使の引いた図面に合わせて道路をつくり、南3条側は屯田兵の区画に合わせたことの名残である。これが、すすきのであれば、南7条ぐらいが、開拓使エリアと屯田兵エリアの境目になるのだが、西13丁目ともなると、明治半ばぐらいではまだ「札幌の果て」であり、市街地の西は、石山通ぐらいで終わっていたのだ。

 西13丁目通と西屯田通の間に建っているのが、札幌で最も古いビルディングのひとつといわれる「三誠ビル」である。

 ゼロ年代には「SOSO CAFE」が入り、いまは古本屋や喫茶店などが入居する。

 もっとも、筆者はこのあたりの1970年代初期の頃を知っているが、当時は、いささかうらぶれた感もあったとはいえ、もうすこし「歴史の古い通りの入り口」にふさわしい風情みたいなものが漂っていたように思う。

 電車通りから見て右側には、「北京楼」というジンギスカン屋と、銭湯があった。
 北京楼というからには、中華料理店ではないかと思うのだが、自分はジンギスカンしか食べた記憶がない。しかも、専門店によくある、あのかぶとをさかさまにしたような、中央部が盛り上がった円形の鉄鍋ではなく、長方形の無煙ローターみたいな上に載せて焼くのであった。

 あと、この附近には「すずらん灯」があった。

 すずらん灯というと、戦前のモノクロの絵はがき(横書きの文字が右から印刷されているようなやつ)で見たことがある人もいるだろう。
 これが、70年代に入っても、南1条の西屯田通では、現役で活躍していたのだ。
 もちろん、ネオンサインも街路灯もふつうにある時代なので、ずいぶんレトロな感じがしたものだ。


 ところで、この通りは、ところどころではずいぶん歩いているが、とおして歩いたことは一度もない。

 アトリエムラギャラリーが短期間、西11丁目と西12丁目の間にあったぐらいで、あまりギャラリーまわりには関係のない通りといえるかもしれない。

 個人的には、南3条から南6条まで並行している細い裏道の存在が、地図で見て、非常に気になっている。

 東屯田通ほどの「ディープな感じ」はないと思うが、一度は南25条まで歩いてみたい。





 ある事情によって、今週は非常に多忙な1週間になることがほぼ確実な情勢だ。
 なので、きょうは、さっと書けるエントリにしてしまった。

 ブログはなんとか1日1エントリは死守したいが、ツイッターはあまりつぶやけないかもしれない。たぶん、Facebookは、ほとんど見てる暇がない。ご容赦ください。


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