北海道新聞のおくやみ欄によると、江別の画家、米澤榮吉さんが亡くなったようです。92歳でした。
米澤さんは、市職員のかたわら絵筆を執り続け、官展系の歴史ある団体公募展の「示現会」に所属していました。
また、さいとうギャラリーが年2回催す企画展にも参加されていたほか、地元・江別の絵画グループ「北陽会」にも属し、発表を続けていました。
2006年には江別市の市民芸術文化賞も受けています。
穏当な写実の、バラなどの静物画や、野幌の風景画を中心に制作していました。
とくに力を入れて筆を執っていたのが冬の風景でした。これについては、■米澤榮吉油彩展 卒寿記念のエントリで書きましたので、そこから引用します。
筆者の心に残ったエピソードです。
卒寿記念展の際には「もうこれが最後だから」とおっしゃるので、「そう言わず、白寿展も開いてください」と励ましたのですが…。
ご冥福をお祈りいたします。
■第10回示現会北海道作家展(2009年)
■米澤榮吉油彩展 卒寿記念(2008年)
■第8回示現会北海道作家展(2007年)
■06→07展
米澤さんは、市職員のかたわら絵筆を執り続け、官展系の歴史ある団体公募展の「示現会」に所属していました。
また、さいとうギャラリーが年2回催す企画展にも参加されていたほか、地元・江別の絵画グループ「北陽会」にも属し、発表を続けていました。
2006年には江別市の市民芸術文化賞も受けています。
穏当な写実の、バラなどの静物画や、野幌の風景画を中心に制作していました。
とくに力を入れて筆を執っていたのが冬の風景でした。これについては、■米澤榮吉油彩展 卒寿記念のエントリで書きましたので、そこから引用します。
米澤さんの師匠は、洋画壇の大御所であった楢原健三さんです。
「パリやフランスに行って写真をバシャバシャ撮ってそれを絵にするようでは、いけない。君はどこだ。北海道か。よし、北海道を描くんだ」
と米澤さんを励まし、本州や九州の画家には描けない雪景色に取り組むよう助言してくれたのだそうです。
米澤さんはその教えを守って、地元の野幌原始林にイーゼルを立てて地道に冬の風景を描く一方、楢原さんが道内や中国をスケッチ旅行する際には同行して身近に教えを乞いました。楢原さんが亡くなったのを機に、示現会も退会したのだそうです(ただし、示現会北海道支部の展覧会には、顧問格で出品を続けています)。
筆者の心に残ったエピソードです。
卒寿記念展の際には「もうこれが最後だから」とおっしゃるので、「そう言わず、白寿展も開いてください」と励ましたのですが…。
ご冥福をお祈りいたします。
■第10回示現会北海道作家展(2009年)
■米澤榮吉油彩展 卒寿記念(2008年)
■第8回示現会北海道作家展(2007年)
■06→07展