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■石川亨信凹版個展「each pulse each tempo」 (7月29日まで)を見に行った

2007年07月27日 23時44分18秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 僧侶としていそがしい毎日をおくりながら、独特の空気感をもった抽象版画にとりくむ石川さん。
 住民票は石狩、寝泊まりは北区篠路、スタジオはまた別のところ、寺は都心…と、とびまわる日々がつづいているというが、近くニューヨークで初の個展をひらくということで、多忙さに拍車がかかっているようだ。

 今回の個展会場は、面積はあまり広くないが、吹き抜けになっているつくり。
 玄関前と、会場中央に、おそらくおなじ版で刷ったと思われる作品を立てている。障子1枚分の広さはあろうかという大作だ。
 吹き抜けの高い部分にも作品を配し、さらに壁際に、光を反射する銅板を立てかけて、森のような空間をつくっている。販売用の小品は1点もない。作品が自立する、いわばインスタレーション的な展示になっている。

 もともと石川さんの版画は、なにか具体的なモティーフがあるというのではない。風というか、雲というか、いや、暖気でも湿り気でも靄でもなんでもいいのだが、漠たる空気の感じのようなものが表現されているようだ。といって、装飾的な壁紙模様にもなっていない。なにも描かれていないのに、いつまででも見つづけていられる、そんなふしぎな作品世界をつくっている。


 筆者が見に行ったときには、すこし年かさの男性が、作品を見るでもなく、ギャラリーに座り込んで携帯電話をさかんにいじっていた。
 筆者には携帯電話でメールを送受信するという習慣がないので、とても奇妙な光景に感じられた。
 ほかに、会場内をうろうろしている女性がいて、彼女の視線の先を見ると、デジタル一眼レフカメラを構えた男性が吹き抜けの上にいるのだった。
 ほどなくして、携帯男と筆者は、写真を撮るので3分ほど出て行ってほしいと、その女性に言われた。

 そんなことを言われたのは、10年ほどギャラリーをまわっていて、はじめてだった。

 ギャラリーがあいている時間にもかかわらず作品写真の撮影をしている場面には、何度か出くわしたことがある。
 しかし、どのカメラマンも、見ている人のじゃまにならないように三脚を置いて、撮っていた。

 実際に足を運んで作品を見に来ている人よりも、写真を撮る人というのは、そんなに偉いのだろうか。


 北12条駅まで歩いて帰る。


 このギャラリーのブログの、筆者がおとずれた日のエントリに、こんなことばがあった。(名指しこそしていないが、FIX! MIX! MAX!をけちょんけちょんにけなした文章の末尾)
 ひとりの人間の個としての深い時間をないがしろにして安直な名称を冠らせるなと言いたい。


 強烈な違和感を覚えた。

(28日削除しました。) 


07年7月17日(火)-29日(日)11:00-19:00、月曜休み
temporary space(北区北16西5)

小林大さんとの2人展(06年)


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「釈然としない」に同感 (SH)
2007-07-28 06:43:45
「写真を撮るから出て行って欲しい」。例え3分であっても愕然とする言葉ですね。ホントに「あんた何様」と思います。

展覧会はスタートした時点で、作者でもある意味制御できないような、作品と見に来る人との場が生まれるような気が私にはします。それを阻害するというのは、ちょっと考えられませんね。
(携帯でメールし続ける人も)

私が行ったときは、石川さん本人とやはり撮影している人がいたのですが、邪魔者扱いはされませんでした。
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お詫び (石川亨信)
2007-07-28 09:54:47
不在とはいえ、大変失礼を致しました。
撮影依頼者として深くお詫び申します。
作品に陽が射し込むタイミングを指示していた関係で、そういう事態になったと思います。
配慮が足りず、申し訳ありませんでした。
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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2007-07-29 08:11:52
 
 人間は体が一つしかないのですべての直接体験はできないから、代わりに間接体験をさせてあげる-のが、ひとつの存在理由である会社で働いている筆者です。写真撮影が一義的にダメだと言い張るつもりはありませんし、筆者はそれほど怒っているわけではないです。
 それよりカメラマンはカメラを手持ちしているように筆者には見えたのだけど、それでちゃんと撮影できたのでしょうか。ちょっと心配。
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