(承前)
ウポポイ(民族共生象徴空間)に慰霊施設があることは、昨年7月に、まゆんさんと小田原のどかさんの対談を聞くまで知りませんでした。
せっかく胆振管内白老町まで来たのだから訪れるべきだと思いましたが、ウポポイ内に立っている案内板には何も記されていないのです!
国立アイヌ民族博物館の案内係に尋ねました。
いったん敷地を出て、左側に行くとあるそうです。
「10分ぐらい歩きます」
結論から言うと、その倍近くかかりました。
ウポポイの正門の前を通る道路を、白老駅と反対の方向にしばらく歩きます(ウポポイやポロト湖は左手になります)。
下の画像で、平坦な道路が上りになるあたりに立っている看板に「あと1000メートル」とあります。
(10分って言ったよね…orz)
ずっと上り坂で、バスの便などはありません。
沿道にはお店も自動販売機もなにもないのです。
ひたすら森林に挟まれた道を進みます。
敷地入り口からも少し歩くので、ふだん運動していない人は、タクシーを利用したほうが良いかもしれません。
歩く人は誰もおらず、自動車もたまに走っているだけ。
ほんとうに慰霊施設がこの先にあるんだろうかと、心配になってきます。
入り口にあった看板。
禁止事項のあまりの多さに驚きます。アイヌ民族の「政治的な動き」の芽を徹底的に摘んでおき、平穏無事にとどめておこうという当局の事なかれ主義が露骨に表れています。
それもさることながら、看板の文字がすべて日本語と英語で記されていることにも注意したいところです。
前項で書いたとおり、ウポポイの施設内ではアイヌ語が第1言語です。どの表示も、アイヌ語→日本語→英語や中国語などという順に書かれています。
ところが、ウポポイで最もアイヌ民族のためにあるべき施設にアイヌ語表記がないのです。
モヤモヤします。
門をくぐってから、モニュメントや集会施設まで、さらに5分近くかかります。
なぜ慰霊施設があるのでしょうか。
ウポポイの公式サイトにも書いてありますが( https://ainu-upopoy.jp/facility/cenotaph/ )、明治期以降、人類学者らが研究のためと称してアイヌ民族の墓を掘り返し、骨や副葬品を持ち去っていたという歴史があるのです。
当時は文明人が「未開人」の研究をするという西洋人の流儀にならったのでしょう。しかし、先祖の墓をあばかれるアイヌ民族の側からすれば、たまったものではありません。
大学などの収蔵庫に眠っていた人骨に対し、しかるべき供養を行い、返還を求める動きが出てきます。
で、これも当然なんですが、アイヌ民族からすればご先祖の骨はそれぞれの地元に返してほしいわけです。
勝手に持ち去っておいて、いざ返す段になったら
「いや、北海道全体の分を、白老でまとめておくから」
と言われても、オホーツクや釧路や十勝etc…に住んでいるアイヌの人が墓参りのたびに白老に行くって、大変じゃないですか。
もちろん、アイヌの集まりがなくなってしまった地域もあるかもしれないので、そういう場合に対応する施設は必要でしょう。
でも、日本政府が各地域への返還をどこまで真剣に検討しているのかは、どうもあやしいと思います。
だって、この案内地図に「墓所」って書いてますよ?
ずっとここにおさめておくつもりでしょうか。
この大きなモニュメントについても、昨年まゆんさんは、イクパスイを地面に突き刺して立てるという発想が変だ、というようなことを話していたと記憶しています。
画像ではよくわかりませんが、遠くに太平洋をのぞむ高台です。
ロケーションは悪くないと思いますが、たとえば旭川近傍に住んでいるアイヌ民族がそう思うかどうかはまた別問題だし…。
モニュメントの向かって左手にある集会施設は、施錠されておらず、中に入ることができました。
中央に炉が切ってあり、ポロト湖のほとりに再現されたチセに似たつくりです。
玄関にはパンフレットも置いてありますが、日本語や英語のものはなく、ロシア語とタイ語が残っていました。
「墓所」です。こちらは中に入れません。
北大などは、かつて盗んだ人骨を、ここに移して終わりにするのではなく、謝罪して各地域に返していくべきだと思います。
ウポポイ(民族共生象徴空間)に慰霊施設があることは、昨年7月に、まゆんさんと小田原のどかさんの対談を聞くまで知りませんでした。
せっかく胆振管内白老町まで来たのだから訪れるべきだと思いましたが、ウポポイ内に立っている案内板には何も記されていないのです!
国立アイヌ民族博物館の案内係に尋ねました。
いったん敷地を出て、左側に行くとあるそうです。
「10分ぐらい歩きます」
結論から言うと、その倍近くかかりました。
ウポポイの正門の前を通る道路を、白老駅と反対の方向にしばらく歩きます(ウポポイやポロト湖は左手になります)。
下の画像で、平坦な道路が上りになるあたりに立っている看板に「あと1000メートル」とあります。
(10分って言ったよね…orz)
ずっと上り坂で、バスの便などはありません。
沿道にはお店も自動販売機もなにもないのです。
ひたすら森林に挟まれた道を進みます。
敷地入り口からも少し歩くので、ふだん運動していない人は、タクシーを利用したほうが良いかもしれません。
歩く人は誰もおらず、自動車もたまに走っているだけ。
ほんとうに慰霊施設がこの先にあるんだろうかと、心配になってきます。
入り口にあった看板。
禁止事項のあまりの多さに驚きます。アイヌ民族の「政治的な動き」の芽を徹底的に摘んでおき、平穏無事にとどめておこうという当局の事なかれ主義が露骨に表れています。
それもさることながら、看板の文字がすべて日本語と英語で記されていることにも注意したいところです。
前項で書いたとおり、ウポポイの施設内ではアイヌ語が第1言語です。どの表示も、アイヌ語→日本語→英語や中国語などという順に書かれています。
ところが、ウポポイで最もアイヌ民族のためにあるべき施設にアイヌ語表記がないのです。
モヤモヤします。
門をくぐってから、モニュメントや集会施設まで、さらに5分近くかかります。
なぜ慰霊施設があるのでしょうか。
ウポポイの公式サイトにも書いてありますが( https://ainu-upopoy.jp/facility/cenotaph/ )、明治期以降、人類学者らが研究のためと称してアイヌ民族の墓を掘り返し、骨や副葬品を持ち去っていたという歴史があるのです。
当時は文明人が「未開人」の研究をするという西洋人の流儀にならったのでしょう。しかし、先祖の墓をあばかれるアイヌ民族の側からすれば、たまったものではありません。
大学などの収蔵庫に眠っていた人骨に対し、しかるべき供養を行い、返還を求める動きが出てきます。
で、これも当然なんですが、アイヌ民族からすればご先祖の骨はそれぞれの地元に返してほしいわけです。
勝手に持ち去っておいて、いざ返す段になったら
「いや、北海道全体の分を、白老でまとめておくから」
と言われても、オホーツクや釧路や十勝etc…に住んでいるアイヌの人が墓参りのたびに白老に行くって、大変じゃないですか。
もちろん、アイヌの集まりがなくなってしまった地域もあるかもしれないので、そういう場合に対応する施設は必要でしょう。
でも、日本政府が各地域への返還をどこまで真剣に検討しているのかは、どうもあやしいと思います。
だって、この案内地図に「墓所」って書いてますよ?
ずっとここにおさめておくつもりでしょうか。
この大きなモニュメントについても、昨年まゆんさんは、イクパスイを地面に突き刺して立てるという発想が変だ、というようなことを話していたと記憶しています。
画像ではよくわかりませんが、遠くに太平洋をのぞむ高台です。
ロケーションは悪くないと思いますが、たとえば旭川近傍に住んでいるアイヌ民族がそう思うかどうかはまた別問題だし…。
モニュメントの向かって左手にある集会施設は、施錠されておらず、中に入ることができました。
中央に炉が切ってあり、ポロト湖のほとりに再現されたチセに似たつくりです。
玄関にはパンフレットも置いてありますが、日本語や英語のものはなく、ロシア語とタイ語が残っていました。
「墓所」です。こちらは中に入れません。
北大などは、かつて盗んだ人骨を、ここに移して終わりにするのではなく、謝罪して各地域に返していくべきだと思います。
(この項続く)