三月25日(水曜日)。
退職式の予定の朝だった・・・。無念の思いがつらかった・・・。
42年という・・・永きにわたって通信を守り続けてきた自負と責任と・・。
その・・・最後のセレモニーを迎えることができなかった悔しさは重かった。
けれど・・25年、30年という・・順調な節目を押さえてきたから・・・、この・・42年という節目には・・・あまり期待感がなかったというのが事実かもしれない。おまけの・・42年だったのかもしれない。
私たちの場合・・・勤続永年表彰というのは・・「30周年」と言われてきた。その・・・感謝状も・・・記念の置き時計も・・・先の台風で流されてしまった。
でも・・それはそれで・・・良かったのかも知れない。
今回の・・・42年周年という表彰状は・・・全くのおまけでしかないように思えた。
法衣を着ようか・・お袈裟を着ようか・・・。タクシーで式場に向かおうか・・・どこに車を止めようかなどと・・さんざん・・考え抜いたけれど・・、こんな・・・病気で・・・話にもならずに終わってしまったことが情けない・・。
ともかくに・・・点滴は終了した。腕に差し込まれた針も抜かれた。酸素マスクも外された・・・。吸入の装置も外された・・・。
会社の・・・退職式には出られなかったけれど・・・、点滴の卒業式には立ち会えたではないか。酸素マスクの卒業式にも出られたではないか・・・。
痰は白く柔らかくなったではないか・・・。
食事は完食となり・・・病院からの食事が全て食べられるようにもなった・・・。
じゃぁ、また。
退職式の予定の朝だった・・・。無念の思いがつらかった・・・。
42年という・・・永きにわたって通信を守り続けてきた自負と責任と・・。
その・・・最後のセレモニーを迎えることができなかった悔しさは重かった。
けれど・・25年、30年という・・順調な節目を押さえてきたから・・・、この・・42年という節目には・・・あまり期待感がなかったというのが事実かもしれない。おまけの・・42年だったのかもしれない。
私たちの場合・・・勤続永年表彰というのは・・「30周年」と言われてきた。その・・・感謝状も・・・記念の置き時計も・・・先の台風で流されてしまった。
でも・・それはそれで・・・良かったのかも知れない。
今回の・・・42年周年という表彰状は・・・全くのおまけでしかないように思えた。
法衣を着ようか・・お袈裟を着ようか・・・。タクシーで式場に向かおうか・・・どこに車を止めようかなどと・・さんざん・・考え抜いたけれど・・、こんな・・・病気で・・・話にもならずに終わってしまったことが情けない・・。
ともかくに・・・点滴は終了した。腕に差し込まれた針も抜かれた。酸素マスクも外された・・・。吸入の装置も外された・・・。
会社の・・・退職式には出られなかったけれど・・・、点滴の卒業式には立ち会えたではないか。酸素マスクの卒業式にも出られたではないか・・・。
痰は白く柔らかくなったではないか・・・。
食事は完食となり・・・病院からの食事が全て食べられるようにもなった・・・。
じゃぁ、また。