今朝も五時前に目が覚めた・・・。今更寝てもなぁと思って・・・朝の釣りに出かけたが、皆目・・・。ふぐばかりが元気でエサをうまくかすめ取ってしまう・・。そんなことで三十分ばかりでギブアップ・・・。
朝食後はゆっくりとして、八時半から朝の散歩に出たが・・・急に気温が上がってきて一時間も歩くと汗まみれになった・・・。気温だけでなく湿度も急激に高くなったみたいだ。
島の南東部・立石地区には高い石垣をめぐらせた「尾上邸:おのえてい」がある。尾上家は江戸時代に廻船問屋として栄えた家で、200年ほど前に塩飽大工によって建てられた総けやき造りの尾上邸は当時の繁栄振りを物語っている。
尾上邸の石垣はこの島で採掘される青木石で積み上げられたもので、青木石は青みがかった御影石でこの島の特産になっている。
江戸時代末期の回船問屋、尾上吉五郎が建てた総ケヤキ造りの豪勢な屋敷は、四方に巡らされた高さ4.5mの石垣や表門の石段など、随所に当時の権勢ぶりがうかがえる。
その尾上吉五郎が大檀那となって建立したといわれる神光寺の梵鐘は総高112センチ、口径64センチであり、1676年(延宝4)に氏子衆の寄進により、大阪・堺で鋳造されたもの。銘文は江戸期の高僧で、梵字学の大家あった浄厳(じょうごん)和尚によるもので、縦帯(じゅうたい)の撞座(つきざ)の上に蓮華座(れんげざ)をつくり、種字(しゅじ)を陽鋳(ようちゅう)しているのがこの鐘の特徴。
銘文などから江戸時代の梵鐘であることが明らかなものは、丸亀市内ではこの神光寺の梵鐘と、極楽寺(牛島)梵鐘、本島町正覚院(しょうかくいん)の梵鐘を含む3例しかなく、これらは特徴や制作時期など多くの共通点を持っている。塩飽諸島の文化の繁栄と浄厳和尚という江戸初期の高僧の足跡を物語る貴重な歴史的資料であり、市文化財に指定(平成16年9月24日付)された理由である。
神光寺:しんこうじは真言宗善通寺派の寺院で、開基はは弘法大師との言い伝えがある。宝珠山阿弥陀院神光寺と号し、塩飽本島の正覚院の末寺であった。本尊は慈覚大師作の阿弥陀如来像。護摩堂の不動明王は運慶の作と伝わる。
閻魔(えんま)堂裏手には咸臨丸に乗り組んだ伴幸吉の墓があり、山門脇には大檀那尾上家の印塔や吉五郎の石碑などもある。
今日の気温は高松で33度をこえていたらしい。湿度は62%。もっとあると思うような蒸し暑さなんだけれど・・。明日も似たようなものらしいし、土日は雨にまた戻るらしいのだけれど・・・。そうなると・・明日あたりには片付けをして、午後からは山の家に戻ろうか・・・。雨になったのでは何もできないし・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね・・・。