回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

知られざるロシア・アバンギャルドの遺産 ~スターリン弾圧を生き延びた名画~から1年

2015年02月05日 19時17分08秒 | 日記

ちょうど1年前の今日、「芸術のパラドックス」という題名で、芸術と政治、あるいは自由との複雑で皮肉な関係を思いつくままに書いた。ソチ五輪の直前で、すでにロシアとそのほかのG8諸国の亀裂は大きかったけれども、まだどこかに解決の糸口があるのでは、との期待があった。それから1年、ウクライナをめぐる対立がこれほどまでにエスカレートするとは、想像もできなかった。そしてここ数日の、ウクライナ東部での内戦は、中東での戦闘を見ているようでおぞましいの一言に尽きる。今思えば、ほんの一年前、世界はまだ平穏だったのだ。

ここ数日、NHK BSで「アウシュビッツ解放70年」というドキュメンタリー番組が再放送されている。もう30年以上も前になるが一度だけ、アウシュビッツの跡地を訪れてその歴史の重さに圧倒された。その時の感覚が突然よみがえったのは、911で倒壊したワールドトレードセンターの跡地に立った時のことだ。自分はあまり霊感の強い方ではないと思うのだが、この2回は、まるで後ろから何者かに背中を突かれたような衝撃を覚えた。どこかにこの二つに何か通じるものがあったのかもしれない。

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challenge?

2015年02月05日 16時14分01秒 | 日記

今日、インターネットの記事を見ていたら、韓国副首相が「挑戦多いが今年3.8%成長可能」と発言した、というのがあった。

ここ20年くらいの間、よく聞く言葉にchallenge(チャレンジ)がある。新し物好きの米国で盛んに使われ、それがいつの間にか世界中に流布した。従来、チャレンジといえばまず何かに勇敢に挑む、挑戦ということになるのだが、いまでは端的に言えば困難なこと、を意味している。それにもかかわらず、翻訳では依然、挑戦となっているから読むほうでは何のことやら理解できない。今使われているこの言葉は、これから挑んでみる、という将来についてのことではなく、現実に困難さがわかっていることだ。たとえばmentally challengedといえば知的な障害をもったことを言う。あるいはchallengingといわれれば極めて困難なことを言う。

たぶん、件の副首相は、困難は多々あるが何とか可能だ、と言いたかったのだろう。造作もなく「困難」といった否定的な言葉ではなく、「挑戦」という前向きな言葉に置き換えるあたりはモノは言いようということで、便利ではあるが。

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