回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

エンジュ、歴史

2012年08月15日 12時44分38秒 | 日記

井の頭通りではエンジュの花がすでに散り始めている。巨木にはならないので街路樹として植えられているが、この通りの街路樹のなかでは堂々たる存在感。蜂が蜜を吸った後なのだろう。白や黄色の花弁が根元に雪のように降り積もっている。確かに古代、貴顕の席に植えられたというだけのことはある。暑い日差しの中で、せみの鳴き声がかまびすしい。誰が植えたのか、交差点の端に背丈2メートルくらいのひまわりが咲いていた。

今日は終戦の日、そういえば、30年以上前の話だが英国に駐在していたとき、第二次大戦時に東南アジアで家族を日本兵に殺されたと言って殴りかかってきた通りすがりの英国人がいた。この時の経験から、小林秀雄がプルターク英雄伝について次のように述べていたことを思い出した。

歴史を鏡と呼ぶ発想は鏡の発明とともに古いように想像される。歴史の鏡に映る見ず知らずの幾多の人間達に己の姿を観ずることが出来なければどうして歴史が私たちに親しかろう。事実、映るのは詰まるところ自分の姿に他ならず、歴史を客観的に見るというようなこと実際には誰の経験のうちにも存在しない空言である。嫌った人も憎んだ人も、殺した人でさえ、思い出のうちに浮き上がれば、どんな摂理によるのか、思い出の主と手を結ばざるを得ない。これは私たちが日常行っているいかにも真実な経験である。だから人間は歴史をもつ。社会だけなら蟻でも持つ。

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