別にコロナ禍のせいではないと思うが、このところ、大企業で来年4月からトップが交代する,という記事を目にするようになった。大幅な若返りをしようとするところには、年功序列から実力へ、と言ったコメントが付けられている。その脈絡で日本企業におけるいわゆる長老支配、歴代の社長経験者がいつまでも院政でも敷いているように非公式な影響力を保持していることがやり玉に挙げられることがある。実際に、そういった人々がどんな影響力を行使しているのかわからないが、最近のように株主の国際化が進めば、そのような慣行は不透明なものとして非難され、いつまでも続けてゆくことは出来ないだろう。
こういった長老たちが固執するのが、かつての栄光の象徴である、個室、運転手付きの専用車、そして専属の秘書なのだという。会社側としても正式な肩書や権限も持たないのにかつての上司に対する義理から(あるいは後ろ盾を期待して)そういった待遇をするのだろう。外部には引退したように見せかけてもそういった待遇をするというのはある意味日本的な企業文化と言えようか。発展途上国のことは知らないが、自分が実際に駐在したイギリスとアメリカでは、退職後にそのような取り扱いをしているというのは聞いたことがない。そのかわり、トップ経験者に対する退職金は莫大だ。あるいはそのため、日本のような要求はしないのかもしれない。
長老(?)が要求する3つの待遇の中で面白いと思うのは秘書だ。特に仕事も権限もないのに果たして秘書が必要なのか甚だ疑問だが、見栄のためには、何かあれば秘書を通じて、などと言いたくなるのかもしれない。こういった秘書なら仕事としては随分と楽なようにも思われるが。逆にもし秘書が忙しいというならそれこそ不透明な影響力を持っている事になりそれはそれで大きな問題。
事程左様に日本では秘書がいる、と言うことはいかにも大層な役職にあるという印象をあたえるのだが、イギリスやアメリカではあくまで秘書としての、仕事上の必要性から与えられるものであって、肩書や権限などとは直接には関係がない。つまり、秘書の行うべき仕事があるか否かなのであって肩書に付随する象徴的なものではない。たまたまだが、自分がイギリス、アメリカに駐在しているときにはまだ若輩にもかかわらず秘書がいた。確かに言葉の問題や習慣の違う外国では、スケジュールの調整や膨大な書類の整理には専門的な知識と経験のある秘書がいなければ仕事が回らない。特に口述筆記などを頼む際には秘書の実力がいかんなく発揮された。
イギリスでの経験を言えば、かつて今のようなワードなどの無い時代、手紙や書類をタイプを打つのは大変な仕事だった。もし少しでも文章を変えるとなると初めから打ち直さなければいけなかったからだ。そのせいか、その時の秘書は二人とも年齢的には相当上のベテラン秘書だった。彼女らはこれまでもいくつもの修羅場を乗り越えてきた秘書だったからいろいろな意味で頼りがいがあった。
それがアメリカではでほぼ今のような仕事環境(ITの発達した)になっていて、普段のやり取りは秘書にやらせるのではなく自分でEメール等で行うようになり、秘書には公式な手紙や書類の作成、ということになった。一般的に言ってアメリカでは秘書を自分で選ぶようなことはしない。人事部門が面接して採用するのが基本で、こちらが口をはさむことはない。人事部門としては慎重に採用試験をしていたのだろうがそれでも、秘書の能力は千差万別、自分の任期中何人かの秘書に仕事をしてもらった、そのうちの一人に秘書として抜群の能力を持った人がいた。
日本人でまだ若く、いつも質素な身なりの人だった。当時、それまでの秘書が手の付けられなかった、歴代の前任者の残した膨大な書類があったのだが、それを着任して間もなく自分から進んで整理を始め、しばらくすると見事なファイルに纏められていた。それによっていつでも必要な書類を取り出すことが出来るようになり、こちらの仕事が随分と楽になったことは言うまでもない。
しかし、彼女には婚約者がいて1年ほど経って彼と共にテキサス州のサンアントニオ市に引っ越すと言ってやめてしまった。自由学園を卒業した彼女は時折母親と電話で話をしていたことがあったのだが。親子と言えどもきちんとした言葉遣いで、多分それはその学校の伝統のなせる業なのだろうかと感心したことがある。こういった人を伴侶に持つ男は幸せだ。彼にはひょっとするとプレッシャーにもなるかもしれないが、そんなことを感じさせない賢さががあった。
と言うことで自分は秘書には恵まれていたように思う。ただ間違っても引退後にまで秘書に固執するようなことだけはしたくない。