回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

似た家

2020年12月19日 15時52分32秒 | 日記

今住んでいる家は父が50年ほど前に、親戚から勧められた工務店に頼んで建てたもの。専門家が見れば、そこかしこに昭和の建築様式が濃く反映されたものだと判るに違いない。そのころ、近隣でも同じように新しい家が続々と建てられたのだが、その大部分は親から子供に世代が代わった時期に建て替えられていて、今の街並みでは明らかにその建築様式が違うのが見て取れる。

これらの家は壁には断熱効果の高い金属製の建材が使われたり,それぞれ採光に新しい試みがなされた窓などで快適な住み心地になっているのだろう。何よりまず、玄関のドアが違う。この家が建てられた当時は、厚いガラスでできた両開きの玄関ドアが主流で必要があれば観音開きが出来るようになっていて、取っ手は四角いものだったのだが、最近では重厚な一枚ドアでそこに開けられた窓は小さく(防犯や断熱のためか)、そして縦に長い、金属を使ったこれまた重厚な、しかし握りやすい取っ手になっていることだ。多分玄関を見ればそれが昭和の物なのか、最近の物なのかがわかるようになっていると思う。

そんななかで、7軒ほど先にあった、自分の家とほぼ同じくらい古い住宅が、昨年、住んでいた高齢の老人(多分父と同年代の)が亡くなって、相続のためだろう、最近取り壊された。50年ほども人が住み続けていた、大きな家が重機によってめりめりと取り壊されてゆく。取り壊し自体はほんの数日もかからないくらいで本当にあっけない。大型の産廃運搬用のトラックががれきを手際よく運んで行って、もうすぐに更地になるのだろう。そうなるとこの近辺では、自分の住んでいる家が一番古くなるのではないか。その家の佇まいは今ならまだ思い出せるが、そのうちにどんな家だったかを思い出すことは出来なくなるものだ。

自慢するようだが、たまたま自分の家は、大工(その工務店は一人の大工が始めから終わりまで自分で手掛けていた)の腕が良かったのと、地盤に恵まれていたのだろう、その後の修理のせいもあって、今でもまったく歪みや傾きもなく、住み心地も必ずしも悪くない。むしろ、ある程度余裕を持った建物のせいか、大きな家具や新しい電気製品を搬入してもゆとりがあって、運搬業者には有難がられるくらいだ。そんなことから、当分はこのまま住み続けようと思っている。というよりも、改めて新しい家を建てるというのには相当なエネルギーが必要だと思うのだがそんな元気はないようにも思うから。

家の修理の際に業者に見せる家の設計図では、今ではすっかりセピア色になっているのだが、それからは大工と父とで相談して設計していた当時の様子が窺える。その大工の残した設計図は、今から見ればなんとも手作り感の溢れるものだ。したがって、この家は、他にはない独特のものだと思っていた。

ところが、しばらく前になるが、車でそこからかなり離れたところを走行していると自分の家とよく似た家があるのが目に入ってきた。近くではなかったので大きさは正確には判らないが全体の印象は極めてよく似ている。よく似ているということはその家も同じように昭和の香りを漂わせていたからだ。そうなると、どちらが先に建てられたのか、興味がでてくる。もしその家が先に建てられたのなら自分の家はその家の意匠を引き継いだものになるし、もし、自分の家が先なのであれば逆と言うことになるのかもしれない。

その時は仕事で移動している最中であり、同乗していた同僚から仕事上の説明を受けていた時だったから、いつまでもその家を見ていることは出来なかった。そしてその後の予定も使っていたので、如何ともしがたい。どのあたりだったかも正確には判らない。その後しばらくはこの事が気になっていたが、いつの間にか忘れてしまった。

そして今回、近所の家の解体を見てまたこのことを思い出した。どちらが先かは今ではどうでもいいことではないか、と思う。あるいは自分の家によく似ていると思ったのは何かの思い違いだったのかもしれない。いずれにしても自分のと似た家を見ることは何か不思議な感じがする。

 

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2020年12月18日 18時09分31秒 | 日記

夢と言うものはたいてい荒唐無稽、あるいは支離滅裂なものだと言っていい。普通、醒めたその瞬間は鮮明に覚えているつもりでも、虹があっと言う間に空の色に同化して跡形もなく消えてしまうようにその筋書きは思い出せないものだ。まだ幼かったころ、何か怖い夢を見た時には、母親の布団にもぐり込んで、背中の下に手を差し込み、その重さを感じているときには母親に守られていると思えてその夢の怖さから逃れることが出来た。少し大きくなってからはさすがにそんなことは出来ないようになったし、また、怖い夢や嫌な夢を見た時には、ああ夢で良かった、と思うことにして、むしろ安堵したりするようになってきた。多分この辺りは誰でも同じようなものだと思う。

ところで、昨夜見た夢は、久しぶりに筋の通った(?)、そしてよく覚えている夢だった。

今から30年以上前のことと思われる、自分はまだ20代の頃の時代設定で、イギリスのある地方都市で大きなプロジェクトの関わり、そこの駅を拠点にして仕事をしている。駅を集合場所にしたり、会議をしたり(この点で少しおかしいと言えばおかしいが)、毎日のようにかなりの時間をその駅構内で過ごしている。そのうちに仕事が一段落し、ロンドンに戻ることになった。荷物をまとめて、最後にいくつかクレジットカードで買い物をし、切符を買おうとして窓口に行ってみるとそこにいる若い綺麗な駅員がやたらと愛想が良い。多分、自分たちが駅で活動していたのを見ていたのだろう。

切符を買おうとして料金を払う段になり、財布を見るとクレジットカードが見つからない。さっき買い物をしたときに財布に戻さずにどこかのポケットにしまい込んだのだろうと思い、慌ててあちこち探していると彼女は愛くるしい笑顔を見せて待っている。そのうち、彼女は、自分は買い物のためにちょっと席を外しますといって、切符売り場の横の土産物屋に入り、何やら紙包みを持って戻ってきた。こちらはどうしてもクレジットカードが見つからず、やむなく財布にあった紙幣を渡して支払おうとすると、いえ、この代金が私が持ちますから、という。それでは困ると言ったその時にロンドン行きの列車の到着の放送があった。これは乗り遅れる、と思ったところ、彼女は、大丈夫、私に任せて、秘密の通路がありますから、と言ってその紙包みをもって地下道のようなところをずんずんと進んでゆく。そして一つの扉を開けるとそこは列車のホームになっている。

そしてそこには何人かの老紳士、老婦人が列車を待っている。なるほど、秘密の通路とは特別の客に与えられる特権のようなものだと合点して、そこで、彼女はとみると艶然としたほほえみを浮かべて、これをあなたにお渡ししたかった、と言うなり今来た通路をさっと去って行ってしまった。聞き返す間もなく彼女の後姿だけがが見えた。と、そこに列車が滑り込んできて一斉に乗客が乗り始める。乗り遅れては大変と、慌てて最後に乗り込むとすぐにドアが閉まった。見回すとかなり混んではいるが窓際に席が一つ空いている。

そこに腰かけて一息ついて辺りを見るとあの駅員がくれた紙包みが見当たらない。慌てて乗ったのでホームにでも置き忘れてきてしまったのだ。ロンドンに着いて、忘れ物として届けようにも、中身が判らないからどうしようもないか。

本来ならものを確かめた後、きちんとお礼をしなければならない。ひょっとして何か短い手紙でも入っていたのかもしれない。駅で自分を見ているうちに、ひょっとして彼女は(まだ若い)自分に一目ぼれでもしたのかも、などと言う勝手に甘美な思いこみに浸っていると同時に、お礼もしないとすると、ずいぶん失礼な人だと思われるだろう。

何だか取り返しのつかないことになったように思えてきてぼんやりと窓から外に拡がる風景をみていた。その時、隣の線路に反対方向からの電車がやってきて、窓の外が一瞬暗くなって鏡のように自分の顔が映し出された。そこには、くたびれた、白髪の、まさに老人と言うしかない自分の顔が写っていた・・・・。

そうだ、自分はもう老人だったのだ。あの駅員は、老人がクレジットカードを探すのに難儀するのを見かねて、多分鉄道会社のマニュアルにでも沿ったのだろう、運賃のサービスと何か簡単なお土産の用意をしたのに違いない。秘密の通路とかを通ってホームに着いた時に回りに老人がいたのはそのせいだったのだ!

そこで何もかもが判ったような感じがしたところで、目が覚めてしまった。自分でも全く不思議なことに、この夢は実に今でも明瞭に記憶に残っている。楽しい夢ではないがかといって怖い、と言うのとも少し違う。あるいはあっという間に歳を取ってしまった、と言うことでは本当は怖い夢だったのかもしれない。

夢のことなど長々と書くのはどうかとも思うが、今まであまりこう言った夢は見たことがない。これから見ることはあるのだろうか・・・

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逆ホームシック

2020年12月06日 18時13分02秒 | 日記

しばらく海外に駐在して日本に戻って来た時の独特な感覚は何度繰り返しても慣れないものだ。自分の場合ロンドンに2回、ニューヨークに1回、それぞれ5年以上と言うかなり長い期間駐在した。そこには、自分の生活のすべてがあった。家も車も友人も、そして仕事も。もちろん日本とは毎日のように仕事で会話をしているのだが、それでも、まるで何か半透明の膜ででも仕切られたように断絶された期間だった。駐在中に何度か数日間、出張や私用で日本に帰国し、同僚、家族や友人とも会うのだが、時差も解消しないうちにまた赴任地にもどる。そうするとむしろそこにこそ今の自分の生活の基盤がしっかりとあるのを逆に実感したりするものだった。

それが、次の仕事の辞令を受けて日本に帰国するということになるとそれらすべてを清算して出発しなければならない。帰る直前になると自分の回りの物すべてがなぜか愛おしく見えてくる。帰国自体は新しい仕事や自分のキャリアにとって魅力的なものなのだが。

帰国してからしばらくは日本の生活やスピードに、自分のこととは思えないような違和感を持つ。言ってみれば体は日本にあるのに頭は(あるいは心は)まだ外国にあるようなものだ。そうは言ってもまたロンドンやニューヨークに戻ることは現実には(仕事の関係からも)できないので、どこか宙ぶらりんな感覚。それが数か月たつとある日すっかり日本になじんでいる自分を見つけることになってそれはそれで不思議な感覚に捕らわれる。

こんなことを3度も繰り返してきた。もっとも、2度目にロンドンから帰国する時に現地の友人(その友人は母国が革命によって財産の大半を没収され、たまたまロンドンに家を持っていたのでそこに移り住むことが出来たのだが)から、もうこんなに長くイギリスに住んだのだから万一の場合のリスク分散を兼ねて家を買ったらどうか、と勧められた。

日本に革命のようなことが起きるとは思えないけれども、言われてみれば、気分転換のためにでも時々訪れるためにイギリスに棲み処があっても悪くない、とおもい、少しは土地勘のあったウインブルドンに家を買う事にした。 確かに家を持っていることは(買うときには大変な手続きになったが、弁護士に一任したので、自分にはそれほどの負担にはならなかった。ただ物件の選択は自分でしなければならなかった)費用の面はともかく、いつでも気楽に行けるという利点がある。ホテルをいちいち予約するような面倒なことから解放された気分だった。たしかに10時間ほど飛行機に乗れば何の気兼ねもしなくて済む家に着くという便利さだ。多い時には年に数回、仕事であったり、あるいは友人に会ったり、会員になっている会の会合に出席したり、時には特段目的もなくロンドンに行くことがあった。ヒースロー空港に着くとそこの空気が肌にしっとりと何の違和感もなくなじむように思える。そして都心に向かう高速道路を走る車からみえる、少し疲れたように走っている地下鉄を見ているとなんとも言えない安心感のようなものを覚える。

ニューヨークの住んでいた時も知人から家を買うことを勧められたけれが、どう考えてもしっかりと管理するのは難しいと思いやめにした。それでもニューヨークから帰る日の最後の日にはひょっとするともう二度とこの地を踏むことはないかも知れないと思い、何か胸にせまるものがあった。だから翌日と東京行きの便に乗る時にはそんな感傷を振り切るように、ちょっと東京に行ってくるのだ、と自分に言い聞かせたように思う。

歳をとれば何事にも感傷に浸ることはないかと思っていたが必ずしもそうではない。それはきっと自分が人間としていつまでも未熟なものを持っているからなのだろう。周りにはそんな感傷を全く持ち合わせていないように見える人が多い。そういう人はきっといつも前を見て進んでいるのだろう。

 

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クリスマス・イルミネーション

2020年12月05日 16時42分29秒 | 日記

一時日本でもこの時期そこかしこで華やかなイルミネーションが灯されたことがあった(今でも続いているところもあるが)。こういったイルミネーションはヨーロッパやアメリカでは長い歴史を持つ。それも、個人が自分の住宅を、ある人は豪華絢爛に、ある人は控えめに飾り立てる。

コロナが席捲した今年、そんな気分にはなれないという人も多いと思うが、それでもやはり長年の習慣は捨てられない。ニューヨーク、ブルックリン区のタイガーハイツはクリスマスイルミネーションの飾り付けで有名だ。まだ12月も始まったばかりだが、もう幾つかの家では飾り付けが終わって例年の華やかさが戻ってきたようだ。そんなタイガーハイツを撮ったビデオ(昨日)が現地在住の知人によってYOUTUBE にアップされている。

ロンドンでも飾り付けた家がところどころにあるがさすがにこれほどのスケールではない。何事にも、物量作戦で臨むアメリカらしい光景ではある。

(75) ニューヨーク・ダイカーハイツ邸宅街のクリスマスイルミネーション第一弾 - YouTube

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未来

2020年12月04日 15時44分38秒 | 日記

体質なのだろうか、冷たい風に吹かれると目が過剰に反応して涙が出てくる。目が冷たさを感知すると、涙が出てきてそのうち目じりのほうへ吹き寄せられるようになってそこから零れ落ちる。こういう時に知り合いにあったりすると何か怪訝な顔をされたりするから厄介だ。後ろ暗いところがあるわけではないのに、いい歳をしてそんな涙目で歩いているところを見られたりするとだれだって気になってしまうだろう。

ふと、人は求めるものが得られないことより、持っているものを失うことの方がおそろしく感じる、と言う話を思い出した。確かに欲しいものが手に入らないことは辛いけれどもそれ以上に今手元にあるものを失うかもしれない、と思うと、胸が押しつぶされるような感じはある。

子供の頃、スキー場に行って滑り出すと決まって大粒の涙が出たものだ。そのころはゴーグルなどを付けずに滑っていたのでまるで凸レンズ越しに雪面を見るようなことになり自分の足さえも良く見えなくなる。まして微妙なこぶなどは、多分この辺にあるだろうという、ほとんど勘で滑っていたようなものだ。それでも大きなけがもせずにいたのだから、子供の体は柔軟だったのだろう。そうして滑っているときには、どうにでもなれと言うような無謀な気持ちにもなっていた。大袈裟に言えば破滅願望のような。

スキーがだんだんとスピードが増してくると自分が制御できる限界に近づいてくる。その時にその限界を僅かに超えたあたりまで突っ切ってしまうのが自分の癖だった(多分子供は誰でも皆そうだ)。考えてみると、仕事でも人との付き合いでもいつもそんなことの繰り返しだったようにも思う。しかし、これまでこんな無茶ができたのは、自分には未来があると思っていたからではないか。手元にはほとんど何もなかったから、失うという恐怖心も無かったのだろう。

ニューヨーク・ロックフェラーセンターのクリスマスツリー

(2003)

 

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