摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

あけましておめでとうございます

2019年01月10日 | 関西の四季


健都(北大阪健康医療都市・吹田市と摂津市にまたがる旧吹田操車場跡の再開発エリア周辺の吹田市住民より新年のご挨拶を申し上げます。
【見出しの写真は入院中の病室の窓から見た健都の玄関口・岸辺駅と大阪学院大学、遠景は生駒山やで】
旧年中は踵(かかと)の骨を砕く(骨折)やら、愛犬は昇天するやら…さんざんな、いろんなことがありましたが、何とか生き延びて、無事にお正月を迎えることが出来ました。まずはめでたしめでたし。




苦しいこともつらいことも今となっては皆、良い思い出。
とにかくも今は、前を向いて一歩一歩、
歩いて行こうと思っています。

昨年は用水路に落ちて骨折入院&がんの後遺症2度目の入院などして、私にとってたいへんお馴染みとなった吹田市民病院が昨年末、旧国鉄吹田操車場跡に新築移転しました。
正月早々、七草がゆの1月7日(月)またまた入院しました。今回は去年の骨折の後始末。
その市民病院はグーグルの航空写真によるとご覧のようにJRの線路のすぐそばに建っているんですよ。
さぞかし、列車の騒音が厳しいことであろうと、思っていましたが、駅を頻繁に出入りするJR京都線の動きはむしろ心地よい都会のざわめきという感じでしたね。
電車が動いているのは見えるけど、物音がしないでしょう。
JR京都線の電車

鉄道ファンの私にとってはずーっと入院することになっても飽きの来ない眺めです。
 


問題は病棟のすぐ下、線路の一番北側を走る貨物線やったな。たまにしか通らないのですが、なにしろ窓のすぐ下を走るものですから比較的結構な音が響きました。でもすぐに慣れました。
何といっても、入院の翌日に手術をして、足に埋め込まれていた下の4本のボルト(ピン?釘?)を抜いてもらったんですから…ボルトは長いほうが7.5センチ、短いほうで4センチありました。手術の前は緊張していたし、手術の直後の麻酔の切れかけはそれなりに【しんどい】ものでしたので、貨物列車の響きは「
早く帰って来い」と懐かしい娑婆(しゃば)から呼ぶ声といった感じでした。

 

退院記念に頂いた4本のピンは本当によくできた優れものでした。
医学をはじめとする科学技術の進歩がなかったら、今の自分は生きることが出来ていないだろうな、と思わざるを得ません。レントゲン写真を見せていただいたのですが、自分には今一つ解読できなかった。多分踵の骨を補強する形で左上図のようにピンが入っていたのかなと、想像します 抜くときの手術は入れるときの手術よりも格段に負担が少なかったです。

手術翌朝には、すっかり麻酔も覚めて歩けるようになり 嬉しかったなあ   
さらに、今日・1月10日のこと。退院の翌日に街を歩くと、抜手術まではまるで高下駄かハイヒール(←履いたことはないけど)を履いて歩くような不安定感があったんだけど…あら不思議足の裏が地面に吸い付くようなどっしりとした安定感があって… これまた嬉しかったなあ ♬ (^^♪
というわけで、今年のブログは、ここまで助けていただいたおおぜいの人びとに感謝のことばを表してスタートすることができます。感謝。ありがとう