テカポからマウントクックへの途中で、降っていた雨はみぞれ混じりになった。
山の上では雪になっていることだろうが白く煙って何も見えない。
天気予報では南島を強い前線が移動するので今日はこのまま雨か雪になるとのこと。
この夏、初めてのクックでの仕事だが山は今日は見えないか。
残念だが仕方がない。
天気は人間の思惑通りにいかない。
せっかく日本から来たお客さんに山を見てもらいたいという僕の気持ちも宙ぶらりんのままだ。
僕はドライブをしながらガイドトークをする。
「以前、案内したお客さんなんですけどね、その人はニュージーランド6回めなんですけど、こう言っていました。『今回もまた、マウントクックは雨でした。私はこの山を写真でしか見たことがありません。また来年来ます。』ね、そういう場所なんですよ、ここは」
運が悪い人はいるものだ。
かと思うと1回めでスカッと晴れて全部見れる人もいる。
そういう人はこう言う。
「私達を喜ばせようと思って、天気が悪いなんて言うんじゃないですか?」
確かにスカっ晴れの山だけ見ればそう思うことだろう。
だが何回足を運んでも見ることができない人が、何度目かにこの山を見たときはその分感動も大きいことだろう。
困難な山ほど登頂の感動は大きい。
この日の仕事は午後の早い時間にホテルにチェックインをして終わった。
その後はまるまる自由である。
せっかくのクック泊まりということでトレッキングブーツをはじめ、山道具一式を持ってきたがこの雨では歩く気にもならない。
こんな日は早い時間からビールを飲んでしまおう。
クックでは知り合いも何人かいる。
リンカーン大学でエコツーリズムを勉強しているトモ、そして奥さんのリエコはクライストチャーチからの知り合いで、僕の作る納豆を買ってくれて、家に招いたり招かれたりする仲だ。
彼らが11月の初めからここで働いているはずだ。
知り合いのスタッフに尋ねると、すぐに取り次いでくれた。
リエコは受付の奥で働いていて、まさか僕が来るとは思わなかったらしく驚きながらも大喜びで出迎えてくれた。
聞くとトモは今日はお休みで、日本から来た知人とその辺をブラブラしているとのこと。
リエコが仕事を終わるのを待ち、みんなで合流そしてカフェへ。みんなはお茶を飲み、僕はビールを飲む。
トモの知人はシンという若い男の子で、ガイド志望だという。日本でも山のガイドを少しやっていたそうな。
ヒッチハイクで南島を回りながらルートバーンなどを歩き、その後ロトルアになる専門学校へ行くという。
こういう人に頼らず自分で何でもやってやろうという若者は無条件で応援したくなる。
僕は言った。
「ヒッチハイクなぞすれば危険はつきものだよね。ひょっとすると君は殺されるかもしれない。でもそういうリスクを知りつつ全てを自分の判断と責任で行動することは素晴らしいことだ。きっとリスクを上回る素晴らしい出会いがあるはずだよ。なんか旅って山に似ているよね」
彼はうれしそうに言った。
「そうなんです。この前乗せてもらった人はポッサムを捕まえて毛皮を取る人で、こんな一袋で300ドルになるって言っていました」
そのうちこの国でエコを学んでいけば、ポッサムがこの国でどういう経緯で増えていったか、現在どういう状況で環境に影響をあたえているか、そしてお土産屋でポッサムの毛皮がいくらで売られているか知ることになるだろう。
そして自分が出会ったポッサムハンターとの経験から、さらに深く外来と原生の動植物の関係を考えることになるだろう。
「いやいや、素晴らしい。そういうのは全て経験だよ。その経験は君だけの財産だ。その財産は君という人間を大きくしていき立派なガイドになっていくんだよ。僕が君に言うことはただひとつだな、その調子でどんどんやりなさい」
「はい、がんばります」
彼はうれしそうに笑った。笑顔が素敵だ。とてもよろしい。
窓の外は雪が本格的に降り始めたようだ。白い物体が落ちているのが遠目にも見える。
初夏と呼んでもいいこの時期にも雪は降る。これがニュージーランドだ。
僕は2杯目のビールを注文した。雪見酒だな。
トモ、リエコ、そしてシン。波長がぴったり合う人との話は尽きず、時間が経つのを忘れてしまう。
2杯目のビールがなくなるころ、ふと外に目を向けると先ほどの雪は止み妙に明るくなっている。
「あれ?晴れてきたんじゃない」
山がよく見える場所に行くと、ほんの30分前の雪は嘘のように止み、青空が広がり山が姿を見せ始めた。
「うわあ!こんなこともあるんだ。カメラを取ってこなきゃあ」
ちょうどカフェも閉まる時間だし、この場はお開き。
晩飯後に又会う約束をして、僕はカメラを持って散歩に出た。
山は半分雲に入っているが、その後ろにはくっきりと青空が広がる。
降ったばかりの雪で氷河も真っ白だ。
ホテルの近辺にも日が当たり始めた。
そうだ、今はマウントクックリリーが咲き始める時期じゃないか。
確か、インフォメーションセンターの前に少しだけあったな。
そこに行ってみると、あったあった。
丸い大きな葉っぱに白い可憐な花をつけている。
この花の咲く時期は短い。
あっという間に散ってしまう花だからこそ、この瞬間の美しさがある。
人はそれを見て、その美しさを心に刻むのだ。
散歩をしているうちに雲はどんどん晴れていき、夕飯を食べるころには山は全貌を見せた。
ホテル内で顔見知りのガイドと言葉を交わす。
「こんなこともあるんだねえ」
とても嬉しい天気予報の外れ方だ。
お客さんも大喜びである。
「雨が上がる頃、散歩をしていたんです。そしたらまず虹が出てあれよあれよという間に晴れて山が見えたんですよ」
「そうですか、一部始終を見ていたんですね。それは素晴らしかったでしょう。この山は天気が崩れるのも速いけど回復するのも速いんですよ」
このお客さんはハネムーンでここに来たが、山から最高の贈り物だ。きっと一生忘れられない感動があることだろう。
この時期、日没は9時ぐらいである。
晩飯を食べ終わっても日はまだ出ている。
夕暮れの日差しが山を照らす。
美しい。
今日はひょっとすると染まるかな。
夕食後、トモの住まいに遊びに行くことになっており、彼らが車で迎えに来てくれたが、出会うなり彼が言った。
「聖さん、今日は山が染まるかもしれないから、ちょっと待ちましょう」
彼らの家からクックは見えない。同調する人は言葉が無くても考えることは同じだ。
待つこと30分ほど。
山は徐々に色を変えていき、うっすらピンク色に染まった。
「今日はこれぐらいかな。西の方ですごい夕焼けの時はね、完全に日が暮れても山のてっぺんだけは朱色が残るんだ。白黒の世界でそこだけ色がつくんだよ。それはそれは美しいものだよ」
まあ、ここに住んでいればそのうちに彼らもそういう景色を見ることだろう。
僕がそれを見たのはミューラーハットに1泊で歩きに行った時だった。
http://www.backcountrytraverse.co.nz/mueler.htm
それはラッキーと一言で済ましてしまうには悲しすぎる。そんなタイミングだった。
その時はカメラを持っておらず写真は残っていないが、僕の心にはその色がくっきりと刻まれている。
その瞬間の感動は永遠のものなのだ。
空には星が瞬き始めた。
ハネムーンのお客さんは星空ツアーにも参加する予定だが、今晩は星もきれいだろう。
最高のハネムーン旅行になるはずだ。
僕は手を合わせ山に唱える。
「姿を見せてくれてありがとうございます。おかげでお客さんも大喜びです。今年の夏もよろしくお願いします」
僕の言葉は風に運ばれ、尾根の向こうに消えていった。
山の上では雪になっていることだろうが白く煙って何も見えない。
天気予報では南島を強い前線が移動するので今日はこのまま雨か雪になるとのこと。
この夏、初めてのクックでの仕事だが山は今日は見えないか。
残念だが仕方がない。
天気は人間の思惑通りにいかない。
せっかく日本から来たお客さんに山を見てもらいたいという僕の気持ちも宙ぶらりんのままだ。
僕はドライブをしながらガイドトークをする。
「以前、案内したお客さんなんですけどね、その人はニュージーランド6回めなんですけど、こう言っていました。『今回もまた、マウントクックは雨でした。私はこの山を写真でしか見たことがありません。また来年来ます。』ね、そういう場所なんですよ、ここは」
運が悪い人はいるものだ。
かと思うと1回めでスカッと晴れて全部見れる人もいる。
そういう人はこう言う。
「私達を喜ばせようと思って、天気が悪いなんて言うんじゃないですか?」
確かにスカっ晴れの山だけ見ればそう思うことだろう。
だが何回足を運んでも見ることができない人が、何度目かにこの山を見たときはその分感動も大きいことだろう。
困難な山ほど登頂の感動は大きい。
この日の仕事は午後の早い時間にホテルにチェックインをして終わった。
その後はまるまる自由である。
せっかくのクック泊まりということでトレッキングブーツをはじめ、山道具一式を持ってきたがこの雨では歩く気にもならない。
こんな日は早い時間からビールを飲んでしまおう。
クックでは知り合いも何人かいる。
リンカーン大学でエコツーリズムを勉強しているトモ、そして奥さんのリエコはクライストチャーチからの知り合いで、僕の作る納豆を買ってくれて、家に招いたり招かれたりする仲だ。
彼らが11月の初めからここで働いているはずだ。
知り合いのスタッフに尋ねると、すぐに取り次いでくれた。
リエコは受付の奥で働いていて、まさか僕が来るとは思わなかったらしく驚きながらも大喜びで出迎えてくれた。
聞くとトモは今日はお休みで、日本から来た知人とその辺をブラブラしているとのこと。
リエコが仕事を終わるのを待ち、みんなで合流そしてカフェへ。みんなはお茶を飲み、僕はビールを飲む。
トモの知人はシンという若い男の子で、ガイド志望だという。日本でも山のガイドを少しやっていたそうな。
ヒッチハイクで南島を回りながらルートバーンなどを歩き、その後ロトルアになる専門学校へ行くという。
こういう人に頼らず自分で何でもやってやろうという若者は無条件で応援したくなる。
僕は言った。
「ヒッチハイクなぞすれば危険はつきものだよね。ひょっとすると君は殺されるかもしれない。でもそういうリスクを知りつつ全てを自分の判断と責任で行動することは素晴らしいことだ。きっとリスクを上回る素晴らしい出会いがあるはずだよ。なんか旅って山に似ているよね」
彼はうれしそうに言った。
「そうなんです。この前乗せてもらった人はポッサムを捕まえて毛皮を取る人で、こんな一袋で300ドルになるって言っていました」
そのうちこの国でエコを学んでいけば、ポッサムがこの国でどういう経緯で増えていったか、現在どういう状況で環境に影響をあたえているか、そしてお土産屋でポッサムの毛皮がいくらで売られているか知ることになるだろう。
そして自分が出会ったポッサムハンターとの経験から、さらに深く外来と原生の動植物の関係を考えることになるだろう。
「いやいや、素晴らしい。そういうのは全て経験だよ。その経験は君だけの財産だ。その財産は君という人間を大きくしていき立派なガイドになっていくんだよ。僕が君に言うことはただひとつだな、その調子でどんどんやりなさい」
「はい、がんばります」
彼はうれしそうに笑った。笑顔が素敵だ。とてもよろしい。
窓の外は雪が本格的に降り始めたようだ。白い物体が落ちているのが遠目にも見える。
初夏と呼んでもいいこの時期にも雪は降る。これがニュージーランドだ。
僕は2杯目のビールを注文した。雪見酒だな。
トモ、リエコ、そしてシン。波長がぴったり合う人との話は尽きず、時間が経つのを忘れてしまう。
2杯目のビールがなくなるころ、ふと外に目を向けると先ほどの雪は止み妙に明るくなっている。
「あれ?晴れてきたんじゃない」
山がよく見える場所に行くと、ほんの30分前の雪は嘘のように止み、青空が広がり山が姿を見せ始めた。
「うわあ!こんなこともあるんだ。カメラを取ってこなきゃあ」
ちょうどカフェも閉まる時間だし、この場はお開き。
晩飯後に又会う約束をして、僕はカメラを持って散歩に出た。
山は半分雲に入っているが、その後ろにはくっきりと青空が広がる。
降ったばかりの雪で氷河も真っ白だ。
ホテルの近辺にも日が当たり始めた。
そうだ、今はマウントクックリリーが咲き始める時期じゃないか。
確か、インフォメーションセンターの前に少しだけあったな。
そこに行ってみると、あったあった。
丸い大きな葉っぱに白い可憐な花をつけている。
この花の咲く時期は短い。
あっという間に散ってしまう花だからこそ、この瞬間の美しさがある。
人はそれを見て、その美しさを心に刻むのだ。
散歩をしているうちに雲はどんどん晴れていき、夕飯を食べるころには山は全貌を見せた。
ホテル内で顔見知りのガイドと言葉を交わす。
「こんなこともあるんだねえ」
とても嬉しい天気予報の外れ方だ。
お客さんも大喜びである。
「雨が上がる頃、散歩をしていたんです。そしたらまず虹が出てあれよあれよという間に晴れて山が見えたんですよ」
「そうですか、一部始終を見ていたんですね。それは素晴らしかったでしょう。この山は天気が崩れるのも速いけど回復するのも速いんですよ」
このお客さんはハネムーンでここに来たが、山から最高の贈り物だ。きっと一生忘れられない感動があることだろう。
この時期、日没は9時ぐらいである。
晩飯を食べ終わっても日はまだ出ている。
夕暮れの日差しが山を照らす。
美しい。
今日はひょっとすると染まるかな。
夕食後、トモの住まいに遊びに行くことになっており、彼らが車で迎えに来てくれたが、出会うなり彼が言った。
「聖さん、今日は山が染まるかもしれないから、ちょっと待ちましょう」
彼らの家からクックは見えない。同調する人は言葉が無くても考えることは同じだ。
待つこと30分ほど。
山は徐々に色を変えていき、うっすらピンク色に染まった。
「今日はこれぐらいかな。西の方ですごい夕焼けの時はね、完全に日が暮れても山のてっぺんだけは朱色が残るんだ。白黒の世界でそこだけ色がつくんだよ。それはそれは美しいものだよ」
まあ、ここに住んでいればそのうちに彼らもそういう景色を見ることだろう。
僕がそれを見たのはミューラーハットに1泊で歩きに行った時だった。
http://www.backcountrytraverse.co.nz/mueler.htm
それはラッキーと一言で済ましてしまうには悲しすぎる。そんなタイミングだった。
その時はカメラを持っておらず写真は残っていないが、僕の心にはその色がくっきりと刻まれている。
その瞬間の感動は永遠のものなのだ。
空には星が瞬き始めた。
ハネムーンのお客さんは星空ツアーにも参加する予定だが、今晩は星もきれいだろう。
最高のハネムーン旅行になるはずだ。
僕は手を合わせ山に唱える。
「姿を見せてくれてありがとうございます。おかげでお客さんも大喜びです。今年の夏もよろしくお願いします」
僕の言葉は風に運ばれ、尾根の向こうに消えていった。